日本で初めてノーベル化学賞を受賞した人物を知っているか?昭和56年受賞の福井謙一氏です。受賞内容はフロンティア電子理論ですが、これは大学に入れば1年生から習う内容で、あらゆる化学反応を考える上で基礎となる重要な理論なんです。
今回はこの福井謙一氏の経歴とフロンティア電子理論について、大学院では原子や分子の振る舞いについて研究した化学に詳しいライターの小春と解説していきます。

ライター/小春(KOHARU)

見た目はただの主婦だが、その正体は大阪大学大学院で化学を専攻していたバリバリの理系女子。3年間所属した研究室では理論化学も扱ったため化学反応論にはかなり詳しい。卒業後はB to Bメーカーで開発を担当し、起きている現象に「なぜ?』と疑問を持つ大切さを実感した。

福井謙一氏の人生をざっくり解説!

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1918年奈良県生まれ。1941年に京都帝国大学(現在の京都大学)の工業化学科を卒業し、1943年には24歳という若さで京都帝国大学工学部の講師になります。大学卒業後、陸軍の燃料研究所へ配属され効率のよい航空燃料の開発に従事しました。

1951年には京都大学工学部の教授になり、翌年の1952年にフロンティア軌道理論を発表しました。1981年にこのフロンティア軌道理論で日本人初のノーベル化学賞を受賞します。

「私は死ぬまでサイエンスの探検家でありたい」と話していた福井謙一氏は、1998年79歳で亡くなるまで研究にこだわり続けました。

福井謙一氏の経歴

まず初めに、福井謙一氏の経歴を紹介していきます。

昭和16年3月 京都帝国大学工学部工業化学科卒業

昭和20年3月 京都帝国大学工学部助教授

昭和23年6月  工学博士

昭和26年4月 京都大学工学部教授

昭和56年12月  ノーベル化学賞受賞

昭和57年4月 京都大学名誉教授 

平成7年9月 日本学術振興会会長

平成10年1月 死去

ファーブルに憧れた少年時代

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1918年10月4日、福井謙一氏は母の実家の奈良県生駒に生まれました。大阪に移り住んだ後も長期休みのたびに奈良の豊かな自然の中で遊んだ福井少年は、いつしか生き物が大好きになります。愛読書はファーブル昆虫期。自然の中で遊び回った福井少年は成績も優秀で、中学最後の1年は免除になったそうです。

こんなエピソードがあります。福井少年は物静かな印象の男の子でしたが、こうと決めたら徹底的に取り組む一面がありました。高校では部活に入ることが必須だったため仕方なしに剣道を選んだ福井少年ですが、運動が苦手だったために試合でも負けてばかり。そこで勉強もそっちのけにして延々と練習するようになり、その必死さは剣道の先生から「君は勝とうとする気持ちが強すぎる」とアドバイスをもらうほど。その後、試合で勝てるようになっていくそうですが、一度決めたら突き進む性格なのがよくわかるエピソードですね。

数学が好きなので化学に進んだ大学時代

実は福井謙一氏は高校まで化学があまり好きではなく、数学や物理に興味がありました。大学進学の際に福井氏の父が、遠い親戚の喜多源逸先生(当時の京都帝国大学工学部応用化学科 教授)に相談したところ「数学が好きなら、化学だ。私のところへ来させなさい」とアドバイスを受けます。

アドバイスの通り大学に入学した福井氏は、喜多先生から「基礎をやりなさい」と勧めを受けました。化学があまり好きではなかった福井氏は「化学の基礎は数学や物理だ」と解釈し、他学部の講義を受けたり図書館を利用したりして自主的に勉強を続けます。そのため、当時の化学系の学生なら勉強しないような「量子力学」といった当時最先端の物理学を習得していったのです。この基礎があったためにのちにフロンティア軌道理論を生すことができたと言えます。

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福井謙一氏はフロンティア軌道理論でノーベル化学賞を受賞した

福井謙一氏はフロンティア軌道理論でノーベル化学賞を受賞した

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分子内で反応しうる箇所がいくつもあるときに、その中のどこで反応が起きるのか?という疑問を持ったことはないでしょうか?大学以降ではこの考え方はとても重要になります。狙った化学物質を合成するためには、狙った箇所で反応を起こす必要がありますからね。

理論上、どこで反応が起きるのか?それを考えるときの全ての基礎となる考えがフロンティア軌道理論です。

フロンティア軌道理論以前の化学反応の考え方

福井氏がフロンティア軌道理論を考案する前、反応はすべて電子に富んだ部分の電子が、電子の足りない部分に向かって移動することにより引き起こされるという単純かつ極めて明快な理論「有機電子論」が主流でした

有機電子論は 1920年代から1930年ころR. ロビンソンやインゴルドらによって始められたもので、最外殻の電子が反応に寄与するといった考えが基本になっています。現在でも有機化学反応を考える上で使える理論ではありますが、全ての化学反応を説明することはできないという欠点がありました

福井氏は自らが陸軍の燃料研究所で研究していた炭化水素の反応が有機電子論では説明がつかなかったため、「この有機電子説や炭化水素の反応を全部まとめて成り立たせる法則がないものだろうか」「これら電子について、量子力学的に考えるといったいどうなるだろう?」と考えフロンティア軌道理論に辿り着きます。大学の時に趣味で勉強していた量子力学をもとに化学反応をの知識がここで役に立ったのです。

フロンティア軌道理論って?

