下村脩という名前は聞いたことがあるか?背が高くて日本人離れした風貌のノーベル化学賞受賞者、といえば顔が浮かぶ人もいるかもしれませんね。
下村脩氏は光るクラゲの研究で2008年にノーベル化学賞を受賞した。この研究成果はiPS細胞の研究でも使われているほど重要な発見だったんです。
下村氏の経歴と研究内容について、化学に詳しいライター小春と一緒に解説していきます。

ライター/小春(KOHARU)

大阪大学・大学院で化学を専攻。卒業後はB to Bメーカーで開発を担当した経験を持ち、最先端の有機デバイスやセンサー開発について詳しい。結婚を機に退職した今は、子供達に身の回りの自然科学や家電の仕組みをどのように教えるか、日々考えている。

下村脩は光るクラゲの研究でノーベル化学賞を受賞した

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下村脩氏といえば光るクラゲ、という方も多いのではないでしょうか。先ほどの経歴紹介でも下村氏はアメリカでオワンクラゲの研究をしたと紹介しましたね。ここからは発光生物についてと、光る現象について紹介していきます。

発光生物とは?カンタンに解説

身近な光る生物といえばホタルが有名ですね。発光生物は大きく2つの研究対象となります。1つ目は「何のために光るのか?」といった生物学からのアプローチ、2つ目は「どうやって光るのか?」という化学からのアプローチです。

前者は求愛行動や餌を取るための行動であることが多いですね。例えば、ホタルならばオスとメスの交信、深海魚は餌を誘い込むためだそうです。気になる方は調べてみてください。光る生物は思っっている以上に多いですよ。

下村脩の研究はウミホタルから始まった

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名古屋大学の有機化学研究室で下村氏が始めた研究が「ウミホタルの発光の起源であるルシフェリンの精製と結晶化」でした。当時、化学構造を研究するためには結晶化するのが良い方法であると考えられていました。そのため、まだ詳細が分かっていないウミホタルのルシフェリンを結晶化する必要があったんですね。

ウミホタルのルシフェリンは酸化されやすいために結晶化が難しい物質です。下村氏は爆発の可能性があって危険な水素ガス雰囲気下で作業をしていたといいます。

結晶化の成功には偶然も寄与しました。アミノ酸分析の下準備のために濃塩酸を加えたのち一晩放置してしまったところ、溶液色が変わり試験管の底に黒い沈殿物があったのです。この結晶がルシフェリンの結晶でした。一晩暖房のストーブを切っていたことも結晶化の一因になったと分かりました。

ウミホタルの次はオワンクラゲ

ウミホタルの次はオワンクラゲ

image by Study-Z編集部

オワンクラゲの研究はもっと難しいものでした。なぜなら、光る仕組みがこれまで一般に考えられていたものと違ったからです。ホタルの発光は、ルシフェリンと呼ばれる基質とルシフェラーゼと呼ばれる酵素によって起こるものだと知られており、他の全ての発光生物でも同じ仕組みだと考えられてました。下村氏に与えられたテーマのオワンクラゲから発光物質を抽出することとは、ルシフェリンを抽出することとイコールだったのです。

ルシフェリンの抽出がどうしても上手くいかず、下村氏は「どんな物質でも良いから光る物質を抽出しよう」と発想を転換し、見事オワンクラゲの発光物質の抽出に成功します。その青色に光る物質をイクオリンと名付けました。同時に見つけた緑色の光をもつタンパク質(GFP)も微量ながら発見しました。

イクオリンの発見と抽出には成功したものの、その発光メカニズムの解明にはおよそ12年かかったそうです。GFPはイクオリンよりも1匹のオワンクラゲに含まれている量が少ないため、化学構造を決定するのにさらに長い年月と大量のオワンクラゲを必要としました。

\次のページで「研究が第一だった下村脩の人生をざっくり解説!」を解説!/

研究が第一だった下村脩の人生をざっくり解説!

背も高く整った顔立ちの下村氏。身長も182cmあり、日本人離れしているという印象も強いですが、その印象は1965年(37歳)の頃からアメリカで研究を続けていることから来るのかもしれませんね。

下村脩の経歴

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1928年8月27日に京都府福知山で誕生した下村脩氏の小さい頃の夢は、飛行機や船の設計者になることでした。しかしながら戦争と戦後の混乱でその夢を叶えることはできず、それどころか旧制高等学校や専門学校も入学することが出来ませんでした。

3年間の浪人後、原子爆弾で破壊された長崎医科大学付属薬学専門部の仮校舎が住んでいた諫早市にできたため、薬学が希望通りの進学先ではないながらも入学します。

下村氏は戦争中は長崎県諫早市へ疎開しており、中学校に行くこともできず軍需工場に動員されていました。そのため16歳のときに長崎への原爆投下を経験し、放射能物質を含む「黒い雨」を浴びています

