今回はジョン・ハンターという人物について解説していこう。ジョン・ハンターはイギリスの解剖学者で、解剖に使うための死体を葬儀業者から買い取ったりや、お墓から死体を掘り起こしたりして入手していたことから、奇人とも呼ばれている。彼は手に入れるためには手段を選ばない性格で、変わった人間の遺体を見つけては高値で買収したり、死後は自身を検体に用いたり、なにかとおどろおどろしいようなエピソードが多い。今回はそんな解剖学者「ジョン・ハンター」について学生時代、獣医学部で動物のことを勉強していたライターみんちが解説していこう。

ライター/みんち

学生時代、獣医学部で動物の知識を学んだ。趣味は動物園巡り。ライターとして、初心者にもわかりやすく、質のある情報を提供できるよう、日々奮闘中。

ジョン・ハンターはイギリスの解剖学者!

John Hunter by John Jackson.jpg
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今回の主人公、ジョン・ハンターはイギリスの外科医・解剖学者です。「実験医学の父」「近代外科学の祖」とも呼ばれ、医学の発展に大きな功績を残しました。一方で、解剖に使用する遺体を仕入れるために、賄賂(わいろ)や墓荒らしなど、非合法的な手段を使ってでも手に入れたとして奇人としても知られています。その性格ゆえに派手な話題も多く、彼にまつわる様々なエピソードがあるんですよ。今回はそんなジョン・ハンターの生涯を学んでいきましょう。

ジョン・ハンター~幼少期から医師になるまで~

ジョン・ハンターの経歴について見ていきましょう。

幼少期は勉強嫌いの問題児!

ジョン・ハンターは1728年2月13日、スコットランド南西部に位置するグラスゴーという都市の農村にハンター家の10番目の子供として生まれました。子どもの頃は読み書きが大嫌いで、外で虫や動物を追いかけて過ごしていたそうです。

性格はわがままで、学校は中退し20歳になるまで田舎で母親と農業をして暮らしていました。ジョンは資格も何も持っておらず、ニートのような暮らしをしていたため、母や姉はずいぶん手を焼いたそうですよ。

兄ウィリアムのもとで助手になる

田舎で厄介者扱いだったジョンですが、ある時、ロンドンで医師・解剖学者として働いていた10歳年上の兄ウィリアム・ハンターの元で助手として働くことになります。

ウィリアムは自身で解剖学教室を開いていたのですが、講義で使うために新鮮な死体が必要ですよね。そこで活躍したのが弟ジョン・ハンター。ウィリアムは自分の手を汚したくなかったため、弟に死体の仕入れ業務を任せたのです。

\次のページで「墓荒らし事業をして死体を収集?!」を解説!/

そのときロンドンでは墓荒らしが流行っており、ジョンは墓荒らし屋と仲良くなることで死体を手配してもらえるようになりました。彼は持ち前のトーク力と受けの良さであっという間に墓荒らし界で有名になったんですよ。

墓荒らし事業をして死体を収集?!

image by iStockphoto

そんな弟の活躍によって兄ウィリアムは1つの図版を発表しました。それは「妊娠初期から臨月直前までの子宮の解剖図」。これは当時の医学者たちにとって衝撃的でした。

なぜかというと、それまで考えられていた妊娠の概念をくつがえすものだったからです。それまでの妊娠の概念は、ギリシャ時代の学説に倣って「人間のお腹のなかには“小さいサイズの人間”が入っておりそれが大きくなって赤ちゃんが産まれる」と考えられていました。しかし、ウィリアムの発表によって「妊娠初期の赤ん坊はトカゲのような形で、成長する中で手足が生えて徐々に人間の形に形成されていく」ということが明らかになったのです。

image by Study-Z編集部

しかしそれ以上に医学者たちを驚かせたのが、妊娠中の女性の死体を多数集めたこと。当時、解剖には死刑囚の遺体を使うしかありませんでしたが、妊娠中の女性だけは特別に死刑にしてはいけないという決まりがありました。そのため、妊娠中の女性の死体は仕入れるのが難しかったんですね

しかし、ジョンは死体を葬儀社から買い取ったり、墓荒らしに金を握らせ、埋葬されたばかりの死体を掘り起こして自分に届けさせました。こうして妊娠女性の死体のサンプルを30以上も手に入れたんですよ。

次第にジョンは死体の仕入れ業務だけでなく、兄の解剖の手伝いもするようになります。すると手先の器用さを発揮し、死体の解体や腑分け、血管などの細部の仕分け作業までできるようになりました。やがて兄を凌駕するほどの腕前になり、解剖教室の実技すべてを任されるようになりました

才能を認められ最高の外科医の助手に

ジョンの解剖学者としての才能を見出した兄は、大病院に勤めるウィリアム・チェゼルデンに師事させました。チェゼルデンはイギリスの外科医・解剖学者。外科手術の確立に大きな影響をおよぼした人物です。

彼が亡くなった後は同じくイギリスの外科医でガンが発がん物質によるものであることを最初に示した人物であるパーシヴァル・ポットに師事しました。

\次のページで「ジョン・ハンター~医師になったあと~」を解説!/

そして1761年、33歳の時には七年戦争に外科医として従軍しました。ちょうどその時、生涯の伴侶となるアンとも出会います。アンは上流階級の娘で、詩人としても活躍していました。収入が不安定だったこともあり、婚約には7年もの月日がかかったそうですよ。

ジョン・ハンター~医師になったあと~

image by iStockphoto

ジョン・ハンターが医師になってからを見ていきましょう。

歯の治療・研究を始める

戦争が終わり帰国後、ジョンは歯科医のジェームズ・スペンスと協力して歯の治療と研究に従事しました。そこで「ヒト歯の博物学および歯疾患の報告」を発表。するとこれが医学界で知名度をあげるきっかけとなりました。

その後もジョンの論文は解剖学と博物学の分野で評価され、1767年には王立協会フェローとなりました。王立協会フェローとは「数学・工学・医学を含む自然知識の向上への多大な貢献」をした人に対してロンドンの王立協会から贈られる称号のこと

1768年には兄ウィリアムの助けもあって聖ジョージ病院の常勤外科医となり、実習生たちからは大変な人気を浴びていたそうですよ。その4年後には自宅で解剖講座を開くほどになりました。

手に入れるためには手段を選ばない!

