
安倍晋三はなぜ長期政権を築けた?その原因や任期中の政策などを行政書士試験合格ライターが5分でわかりやすく解説!
選挙での強さ
安定した政権を維持するためには、議会で過半数の議席数が不可欠です。2度目の安倍政権が長期となったのも、大事な選挙で勝ってきたからといえます。特に、安倍が2度目の自民党総裁となってからは3回の総選挙がありましたが、すべて自民党は300議席に迫る圧勝。公明党と合わせた議席数は安定多数となり、任期中は盤石の体制で政権を維持できました。
安倍政権下においては、経済や外交などで国益を損なったとまでいえることは起きませんでした。安定した政権運営を、有権者が支持したことが選挙結果につながったといえるでしょう。また、当時の野党が存在感を示せなかったため、消去法で自民党に投票した人も多かったようです。
2度目の総理辞任とその後の安倍晋三

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安倍晋三による2度目の政権は長きに渡りましたが、またしても終わりは突然訪れます。その時の様子と、総理辞任後の安倍晋三について見ていきましょう。
病気により再び任期の途中で総理を辞任
2020年8月、安倍晋三は総理官邸で記者会見に臨み、総理を辞任する意向であることを発表しました。持病が再び悪化し、総理の職を全うできないことをその理由として挙げています。2度目の総理就任も、病気により再び任期半ばで辞する事態となったのです。しかし、新型コロナで休みなく対応に追われたとなれば、仕方がなかったともいえるでしょう。
その翌月に自民党総裁選挙は行われ、長らく安倍内閣の官房長官として安倍を支えていた菅義偉が選ばれました。そして、安倍晋三内閣は総辞職し、代わりに菅義偉内閣が成立。安倍の総理大臣連続在職日数2822日と通算在職日数3188日は、ともに歴代総理大臣の中で最長となりました。
派閥の領袖となる
総理在職中からも、桜を見る会の問題やいわゆるモリカケ問題などで追及されていた安倍晋三。公職選挙法に抵触するおそれや、公文書の改竄疑惑などが指摘され続けていました。安倍による説明責任が果たせたかどうか定かではありませんが、すべて不起訴処分となり、捜査は終結しています。
2021(令和3)年の総選挙にも安倍は出馬し、10回目の当選を果たしました。そして、かつて所属していた派閥の会長である細田博之が衆議院議長に就任したのに伴い、安倍は派閥に復帰。後任の会長となり、安倍派が事実上発足しました。安倍の政治活動はしばらく続くと見られ、近い将来の総理再々任という可能性もないとはいえません。
短期政権が続いた反動が安倍政権を長期化させた
2000年代の日本は、小泉純一郎を除いて政権が1年ごとに交代するという異常事態に陥りました。その中には安倍晋三も含まれていましたが、彼は再び総理に返り咲きます。世論が安定した政権を望んだのに加え、2度目の安倍政権では安定した外交政策などに取り組んだ結果、7年以上も続けて政権を担当することとなったのです。重要な選挙で勝利できたのも、その要因でした。