恩師との出会いで薬学から有機化学の世界へ

下村氏はそのまま長崎大学薬学部(長崎医科大学付属薬学専門部から名称変更)で実験実習指導員を務めました。そのときの上司である安永峻五教授が1年間の内地留学に出してくれたことから、下村氏の運命が変わります。

安永教授が紹介した名古屋大学の分子生物学の江上教授が不在だったたのでたまたま訪ねた同郷の有機化学研究室の江上教授が「私のところにいらっしゃい」と言ってくれたそうです。

平田教授はウミホタルルシフェリン結晶化のテーマを下村氏に与えました。これはアメリカのプリンストン大学で20年以上前から成功できていないテーマで、とても困難なものでした。連日徹夜で実験を続けた10ヶ月後にウミホタルルシフェリンの結晶化に成功したのです。

ノーベル賞に繋がったアメリカ留学

ウミホタルのルシフェリン結晶化に成功した結果、プリンストン大学のF.H.ジョンソン教授にフルブライト奨学生として招かれ1960年に渡米。下村氏はジョンソン氏と共に、フライデーハーバーのワシントン大学臨界実験所でオワンクラゲから発光物質を抽出する実験を始めます。

ワシントン大学臨界実験所は生物学者の聖地と呼ばれるほど由緒ある研究所でもあり、実験材料のオワンクラゲは実に豊富でした。研究所の前の桟橋から手網ですくって実験に使っていたというエピソードもあるほどです。

この地で下村氏は1962年頃にイクオリンと緑色蛍光タンパク質(GFP)の2つのタンパク質を発見しました。発光のメカニズム解明にはここからさらに10年以上の時間がかかったといいます。

息子の下村努は映画のモデルにもなった天才日本人ハッカー

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ケビン・ミトニック逮捕時にFBIに協力したことで有名なハッカーの下村努氏の父が、下村脩氏です。この逮捕劇は「ザ・ハッカー 」というタイトルで映画化もされています。1歳の時に下村氏に連れられてアメリカへ移住したため日本語はあまり得意ではないようです。

なおハッカーは一般的に悪者という印象を与えますが、ハッカーはコンピュータ技術に精通した人物のことで、「クラッカー」がコンピュータに精通して犯罪行為を行う人物のことを指します。

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発光生物の仕組みは暮らしや科学研究に応用されている

発光生物は昔から人々の興味の的でしたが、研究を進めて光る仕組みが解明されてからは、発光の仕組みも人々の生活に役立っています。

最後に、発光生物の仕組みを生かすことによって開発された技術を2つご紹介しましょう。

ホタルの発光から事件解決の糸口に!ルミノール反応

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刑事ドラマで、事件現場に液体を吹きかけたのちに特殊な光を当てることによって、見えなかった血痕を見つけたり、シミと血痕を判別したりする科学捜査の様子を見たことはありませんか?鑑識さんがかけていた液体はルミノール溶液で、この光を当てて青白く光る反応はルミノール反応といって、ホタルが光るのと同じ仕組みで光っています。

ルミノール反応とは、ルミノール(正式名称は3-アミノフタル酸ヒドラジド)が3-アミノフタル酸になる際に蛍光を発する反応。ルミノールの他に鉄(Ⅲ)と酸素があれば容易に起こります。赤血球の中にはヘモグロビンというタンパク質があり、ヘモグロビンには鉄錯体が含まれているため、溶液を吹きかけた先に血液があればルミノール反応が起こり青白く光るのです。

血液を拭き取ったり、時間が経って乾いていたとしても現場にヘモグロビン由来の微量の鉄錯体が残っていれば、ルミノール反応は起こります。デメリットは血液がヒトのものかは分からないことと、かけすぎるとDNAの構造が壊れてしまいその後DNA鑑定ができないことが挙げられますが、簡便に血液を見つけられる方法として古くから科学捜査で使われているのです。

最先端の研究で活躍!GFPタンパク質

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生物の細胞内には何万種類ものタンパク質が存在していて、個々のタンパク質の動きを区別して観察することは難しいことでした。

しかし、GFPタンパクを応用したことで、調べたいタンパク質につけてラベリングすることが可能になりました。GFPが緑色に光るため、修飾した見たい分子が物質のどの部分に存在するのか分かるようになったのです。

GFPによりがん細胞が生体内で広がっていく過程や、アルツハイマー病で神経細胞がどのように壊れていくのかなど、医学上で重要な問題の解明ができるようになりました。京都大学山中教授によって開発された新型のiPS細胞にも使われています。このようにGFPタンパク質は、現在の生命科学分野には欠かせないツールとなっているのです。

