今回は、野依氏の経歴とノーベル賞を受賞できた研究内容について紹介していく。大学院入学試験でも有機化学を選択したくらい、有機化学に詳しいライターの小春と一緒に解説していきます。
ライター/小春(KOHARU)
大阪大学・大学院で化学を専攻。卒業後はB to Bメーカーで開発を担当した経験を持ち、最先端の有機デバイスやセンサー開発について詳しい。結婚を機に退職した今は、子供達に身の回りの自然科学や家電の仕組みをどのように教えるか、日々考えている。
野依良治氏って何をした人?
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野依氏は1961年に京都大学工学部を卒業。同じく京都大学大学院を卒業したのち、若くして名古屋大学理学部の助教授に就任し、ハーバード大学で研究員として研究しました。この頃の研究の成果を認められ、2001年に「不斉水素化触媒反応」の業績でノーベル化学賞を受賞しました。
ノーベル賞受賞後に独立行政法人理化学研究所にて理事長を務めましたが、小保方氏らのSTAP細胞に関わる不正論文事件をきっかけに任期途中に辞任。
最近では、2021年には米国化学会より歴史的化学論文大賞を受賞し、アジア初の受賞という快挙に大きな話題となりました。
野依良治氏の経歴とは?
まずは簡単に野依氏の経歴と人物像についてご紹介します。どのようにして世界的な化学者が生まれていったのでしょうか。
ガキ大将だった少年時代、湯川博士に憧れて科学者の道へ
幼いころからとても頭が良かった野依氏は、野山をかけまわるガキ大将でした。遊び仲間からは親分のように慕われて「ノブタ」と呼ばれていました。 一方で、野依少年の成績は常にトップクラスでした。
野依少年が小学校5年生のとき、湯川博士がノーベル賞を受賞しました。野依氏はそのときの心境を次のように語っています。「小学生であった私にも、湯川博士の受賞によって、戦後の暗くみじめな時代に明るい光がさしてきたことがわかりました」。湯川博士のノーベル賞受賞をきっかけに、野依氏は科学に対して非常に興味をもつようになったのです。
ナイロンに出会い、化学と工学の道へ
ある日、野依氏は化学企業で働く父親に連れられてナイロンで作られた新製品を披露する発表会に行きました。そこでナイロンが水と石炭と空気から作られることを知り、化学の世界に魅了されます。この出会いがきっかけで野依氏は化学と工学の道に進むことを決めたのです。ちょうど石油化学などの工業化学が成長を始めた時代でした。
学部時代は麻雀とお酒にハマる
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1957年に第一志望の京都大学工学部に進学した野依氏は、大学でお酒と麻雀に出会います。4年生になり有機化学を扱う宍戸圭一教授の研究室に配属されました。化学実験はやらなければならないことも多く弱音を吐く学生も多い中、元から持っていた強靭な集中力と柔道部で鍛えた体力をもつ野依氏は簡単にはへこたれませんでした。
夜を徹して実験を続ける野依のことを周りは「鬼軍曹」と呼んでいたという噂もあります。野山を走り回っていたガキ大将が化学の世界で遂にその才能を開花させたのです。
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