現代社会

「立憲政友会」とは?歴代総裁と二大政党制成立に至る歴史を現役会社員ライターが分かりやすくわかりやすく解説!

よぉ、桜木健二だ。今回は伊藤博文が明治時代に結成した政党、立憲政友会について解説していくぞ。この政党が結成された当時の政界は薩長の有力者たちが中心の藩閥政治が行われていたんだ。そのため政党のもつ影響力は弱く、内閣も藩閥系の有力者(=元老)を中心に個人的に招集されていたんだ。立憲政友会はこの藩閥政治の中心でもあった伊藤博文が、藩閥中心かつ、個人的な政治体制から政党を組み、これを中心に内閣を構成する政党政治実現を目指して結成した政党なんだ。今回は現役会社員ライターのけさまると一緒に立憲政友会の歴代総裁や二大政党制の成立について解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

立憲政友会結成から第一次世界大戦の時代

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立憲政友会1900年(明治33年)に伊藤博文によって結成されました。政友会の結成は官僚の政党化政党内閣二大政党制の確立など、その後の政治基盤となる制度の先駆けともいえる存在でした。

今回のテーマを押さえる上での前提として、「藩閥政治」「政党政治」「政党内閣」といった用語をまず押さえておく必要があります。一部後述していますが、まず「藩閥政治」とはいわゆる貴族階級の人々を中心とした政治体制のこと。次に藩閥政治以降に主流となる「政党政治」は同じような政治思想を持つ政治家や官僚出身者がグループ(=政党)を結成し、この政党を中心選挙活動を始めとする政治活動に参加する政治体制のこと。政党政治が政党というグループを中心に活動するのに対して藩閥政治は政党よりも個人の権力による政治活動が主流となります。そしてこの政党単位内閣を構成し執政するのが「政党内閣」なのです。

藩閥政治の時代と元老

政党政治確立されるまでの政治体制は一般的に藩閥政治と呼ばれます。これは明治維新において活躍した薩長の有力者等がそのまま権力を持ち続け、内閣総理大臣の座を含めて政治の中心にいた時代です。彼らは「元老」と呼ばれ政治を動かす際に彼らの後ろ盾不可欠でした。具体的には、立憲政友会結成した伊藤博文を始め、黒田清隆山県有朋松方正義西園寺公望等8名に加えて後に元老入りした桂太郎を加えた9名をさしますが、元老とは正式な官職名ではなくあくまで慣習的な呼称でした。

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現代では考えにくいかもしれないが、元老は現代の大臣たちのように正式な官職ではないにも関わらず、彼らの設ける元老会議の決定は閣議決定に勝る影響力を持っていたんだ。これは身分社会の象徴ともいえるだろう。

伊藤博文の政友会結成

こうした藩閥政治体制から立憲政友会という政党を結成し、政友会初代総裁となったのが伊藤博文でした。このときの伊藤の狙い「国家に従属的に協力する政党」を作ることであり、従来の政党との違いとして当時の党員たちの中には官僚出身者が多く見られました。これにより、官僚組織政党一体化が進みました。伊藤は政友会結成前にも総理大臣に就任していましたが、結成後第四次伊藤内閣を組閣します。このときの内務大臣、大蔵大臣、法務大臣を務めたのはいずれも伊藤に近しい官僚出身者でした。

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