

今回は歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に「イスラム教」の成り立ちや特徴についてわかりやすく解説していくぞ。

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。歴史のなかでも特に古代の国家や文明、宗教に大きな関心を持つ。世界三大宗教の内のひとつ「イスラム教」についてまとめた。
1.イスラム教の成立と預言者ムハンマド
Muhammad Mahdi Karim; edited by jjron – 投稿者自身による作品, GFDL 1.2, リンクによる
「イスラム教」が歴史に登場するのは七世紀のはじめ。アラビアで「預言者ムハンマド(マホメット)」がイスラム教を成立させたところから始まります。さて、ムハンマドはどのようにしてイスラム教をつくったのでしょうか?
預言者ムハンマドの登場
570年ごろ、ムハンマドはメッカの大商人の息子として生まれました。ところが、六歳にして両親を失い叔父に育てられます。そうして、ムハンマドが40歳をこえたあと、彼はヒラという山で瞑想していたところ、天使ガブリエルがムハンマドの前に現れて神の言葉を伝えられました。
ムハンマドは天使ガブリエルから伝えられた神の啓示を他の大勢の人々にも伝えるために、神の使者、そして預言者のひとりであることを宣言し、「イスラム教」を創始しました。
また、ムハンマドは自身を「救世主」などではなく「最後の預言者」とします。「預言者」とは神様から授かった言葉を人々に伝えるもののこと。イスラム教の経典「コーラン(クルアーン)」には、ユダヤ教のモーセ、キリスト教のイエスも預言者であり、ムハンマドはその最後にして最も優れた預言者だとされています。
1.一神教
イスラム教は「唯一神アッラー」を信仰する一神教です。創始者となったムハンマドはあくまでもアッラーの言葉を人々に伝える「預言者」であって崇拝の対象ではありません。
一神教として他にも有名なのがユダヤ教とキリスト教ですね。イスラム教は、このふたつの宗教から影響を受けたとされています。
2.偶像崇拝の徹底的な否定
「偶像」とは人間の手で作った神様の像や絵のこと。イスラム教ではこの偶像を崇拝することを徹底的に否定し、禁止しています。そのため、ムハンマドの肖像などは残されていません。
一方で、キリスト教でも一時期偶像崇拝を否定する動き(聖像禁止令)がありました。しかし、布教において、言葉の通じにくい人々に布教するために神様の像や絵は非常に便利だったため、のちに復活します。
3.経典「コーラン(クルアーン)」を遵守
「コーラン」はムハンマドの死後、ムハンマドが語った神の啓示を書物としてまとめたものです。「コーラン」にはイスラム教の信者が信仰すべき六信(アッラー、天使、啓示、預言者、来世、宿命)とともに、生活規範となる五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)が記されています。
4.政教一致
政治と宗教が一体化した統治体制のこと。イスラム教の世界では、イスラム教の指導者が政治においても重要な権力を持つ体制が敷かれていました。
反対に、現代日本のように政治と宗教が分離していることを「政教分離」といいます。

メッカに生まれた「ムハンマド」が40歳のころに神の啓示を受けて創始したのが「イスラム教」だった。イスラム教の大きな特徴は四つ。「一神教」「偶像崇拝の否定」「コーランの遵守」「政教一致」だな。
迫害でメッカからメディナへ聖遷
イスラム教を創始したムハンマド。しかし、布教は最初からうまくいったわけではありません。当時のメッカに根を下ろしていたアラブ人(アラビア人)たちは部族ごとに分かれて暮らし、略奪や交易で生計を立てていました。アラブ人は古くから部族神を信仰する多神教の民です。特に保守的な商人たちは古くからの信仰を否定するムハンマドを嫌って迫害し、メッカから追い出してしまします。
それで、ムハンマドは70人の信者を連れてメディナ(メッカの北、旧名ヤスリブ)という農村へ入り、メディナをイスラム教最初の拠点としました。622年に起こったこれを「聖遷(ヒジュラ)」といい、イスラム教成立の年とされます。
また、ムハンマドはメディナでイスラム教信者の共同体「ウンマ」を作り、ウンマの人々は武装して戦闘力を持つようにまりました。
聖戦のはじまり、メッカ征服へ
イスラム教でいう「聖戦(ジハード)」とは、イスラム教徒(ムスリムともいう)を迫害する異教徒や非ムスリムとの戦いを指します。「聖戦」はイスラム教徒の義務のひとつで、もし聖戦で戦死すれば、殉教者として必ず天国へ行くことができるとされました。
ムハンマドはメッカで迫害に遭ったため、最初にメッカのクライシュ族と「聖戦」を繰り広げ、624年から七年かけてメディナとメッカで戦いが続きます。そうして630年、ムハンマドの「メッカ遠征」によって勝利を収めました。
メッカに入ったムハンマドは、アラブ人部族がそれぞれ崇拝する神々の神殿のひとつ、メッカのカーバ神殿の偶像を破壊してしまいます。しかし、意味もなく破壊したのではありません。多神教と偶像崇拝を強く否定し、イスラム教の唯一神アッラーへの服従を説いたのです。
ムハンマドの死と聖地となったエルサレム

メッカを聖地と決め、イスラム教の本格的な布教がはじまり、アラブ人部族の多くがイスラム教へと改宗していきます。
しかし、メッカ遠征からわずか二年後の632年、ムハンマドが亡くなってしまいました。ムハンマドが亡くなる時、彼は天使ガブリエルに導かれてエルサレムの神殿の岩から天馬に乗って昇天したという話があります。このことから、エルサレムはメッカ、メディナに続くイスラム教の聖地のひとつとなりました。
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