この記事では「居候三杯目にはそっと出し」について解説する。

端的に言えば居候三杯目にはそっと出しの意味は「他人の家でただで世話になっている居候は遠慮がちになるものだ」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で7年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「居候三杯目にはそっと出し」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な7年目のライター、eastflower。「居候三杯目にはそっと出し」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「居候三杯目にはそっと出し」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「居候三杯目にはそっと出し」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「居候三杯目にはそっと出し」の意味は?

まずは、「居候三杯目にはそっと出し」の辞書の意味を見ていきましょう。

1. 居候三杯目にはそっと出しとは、人の家に世話になっている者は、食事のときも遠慮しがちになるということ。
出典: 故事ことわざ辞典「居候三杯目にはそっと出し」

2. 居候は万事に遠慮がちになることをいう。
出典: デジタル大辞泉(小学館)「居候三杯目にはそっと出し」

「居候三杯目にはそっと出し」(いそうろう さんばいめには そっとだし)の「居候」(いそうろう)とは、辞書で説明されている通り、他人の家で世話になって生活をおくっている人のことを指し、具体的には住居費や食費を家主に支払わず住まわせてもらっている人のことです。江戸時代や明治時代においては、「居候」は同居人の肩書として通用していたと言われています。「三杯目にはそっと出し」とは、当時は一般的にご飯は三杯食べる人が多かったようで、食費を払っていない居候の人たちは三杯目のご飯のおかわりをする際には、堂々とおかわりを要求するのではなく、控えめに、あるいは遠慮がちにおかわりしていたようですね。「居候三杯目にはそっと出し」は独立を未だ達成できていない居候たちは、万事において遠慮がちになるという慣用句なのです。

「居候三杯目にはそっと出し」の語源は?

次に「居候三杯目にはそっと出し」の語源を確認しておきましょう。

「居候三杯目にはそっと出し」という言葉がいつごろからできた言葉かというと、「居候」という同居人が出現したのは近世以降のことだと考えられています。具体的には江戸時代、明治時代以降の言葉でしょう。「居候」の「居」(い)は「居る」(いる)という動詞であり、「候」(そうろう)は、「ある」の丁寧語だったと言われていますから、「居候」の元々の意味は、「住んでいます」、「います」「おります」という意味の丁寧語だったのです。当然、他人の家にお世話になっているからには、家人に対しては気を遣うのは自然なことですが、第三者から見れば「居候」は、「肩身が狭く」、「独立心の乏しい人たち」と見えていたのかもしれませんね。

\次のページで「「居候三杯目にはそっと出し」の使い方・例文」を解説!/

「居候三杯目にはそっと出し」の使い方・例文

居候三杯目にはそっと出し」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1.「どうして1番小さなケーキを選ぶの? 男の子なんだから1番大きなのを選びなさい。そんな遠慮なんかしてたら居候三杯目にはそっと出しじゃないけれど、将来自分で稼げる人間にはなれないよ。」

2. 「家は他の家のように裕福じゃないの。1人で20皿も食べるなんて信じられないわ。居候三杯目にはそっと出しのように萎縮する必要はないけれど、少しは家計のことも気にしなさい。」

 

本人の生まれつきの性格や家庭の雰囲気もあるのかもしれませんが、幼いころから遠慮する子と遠慮しない子、どちらもいますよね。親の立場からすれば、遠慮がちな性格の子よりもノビノビとした元気な子に育って欲しいとは思うものの家計の事情などから遠慮して欲しい場合も実際にはあるものです。

「居候三杯目にはそっと出し」の類義語は?違いは?

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それでは、「居候三杯目にはそっと出し」の類義語を見ていきましょう。

「小糠三合あるならば入り婿するな」

「居候三杯目にはそっと出し」は「他人に世話になっている居候のような人たちは、万事において遠慮がちになるものだ」という意味でしたね。親の立場からすれば、子どもに肩身の狭い、遠慮ばかりしなければならないような生き方はして欲しくないと思う人も多いでしょう。

「遠慮しなければならないようなことはするものではない」ということを表す慣用句に「小糠三合あるならば入り婿するな」(こめぬかさんごうあるならばいりむこするな)という言葉があります。「小糠三合あるならば入り婿するな」の「小糠」(こぬか)とは、いわゆる「ぬか」のことで、玄米を白米にする過程で米の表皮(ひょうひ)が細かく砕けてできる粉のことで、「小糠三合」とはわずかな価値のものを示す例えです。「小糠三合あるならば入り婿するな」は、全体で「わずかばかりの食べ物があれば、婿養子(むこようし)などにはなるものではない。」という意味です。言い換えると、「仮にわずかでも持っているものがあれば婿養子になって肩身の狭い思いはするものではない。」「きちんと独立して自身の力でやっていくべきだ」という意味も含んでいるのです。

\次のページで「「居候三杯目にはそっと出し」の対義語は?」を解説!/

「居候三杯目にはそっと出し」の対義語は?