フロンティア軌道理論をひとことでいえば「電子を渡す側のHOMOと電子を受け取る側のLUMOの相互作用が反応には重要である」ということです。反応を主に支配しているのは正電荷と負電荷の引力だ、とする有機電子論とは異なる主張だと分かるでしょうか。(HOMO、LUMOについては次に詳しく説明します)

有機電子論のように静電力が支配的であれば、分子内の電子の分布が重要で、電子の入っている分子軌道すべてが同等に反応に寄与するはずです。それに対しフロンティア軌道理論は、特定の軌道すなわちフロンティア軌道(HOMOとLUMOのこと)にのみに着目しました。

フロンティア軌道理論により、経験的だった有機化学反応を、なぜそれが起こるのか、なぜこの反応は起こらないのか、という体系的な理論を確立させることができました。経験則でのみ知られていたことに対して理由付けして体系化ができたというフロンティア軌道理論は、当時の化学界に大きな衝撃を与えたのです。

HOMOとLUMOについておさらいしながら解説

HOMOとLUMOについておさらいしながら解説

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例えば水素は1つ、炭素は4つ、酸素は6つというように原子は全て電子を持っています。電子は内側からK殻、L殻、M殻と順に入っていくことと、それぞれの電子殻に収容される電子の数が決まっていることまでは高校で習ったのではないでしょうか。

電子殻はそれぞれ違う個数の軌道を持っていて、電子はそれぞれの軌道の中で確率的に分布します。軌道というのは電子が入る部屋のようなものをイメージしてください。 1つの軌道には電子が2個まで入ることができることから、各電子殻に入ることができる電子の数が決まるのです。電子が入る順番はエネルギーが低い軌道から順なのですが、原子核に近い軌道の方が低いエネルギーと分かっています。

電子の配置をエネルギー順に並べて書いたとき、電子に占められているエネルギーの最も高い分子軌道がHOMO(最高非占有分子軌道 Highest Occupied Molecular Orbital )です。電子の入っていない最もエネルギーの低い分子軌道をLUMO(最低空分子軌道 Lowest Unoccupied Molecular Orbital)と呼んでおり、これら HOMO と LUMO をフロンティア軌道としました。たくさんある電子のうち最前線(フロンティア)に分布している電子のみが化学反応に関与するという意味で、フロンティア軌道理論といいます。

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ナフタレンの反応箇所

ナフタレンの反応箇所

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有機電子論では説明がつかずフロンティア軌道理論では説明ができる反応機構の例として、ナフタレンへの反応についてご紹介しましょう。

電子分布で言えばナフタレンの分子内の炭素原子は一様なはずなので、有機電子論的には反応選択性はどの位置の炭素原子も同じだと推測されますが、ニトロ化(NO2基を付加させる実験)するとα位の炭素原子に対して優先的に反応が起こります

そこでフロンティア軌道理論での予想をもとにナフタレンのHOMOの電子密度を計算してみると 、HOMOにある電子の存在確率はβ位よりもα位の炭素原子が大きいことが分かったのです。このようにしてフロンティア軌道理論によって、以前は説明ができなかった不思議な反応選択性の多くを説明できるようになりました。

福井謙一氏の名言と著書を紹介

最後に福井謙一氏の名言と著書のいくつかをご紹介していきます。日本人で初めてノーベル化学賞を取った福井謙一氏の名言と著書ですから、将来科学者になりたい人の心に響く言葉がたくさんありますよ。

メモしないでも覚えているような思いつきは大したものではない

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福井謙一氏の主な名言を紹介します。

「メモしないでも覚えているような思いつきは大したものではない。
メモしないと忘れてしまうような着想こそが貴重なのです。」
「時間と空間を媒介して、宇宙空間の全ては因果関係でつながっている。」
「ひとりの人間は、無限の過去、無限の未来とつながっている。」
「科学者を目指す若者に中等教育で最も励んで欲しいのは数学、特に平面幾何学である。」

科学と人間を語る

福井謙一氏の主な著書を紹介します。

フロンティア軌道法入門 有機化学への応用 (KS化学専門書)
科学の求道者―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
学問の創造 (朝日文庫)
科学と人間を語る(共同通信社)
哲学の創造―21世紀の新しい人間観を求めて(PHP研究所)

