
3分で簡単「菅直人」なぜ内閣は1年で総辞職した?原発との関わりや現在の状況などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
彼は東日本大震災が発生した時の内閣総理大臣であったが、当時の原発事故への対応は今も評価が分かれるところです。
内閣が1年で総辞職した理由や菅直人の現況などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
学生運動にのめり込む
1946(昭和21)年、菅直人は山口県で生まれました。長州藩士の高杉晋作に憧れを持ち、のちに自らの内閣を「奇兵隊内閣」と名付けたほどです。菅は高校時代に父の転勤で東京に引っ越し、それ以降は東京で暮らすことになります。総理大臣経験者には珍しい理系で、東京工業大学理工学部に入学しました。
大学在学中は学生運動に没頭し、自らグループを立ち上げたほどです。発足当時は10人程度だったグループは、200人ほどにまで膨れ上がりました。そのために、卒業研究ができなくなって1年留年することに。1970(昭和45)年冬に学生結婚し、3月に大学を卒業しました。
市川房枝擁立運動
大学卒業後の菅直人は特許事務所に就職し、1年後には特許の手続きが行える弁理士の国家試験に合格しました。さらに3年後には独立し、特許事務所を開設。菅は大学卒業後も市民運動に関わりたいとの考えから、自営できる職業を志していました。実際に、東京の地価高騰問題などに関わる運動を起こしています。
市民運動の活動中に知り合ったのが、婦人運動家として名高い市川房枝でした。当時の市川は政界を引退していましたが、菅は彼女を出馬させようとグループを立ち上げます。選挙運動にも菅は尽力し、市川は見事参議院選挙に当選。それ以降、菅も政界入りを目指すようになります。
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