安倍晋三はなぜ長期政権を築けた?その原因や任期中の政策などを行政書士試験合格ライターが5分でわかりやすく解説!
一度政権を手放した彼が、なぜ二度目の総理在職時には長期政権となったのか、気になる人は多いでしょう。
安倍晋三が長期政権を築けた理由や、任期中に取り組んだ政策などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
戦後生まれ初の内閣総理大臣
1993(平成5)年、安倍晋三は父・晋太郎の地盤であった山口1区から総選挙に出馬し初当選。2000(平成12)年に森喜朗内閣で内閣官房副長官、後任の小泉純一郎内閣でも内閣官房副長官を務めました。2003(平成15)年になり、自由民主党の幹事長に就任します。当時まだ40代、当選4回の衆議院議員としては異例の抜擢でした。
2005(平成17)年の第3次小泉改造内閣で官房長官として初入閣すると、翌2006(平成18)年の自民党総裁選に出馬。麻生太郎と谷垣禎一を大差で破り、第21代自民党総裁と第90代内閣総理大臣に就任しました。戦後生まれとしては初めての総理が誕生したのです。
病気により1年で辞任
安倍晋三は、首相となってすぐに中国と韓国を外遊し、中国の胡錦濤国家主席と韓国の盧武鉉大統領と会談。小泉純一郎の靖国神社参拝で懸念を示していた2か国との関係改善に努めました。他にも、1947(昭和22)年の制定以来初となる教育基本法改正を実現させ、防衛庁を防衛省に格上げするなどが行われています。
しかし、2007(平成19)年7月の参議院選挙で、自民党は過半数を下回る敗北を喫しました。すると、安倍は自民党内からも総理辞任を促されるようになります。さらに、若い頃からの持病が悪化。職務を全うできないと感じた安倍は、9月になり突如辞任を表明し、その次の日に入院しました。
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