下村脩の功績は現代化学に繋がっている

飛行機や船の設計者になりたかった下村少年でしたが、運命に翻弄され、生物発光の道に進むことになりました。

講演で下村氏は「どんな分野でも興味のある問題に遭遇したときは、積極的にチャレンジしてください。何事もまずやり遂げる自信が大事です。自信はいろいろなことをやり遂げてこそ初めて得られます。自信があってこそ、努力ができ、そして、成功が得られるのです。」と話しています。

とてつもなく難しかったウミホタルのルシフェリン結晶化に取り組み続け成功したという自信が、終戦以来灰色だった下村氏の将来に光を与えたのです。

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化学理科

光るクラゲでノーベル賞?下村脩とその功績を阪大院卒ライターが分かりやすくわかりやすく解説!

下村脩という名前は聞いたことがあるか?背が高くて日本人離れした風貌のノーベル化学賞受賞者、といえば顔が浮かぶ人もいるかもしれませんね。
下村脩氏は光るクラゲの研究で2008年にノーベル化学賞を受賞した。この研究成果はiPS細胞の研究でも使われているほど重要な発見だったんです。
下村氏の経歴と研究内容について、化学に詳しいライター小春と一緒に解説していきます。

ライター/小春(KOHARU)

大阪大学・大学院で化学を専攻。卒業後はB to Bメーカーで開発を担当した経験を持ち、最先端の有機デバイスやセンサー開発について詳しい。結婚を機に退職した今は、子供達に身の回りの自然科学や家電の仕組みをどのように教えるか、日々考えている。

下村脩は光るクラゲの研究でノーベル化学賞を受賞した

image by iStockphoto

下村脩氏といえば光るクラゲ、という方も多いのではないでしょうか。先ほどの経歴紹介でも下村氏はアメリカでオワンクラゲの研究をしたと紹介しましたね。ここからは発光生物についてと、光る現象について紹介していきます。

発光生物とは?カンタンに解説

身近な光る生物といえばホタルが有名ですね。発光生物は大きく2つの研究対象となります。1つ目は「何のために光るのか?」といった生物学からのアプローチ、2つ目は「どうやって光るのか?」という化学からのアプローチです。

前者は求愛行動や餌を取るための行動であることが多いですね。例えば、ホタルならばオスとメスの交信、深海魚は餌を誘い込むためだそうです。気になる方は調べてみてください。光る生物は思っっている以上に多いですよ。

下村脩の研究はウミホタルから始まった

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名古屋大学の有機化学研究室で下村氏が始めた研究が「ウミホタルの発光の起源であるルシフェリンの精製と結晶化」でした。当時、化学構造を研究するためには結晶化するのが良い方法であると考えられていました。そのため、まだ詳細が分かっていないウミホタルのルシフェリンを結晶化する必要があったんですね。

ウミホタルのルシフェリンは酸化されやすいために結晶化が難しい物質です。下村氏は爆発の可能性があって危険な水素ガス雰囲気下で作業をしていたといいます。

結晶化の成功には偶然も寄与しました。アミノ酸分析の下準備のために濃塩酸を加えたのち一晩放置してしまったところ、溶液色が変わり試験管の底に黒い沈殿物があったのです。この結晶がルシフェリンの結晶でした。一晩暖房のストーブを切っていたことも結晶化の一因になったと分かりました。

ウミホタルの次はオワンクラゲ

ウミホタルの次はオワンクラゲ

image by Study-Z編集部

オワンクラゲの研究はもっと難しいものでした。なぜなら、光る仕組みがこれまで一般に考えられていたものと違ったからです。ホタルの発光は、ルシフェリンと呼ばれる基質とルシフェラーゼと呼ばれる酵素によって起こるものだと知られており、他の全ての発光生物でも同じ仕組みだと考えられてました。下村氏に与えられたテーマのオワンクラゲから発光物質を抽出することとは、ルシフェリンを抽出することとイコールだったのです。

ルシフェリンの抽出がどうしても上手くいかず、下村氏は「どんな物質でも良いから光る物質を抽出しよう」と発想を転換し、見事オワンクラゲの発光物質の抽出に成功します。その青色に光る物質をイクオリンと名付けました。同時に見つけた緑色の光をもつタンパク質(GFP)も微量ながら発見しました。

イクオリンの発見と抽出には成功したものの、その発光メカニズムの解明にはおよそ12年かかったそうです。GFPはイクオリンよりも1匹のオワンクラゲに含まれている量が少ないため、化学構造を決定するのにさらに長い年月と大量のオワンクラゲを必要としました。

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