\次のページで「フロンティア軌道理論関連の教科書の紹介」を解説!/

フロンティア軌道理論関連の教科書の紹介

福井謙一氏の提唱したフロンティア軌道理論と、その考え方を用いた教科書のうち有名なものを紹介します。大学の授業で使われているものもありますよ。

フロンティア軌道論で理解する有機化学(化学同人)
フロンティア軌道法入門 有機化学への応用 (KS化学専門書)
フロンティア軌道論で化学を考える (KS化学専門書)
有機反応軌道入門―フロンティア軌道の新展開(講談社)

化学反応理論における「当たり前」を作り出した福井謙一氏

化学系の学生なら必ず勉強することになるフロンティア軌道論。生み出した福井謙一氏は数学と物理が好きで一度決めたら譲らない人物でしたが、その性格と趣味で勉強した内容が新しい理論を生み出すことに繋がりました。
今回はナフタレンだけの紹介となりましたが、興味のある方はぜひフロンティア軌道理論で説明できる化学反応について調べてたり、本を読んでみてください。

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化学理科

福井謙一氏とその功績!フロンティア軌道理論とは?阪大院卒理系ライターがわかりやすく解説!

日本で初めてノーベル化学賞を受賞した人物を知っているか?昭和56年受賞の福井謙一氏です。受賞内容はフロンティア電子理論ですが、これは大学に入れば1年生から習う内容で、あらゆる化学反応を考える上で基礎となる重要な理論なんです。
今回はこの福井謙一氏の経歴とフロンティア電子理論について、大学院では原子や分子の振る舞いについて研究した化学に詳しいライターの小春と解説していきます。

ライター/小春(KOHARU)

見た目はただの主婦だが、その正体は大阪大学大学院で化学を専攻していたバリバリの理系女子。3年間所属した研究室では理論化学も扱ったため化学反応論にはかなり詳しい。卒業後はB to Bメーカーで開発を担当し、起きている現象に「なぜ?』と疑問を持つ大切さを実感した。

福井謙一氏の人生をざっくり解説!

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1918年奈良県生まれ。1941年に京都帝国大学(現在の京都大学)の工業化学科を卒業し、1943年には24歳という若さで京都帝国大学工学部の講師になります。大学卒業後、陸軍の燃料研究所へ配属され効率のよい航空燃料の開発に従事しました。

1951年には京都大学工学部の教授になり、翌年の1952年にフロンティア軌道理論を発表しました。1981年にこのフロンティア軌道理論で日本人初のノーベル化学賞を受賞します。

「私は死ぬまでサイエンスの探検家でありたい」と話していた福井謙一氏は、1998年79歳で亡くなるまで研究にこだわり続けました。

福井謙一氏の経歴

まず初めに、福井謙一氏の経歴を紹介していきます。

昭和16年3月 京都帝国大学工学部工業化学科卒業

昭和20年3月 京都帝国大学工学部助教授

昭和23年6月  工学博士

昭和26年4月 京都大学工学部教授

昭和56年12月  ノーベル化学賞受賞

昭和57年4月 京都大学名誉教授 

平成7年9月 日本学術振興会会長

平成10年1月 死去

ファーブルに憧れた少年時代

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1918年10月4日、福井謙一氏は母の実家の奈良県生駒に生まれました。大阪に移り住んだ後も長期休みのたびに奈良の豊かな自然の中で遊んだ福井少年は、いつしか生き物が大好きになります。愛読書はファーブル昆虫期。自然の中で遊び回った福井少年は成績も優秀で、中学最後の1年は免除になったそうです。

こんなエピソードがあります。福井少年は物静かな印象の男の子でしたが、こうと決めたら徹底的に取り組む一面がありました。高校では部活に入ることが必須だったため仕方なしに剣道を選んだ福井少年ですが、運動が苦手だったために試合でも負けてばかり。そこで勉強もそっちのけにして延々と練習するようになり、その必死さは剣道の先生から「君は勝とうとする気持ちが強すぎる」とアドバイスをもらうほど。その後、試合で勝てるようになっていくそうですが、一度決めたら突き進む性格なのがよくわかるエピソードですね。

数学が好きなので化学に進んだ大学時代

実は福井謙一氏は高校まで化学があまり好きではなく、数学や物理に興味がありました。大学進学の際に福井氏の父が、遠い親戚の喜多源逸先生(当時の京都帝国大学工学部応用化学科 教授)に相談したところ「数学が好きなら、化学だ。私のところへ来させなさい」とアドバイスを受けます。

アドバイスの通り大学に入学した福井氏は、喜多先生から「基礎をやりなさい」と勧めを受けました。化学があまり好きではなかった福井氏は「化学の基礎は数学や物理だ」と解釈し、他学部の講義を受けたり図書館を利用したりして自主的に勉強を続けます。そのため、当時の化学系の学生なら勉強しないような「量子力学」といった当時最先端の物理学を習得していったのです。この基礎があったためにのちにフロンティア軌道理論を生すことができたと言えます。

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