もともと研究熱心だったジョンですが、このあたりからさらに没頭します。さまざまな逸話が生まれるんですよ。

その1つに、当時ロンドンで注目を集めていた、身長が249センチもある巨人症のチャールズ・バーンという人物の話があります。ジョンは彼の標本を作るために人を雇って、彼がいつ死ぬかの見張りをさせていたそうですよ。バーンはジョンの狙いを知ると、標本にされないように「死後は棺桶に重りをつけて海に沈めてくれ」と遺言を残したそうです。しかし、ジョンはバーンが22歳で亡くなったと聞くと、遺体を海に沈めようと運んでいた葬儀業者に金をつんで遺体を盗み出すという暴挙を行いました。彼の標本はグラスゴーのハンテリアン博物館に展示されています

ちなみにジョン・ハンターの肖像画をよ~く見ると、後方にバーンの標本が描かれているんですよ。

このようにジョンは手に入れるためなら手段を選ばない性格で、これまでも墓荒らしや賄賂などの裏ルートを駆使して特徴的な人間の標本を作製してきました。

彼の自宅には、表と裏に2つの出入り口があり、裏の入り口を使って死体の搬入・搬出を行っていたそうですよ。こうして集めた標本などのコレクションは14000点にも及びます。

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死後は自らも検体に?!

ジョンは1793年10月16日に狭心症で65年の生涯を終えました彼の弟子や学生は遺言に従い、彼の遺体の解剖を行ったそうです。その後、遺体はセント・マーティンズ協会の地下納骨堂に安置されました。1879年にウェストミンスター寺院という名に改装され、新しいジョンのお墓には王立外科医師会によって「科学的外科の創始者」という銘文が贈られたそうですよ。

全ては医学の進歩のため

ここまで読んでいただきありがとうございました。今回はイギリスの奇人と言われた解剖学者ジョン・ハンターについてお話してきました。動物や人体の解剖に憑りつかれ、墓荒らしをしてまでも遺体を手に入れようとする彼の行動は、一般人から見れば常識離れしているように見えますね。しかし、当時の宗教的な風潮や考えにとらわれず、ちゃんと自分の目で確かめたいという信念は、科学の本質をついているようにも感じます。そういう意味でもジョン・ハンターは「医学の進歩のためには何が一番大切なのか」をよくわかっていた人物なのかもしれませんね。彼のコレクションはスコットランドにあるハンテリアン博物館に展示してあります。機会があれば行ってみてくださいね。

画像使用元:いらすとや

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イギリス体の仕組み・器官文化・歴史理科生物雑学

イギリスの死体盗掘人!解剖学者ジョン・ハンターとはそんな人物?数奇な生涯について獣医学部卒ライターがわかりやすく解説!

そのときロンドンでは墓荒らしが流行っており、ジョンは墓荒らし屋と仲良くなることで死体を手配してもらえるようになりました。彼は持ち前のトーク力と受けの良さであっという間に墓荒らし界で有名になったんですよ。

墓荒らし事業をして死体を収集?!

image by iStockphoto

そんな弟の活躍によって兄ウィリアムは1つの図版を発表しました。それは「妊娠初期から臨月直前までの子宮の解剖図」。これは当時の医学者たちにとって衝撃的でした。

なぜかというと、それまで考えられていた妊娠の概念をくつがえすものだったからです。それまでの妊娠の概念は、ギリシャ時代の学説に倣って「人間のお腹のなかには“小さいサイズの人間”が入っておりそれが大きくなって赤ちゃんが産まれる」と考えられていました。しかし、ウィリアムの発表によって「妊娠初期の赤ん坊はトカゲのような形で、成長する中で手足が生えて徐々に人間の形に形成されていく」ということが明らかになったのです。

image by Study-Z編集部

しかしそれ以上に医学者たちを驚かせたのが、妊娠中の女性の死体を多数集めたこと。当時、解剖には死刑囚の遺体を使うしかありませんでしたが、妊娠中の女性だけは特別に死刑にしてはいけないという決まりがありました。そのため、妊娠中の女性の死体は仕入れるのが難しかったんですね

しかし、ジョンは死体を葬儀社から買い取ったり、墓荒らしに金を握らせ、埋葬されたばかりの死体を掘り起こして自分に届けさせました。こうして妊娠女性の死体のサンプルを30以上も手に入れたんですよ。

次第にジョンは死体の仕入れ業務だけでなく、兄の解剖の手伝いもするようになります。すると手先の器用さを発揮し、死体の解体や腑分け、血管などの細部の仕分け作業までできるようになりました。やがて兄を凌駕するほどの腕前になり、解剖教室の実技すべてを任されるようになりました

才能を認められ最高の外科医の助手に

ジョンの解剖学者としての才能を見出した兄は、大病院に勤めるウィリアム・チェゼルデンに師事させました。チェゼルデンはイギリスの外科医・解剖学者。外科手術の確立に大きな影響をおよぼした人物です。

彼が亡くなった後は同じくイギリスの外科医でガンが発がん物質によるものであることを最初に示した人物であるパーシヴァル・ポットに師事しました。

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