現代社会

5分でわかる「日中平和友好条約」誰が結んだ?締結までの過程やその内容などを歴史好きライターが解説!

よぉ、桜木建二だ。今回は、日中平和友好条約について学んでいこう。

第二次世界大戦後、長らく日本と中国の国交は断絶されていた。しかし、日中平和友好条約の締結により、日本と中国の外交関係を発展させようという動きが強まったな。

日中平和友好条約を結んだ日本の総理大臣や、条約の内容・締結までの過程などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

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中華人民共和国の成立

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まずは、中華人民共和国が第二次世界大戦後に成立したときの様子を見ていきましょう。

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中華人民共和国の建国宣言

第二次世界大戦が終結すると、中国共産党と国民政府の対立が激化します。ソ連の後押しで勢い付く共産党軍が、終始国民政府軍を圧倒。蒋介石率いる国民党は、台湾に逃れました。1949(昭和24)年10月、当時の最高指導者であった毛沢東により、中華人民共和国の建国が宣言されます。

1954(昭和29)年に開かれた第1期全国人民代表大会で、中華人民共和国憲法を採択。中国共産党による一党独裁体制が事実上始まりました。毛沢東政権の足固めは進められ、三反五反運動により公務員や資本家らの腐敗・汚職を徹底的に排除。その一方で、共産党による独裁を批判した者を次々と失脚させ、その数は数十万人にも及んだとされます。

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文化大革命

反右派闘争により、批判勢力の排除に成功した毛沢東。大躍進政策を発動し、中国国内の工業や農業を発展させようと試みますが、成果は出ず。かえって数千万人規模の死者を出す大飢饉を引き起こしてしまいました。それにより、毛沢東は一時失脚することとなります。

1966(昭和41)年、新しい社会主義文化を作り上げるという大義名分で、毛沢東は文化大革命を唱えました。しかし、その実像は、毛沢東が自らの復権を画策したものです。紅衛兵と呼ばれる若者が、毛沢東の政敵を次々と攻撃。中国各地で大量虐殺が行われました。

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文化大革命は、毛沢東が死去する1976年まで続いた。新しく首相となった華国鋒は、いわゆる四人組を逮捕。失脚していた鄧小平も復活し、文化大革命の終結が宣言されたのだ。それ以降、多くの人が名誉回復を果たし、文化大革命はなかったことにされたぞ。

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第二次世界大戦後の日中関係

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では、第二次世界大戦が終戦を迎えた後の、日本と中国の関係はどうだったのでしょうか。

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