
そんな「ヒンドゥー教」がいつ、どうやってインドに根付いたのか。その過程や、ヒンドゥー教の特徴を今回は歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。歴史のなかでも特に古代の国家や文明、宗教に大きな関心を持つ。世界で三番目に人口の多い宗教「ヒンドゥー教」についてまとめた。
1.いつはじまった?ヒンドゥー教の成り立ち

ヒンドゥー教(ヒンズー教とも)はインドやネパールを中心に信仰される世界で三番目に人口の多い宗教で、信徒の数はなんと11億人以上とされています。世界三大宗教といわれるキリスト教が約24億人、イスラム教が約19億人、仏教が約5億人ですから、ヒンドゥー教徒は仏教徒より多いことになりますね。
そんな大きな宗教はどのようにして人々の間に広がっていったのでしょうか?
バラモン教からヒンドゥー教へ継承
「ヒンドゥー教」は、「バラモン教」の原理を受け継ぎ、紀元前300年ごろに原型ができたとされています。
「バラモン教」とは、当時ガンジス川流域に住んでいたアーリア人の宗教でした。バラモン教は、アーリアの伝承「ヴェーダ(ベーダ)」を聖典とした自然崇拝を行う多神教です。また、アーリア人がインド征服後に生じた「ヴァルナ」と「ジャーティ」という身分制度を持っていました。
身分制度の上で一番の権威を持つ、バラモン教の司祭階級「バラモン」たちはその特権などを守るために様々な規制をつくり、祭儀を重要視しています。この形式主義的なバラモン教への批判から仏教やジャイナ教が誕生したのです。そういったなかで変化を余儀なくされたバラモン教は、インド各地の土地にある民間宗教や民間信仰を吸収して民間宗教となり、「ヒンドゥー教」と呼ばれるようになりました。そのため、ヒンドゥー教にバラモン教のヴェーダ信仰や身分制度が継承されているのです。
カースト制度で分けられた身分

ヴァルナは「生まれ」を、ジャーティは「職業」を表す言葉で、その身分は世襲されていきます。ヴァルナとジャーティは後に「カースト制度」と呼ばれるインド固有の身分制度で、ヒンドゥー教とも強く結びつきました。人々は職業の世襲や身分を越えての結婚の禁止など、生活の細かいところにいたるまでの規制があり、現在においてインドの法律でカースト制は禁止されていますが、その影響は人々の間に風習が強く残っています。
このカースト制度のもとで人々は下記の四つの身分に分けられました。
最上位に置かれるバラモン教の司祭階級の「バラモン」
第二位の支配者階級で武士や王族・貴族とされる「クシャトリア」
第三位の農民や商人が属する庶民階級「ヴァイシャ」
最下位、インドの先住民ドラヴィダ人が属する隷属民「シュードラ」
また、四つの身分の下に、さらに「不可触民(パーリヤ)」と呼ばれる最下層民があります。バラモン教は清浄や穢れの概念を強く持っていたため、死やそれにまつわる仕事は穢れに触れるとして忌避していたのです。そのため、それらの仕事を担う階層を不可触民とします。不可触民は、「アウトカースト」とも言われ、差別の対象にされました。しかも、職業は世襲させられることから、被差別対象から抜け出すことはできなかったのです。
カースト制度が廃止された現在では、不可触民出身者のなかから大統領や有力な支持かが現れるなど、社会的地位の向上が見られます。
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