
「居候三杯目にはそっと出し」の使い方・例文
「居候三杯目にはそっと出し」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.「どうして1番小さなケーキを選ぶの? 男の子なんだから1番大きなのを選びなさい。そんな遠慮なんかしてたら居候三杯目にはそっと出しじゃないけれど、将来自分で稼げる人間にはなれないよ。」
2. 「家は他の家のように裕福じゃないの。1人で20皿も食べるなんて信じられないわ。居候三杯目にはそっと出しのように萎縮する必要はないけれど、少しは家計のことも気にしなさい。」
本人の生まれつきの性格や家庭の雰囲気もあるのかもしれませんが、幼いころから遠慮する子と遠慮しない子、どちらもいますよね。親の立場からすれば、遠慮がちな性格の子よりもノビノビとした元気な子に育って欲しいとは思うものの家計の事情などから遠慮して欲しい場合も実際にはあるものです。
「小糠三合あるならば入り婿するな」
「居候三杯目にはそっと出し」は「他人に世話になっている居候のような人たちは、万事において遠慮がちになるものだ」という意味でしたね。親の立場からすれば、子どもに肩身の狭い、遠慮ばかりしなければならないような生き方はして欲しくないと思う人も多いでしょう。
「遠慮しなければならないようなことはするものではない」ということを表す慣用句に「小糠三合あるならば入り婿するな」(こめぬかさんごうあるならばいりむこするな)という言葉があります。「小糠三合あるならば入り婿するな」の「小糠」(こぬか)とは、いわゆる「ぬか」のことで、玄米を白米にする過程で米の表皮(ひょうひ)が細かく砕けてできる粉のことで、「小糠三合」とはわずかな価値のものを示す例えです。「小糠三合あるならば入り婿するな」は、全体で「わずかばかりの食べ物があれば、婿養子(むこようし)などにはなるものではない。」という意味です。言い換えると、「仮にわずかでも持っているものがあれば婿養子になって肩身の狭い思いはするものではない。」「きちんと独立して自身の力でやっていくべきだ」という意味も含んでいるのです。
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