平安時代日本史鎌倉時代

庶民文学の最高峰「宇治拾遺物語」の由来・内容・評価について元大学教員が5分で解説

よぉ、桜木建二だ。『宇治拾遺物語』は、平安時代の終わりに成立した世俗的な説話集。全15巻から構成され、197話が収録された。本来の形は上下の2巻だったと言われている。やさしい和文体で書かれた会話の多い生き生きとした文体が特徴的な作品だ。

平安時代の庶民文学として今でも高く評価されれている『宇治拾遺物語』について、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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hikosuke

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。平安時代にも興味があり、気になることがあったら調べている。『宇治拾遺物語』は、混沌とした社会のなかで、どのように生きればいいのか、指針を与えるような説話も多く、今の若者にも読んで欲しい作品だ。そこで今回は宇治拾遺物語について紹介する。

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『宇治拾遺物語』とはどのような作品?

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『宇治拾遺物語』の編者と作者は不詳。鎌倉時代前半の1213年から1219年ごろ、成立したのではないかと推測されています。全15巻、197話が収録されている世俗的な説話集。もともとは、上下の2巻だったと思われます。やさしい和文体で書かれた、会話の多い生き生きとした庶民文学として評価されてきました。

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『宇治拾遺物語』の書名の由来

『宇治拾遺物語』の序文には、ふたつの説が書かれています。ひとつは、「宇治大納言物語」に漏れたものを拾い集めたものとする説。「宇治大納言物語」が侍従俊貞(じじゅうとしさだ)の手もとにあり、侍従は唐名で拾遺であることから、『宇治拾遺物語』と呼ばれるようになったという説です。

そのいずれであるかは分からないとされました。この序文そのものが、編者あるいは後世の人の創作とも言われており、真偽のほどは不明です。いずれにせよ拾遺とは、漏れている作品などを拾い集めること。またそうして成立した作品のことを意味します。

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『宇治拾遺物語』が成立する以前にも、「拾遺和歌集」(藤原公任編)、「後拾遺和歌集」(藤原通俊編)、「拾遺往生伝」などが成立。『宇治拾遺物語』以降には「続拾遺和歌集」(藤原為氏)、「続後拾遺和歌集」(御子左為藤)、新拾遺和歌集(御子左為明編)などがあります。「拾遺」という題名、こんなにたくさんあるなんて興味深いですね。一度完成した作品に漏れがあると、訂正版を出したくなるのでしょう。

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『宇治拾遺物語』が成立した時期

『宇治拾遺物語』が成立した時期については諸説ありますが未確定。12世紀の終わりごろに原形が成立し、その後、補強や加筆が繰り返され、13世紀前半に成立したのではないかと考えられています。12世紀後半といえば、保元・平治の乱、平氏全盛期とその滅亡、そして源氏の時代到来の時期。13世紀にはついには武家政治が確立しました。すさまじい社会の変革期でした。

今までの貴族政治がひっくり返り、武士の時代に。人々の価値観はガラッと変わりました。庶民の間には仏教が広まり、親鸞(浄土真宗)、道元(曹洞宗)、栄西(臨済宗)などが、新しいかたちの仏教を開きました。京の都には猿楽が大流行。貴族たちは自分たちを守るために、新たな権威を必要とするようになりました。そんな時期に生まれた作品です。

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小倉百人一首が編纂されたのもこのころだ。歌論が盛んとなり「歌の家」という新しい権威が確立した。そして、文学面では様々な説話集が誕生。『宇治拾遺物語』はそのひとつというわけだ。

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