現代社会

3分で簡単「シーメンス事件」背景となった当時の軍や政界の状況は?きっかけや影響などを歴史好きライターがわかりやすく解説

今回はシーメンス事件について学んでいこう。

シーメンス事件の発覚は、当時の内閣が総辞職に追い込まれるほどの騒動となった。軍や財界、それに政界を巡る状況が、事件の温床となったといえるでしょう。

事件の詳細や発覚したきっかけなどを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

明治末期から大正初期にかけての日本

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まずは、シーメンス事件が起こる前の、明治時代末期から大正時代にかけての日本について簡単に振り返ってみましょう。

大日本帝国憲法と帝国議会

明治維新により、幕藩体制から天皇主権となった日本。近代国家となるためには、憲法と議会が不可欠でした。そこで、伊藤博文らが憲法作成を決断。1889(明治22)年2月11日に明治天皇より大日本憲法発布の詔勅が出され、1890(明治23)年11月23日に施行されました。

大日本帝国憲法が公布されたことで、1890(明治23)年に貴族院の互選・勅選と、第1回衆議院議員総選挙が実施されました。そして、11月に貴族院と衆議院による第1回の帝国議会が開会したのです。議会が開かれた最初期は、政府が議会の意見に左右されないという超然主義を採っていました。しかし、次第に議会との連携を探るようになります。

殖産興業と富国強兵

産業の近代化も、明治以降の日本に起こった変化です。殖産興業政策により西洋から産業技術や機械を導入し、日本の産業は急激な発展を遂げました。官営鉄道や汽船など、インフラの整備も進みます。1901(明治34)年には官営八幡製鉄所が開設され、より重工業化が進みました。

殖産興業とともに明治新政府のスローガンとなったのが富国強兵でした。日本の産業が発展して外貨を獲得できるようになり、軍事力の強化が進みます。日清戦争と日露戦争で戦果を上げたことにより、日本の国際的地位は向上。日清戦争で支払われた賠償金は、軍備の拡大などに使われました。

\次のページで「シーメンス事件が発覚する前の日本の政界」を解説!/

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