次に「居候三杯目にはそっと出し」の対義語を見ていきましょう。

「面の皮が厚い」

「居候三杯目にはそっと出し」は、「他人の家に世話になっているため食事のときなどは、控えめに遠慮がちな態度でおかわりを頼む」ということでした。考えてみると、自分は食べさせてもらっている立場だときちんと自覚した行動だと言えるかもしれませんね。対義語ではありませんが、「居候三杯目にはそっと出し」が立場をわきまえた態度だとしたら、立場もわきまえず「堂々と三杯目を要求する態度」は厚かましい態度だと言えるかもしれませんね。

そんな図太い態度をとることを意味する慣用句に「面の皮が厚い」(つらのかわがあつい)という言葉があります。「面の皮が厚い」は、「恥を恥とも思わない」「図々しい」様子を表現したいときに使われる言葉です。

「居候三杯目にはそっと出し」の英訳は?

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次に「居候三杯目にはそっと出し」の英訳を見ていきましょう。

「Beggars can't be choosers」

「居候三杯目にはそっと出し」は、家賃や食事費がタダの条件で生活させてもらっている立ち場の人は、家主たちに対して遠慮がちな態度をとるものだという意味の慣用句でしたね。やはりそこには、「お金を出す方」と「お金をだしてもらっている方」の力関係が存在するわけです。似通った英語表現があるのか捜してたところ、ピッタリとくるものは見つからなかったのですが、「提供する側」と「無償で提供される側」の関係性がよく理解できることわざがありましたのでご紹介しましょう。

「Beggars can't be choosers.」です。「Beggars」は「Beggar」(bégɚ)の複数形で、「物乞い」(ものごい)や乞食(こじき)という意味になり、「choosers」は「選ぶ」、「選択する」するという意味の動詞choose(tʃúːz)の人化された表現で、「choosers」は「選ぶ人」,「選択する人」という意味になります。例えば、「泳ぐ」の動詞は「swim」ですが、「swimmer」となれば「泳ぐ人」になるのと同じ理屈です。「Beggars can't be choosers.」は、全体で、「物乞いの人たちは選ぶ立場にはなりえない」という意味になります。

「居候三杯目にはそっと出し」を使いこなそう

この記事では「居候三杯目にはそっと出し」の意味や使い方を見てきました。「居候している人は、万事に遠慮がちになるものだ」という意味のことわざでした。長い人生の中、不況の時代で就職できなかったり、入社した会社がブラック企業で体を壊したり、いろいろなハラスメントが嫌で会社を辞めて無職になることも珍しいことではありません。誰でもが人のやっかいになることは起こりえることです。居候しなければならなくなったら世話してくれる人に感謝し、また、あなたが人を助けられる場面があればできることをしてあげたらいかがでしょうか?

 

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【慣用句】「居候三杯目にはそっと出し」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「居候三杯目にはそっと出し」について解説する。

端的に言えば居候三杯目にはそっと出しの意味は「他人の家でただで世話になっている居候は遠慮がちになるものだ」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で7年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「居候三杯目にはそっと出し」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な7年目のライター、eastflower。「居候三杯目にはそっと出し」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「居候三杯目にはそっと出し」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「居候三杯目にはそっと出し」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「居候三杯目にはそっと出し」の意味は?

まずは、「居候三杯目にはそっと出し」の辞書の意味を見ていきましょう。

1. 居候三杯目にはそっと出しとは、人の家に世話になっている者は、食事のときも遠慮しがちになるということ。
出典: 故事ことわざ辞典「居候三杯目にはそっと出し」

2. 居候は万事に遠慮がちになることをいう。
出典: デジタル大辞泉(小学館)「居候三杯目にはそっと出し」

「居候三杯目にはそっと出し」(いそうろう さんばいめには そっとだし)の「居候」(いそうろう)とは、辞書で説明されている通り、他人の家で世話になって生活をおくっている人のことを指し、具体的には住居費や食費を家主に支払わず住まわせてもらっている人のことです。江戸時代や明治時代においては、「居候」は同居人の肩書として通用していたと言われています。「三杯目にはそっと出し」とは、当時は一般的にご飯は三杯食べる人が多かったようで、食費を払っていない居候の人たちは三杯目のご飯のおかわりをする際には、堂々とおかわりを要求するのではなく、控えめに、あるいは遠慮がちにおかわりしていたようですね。「居候三杯目にはそっと出し」は独立を未だ達成できていない居候たちは、万事において遠慮がちになるという慣用句なのです。

「居候三杯目にはそっと出し」の語源は?

次に「居候三杯目にはそっと出し」の語源を確認しておきましょう。

「居候三杯目にはそっと出し」という言葉がいつごろからできた言葉かというと、「居候」という同居人が出現したのは近世以降のことだと考えられています。具体的には江戸時代、明治時代以降の言葉でしょう。「居候」の「居」(い)は「居る」(いる)という動詞であり、「候」(そうろう)は、「ある」の丁寧語だったと言われていますから、「居候」の元々の意味は、「住んでいます」、「います」「おります」という意味の丁寧語だったのです。当然、他人の家にお世話になっているからには、家人に対しては気を遣うのは自然なことですが、第三者から見れば「居候」は、「肩身が狭く」、「独立心の乏しい人たち」と見えていたのかもしれませんね。

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