現代社会

5分でわかる「菅直人」なぜ内閣は1年で総辞職した?原発との関わりや現在の状況などを行政書士試験合格ライターが解説

よぉ、桜木建二だ。今回は、菅直人元首相について学んでいこう。

彼は東日本大震災が発生した時の内閣総理大臣であったが、当時の原発事故への対応は今も評価が分かれるところだ。

内閣が1年で総辞職した理由や菅直人の現況などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

学生運動から市民運動へ

image by iStockphoto

菅直人は学生運動と市民運動出身としても有名です。まずはその時期から振り返っていきましょう。

学生運動にのめり込む

1946(昭和21)年、菅直人は山口県で生まれました。長州藩士の高杉晋作に憧れを持ち、のちに自らの内閣を「奇兵隊内閣」と名付けたほどです。菅は高校時代に父の転勤で東京に引っ越し、それ以降は東京で暮らすことになります。総理大臣経験者には珍しい理系で、東京工業大学理工学部に入学しました。

大学在学中は学生運動に没頭し、自らグループを立ち上げたほどです。発足当時は10人程度だったグループは、200人ほどにまで膨れ上がりました。そのために、卒業研究ができなくなって1年留年することに。1970(昭和45)年冬に学生結婚し、3月に大学を卒業しました。

市川房枝擁立運動

大学卒業後の菅直人は特許事務所に就職し、1年後には特許の手続きが行える弁理士の国家試験に合格しました。さらに3年後には独立し、特許事務所を開設。菅は大学卒業後も市民運動に関わりたいとの考えから、自営できる職業を志していました。実際に、東京の地価高騰問題などに関わる運動を起こしています。

市民運動の活動中に知り合ったのが、婦人運動家として名高い市川房枝でした。当時の市川は政界を引退していましたが、菅は彼女を出馬させようとグループを立ち上げます。選挙運動にも菅は尽力し、市川は見事参議院選挙に当選。それ以降、菅も政界入りを目指すようになります。

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市川房枝は、第二次世界大戦の前後で日本の婦人参政権運動を主導した人だ。彼女の頑張りがあって普通選挙法は改正され、1946(昭和21)年より女性にも選挙権が与えられたぞ。立候補できるようになった最初の選挙には出馬しなかったが、1953(昭和28)年の参議院選挙で初当選したな。87歳で当選して在職中に亡くなるまで、通算5期25年も参議院議員を勤め上げたのだ。

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