
フェミニズムの先駆け!平塚らいてうとは?その生い立ちから論旨まで現役会社員ライターが徹底わかりやすく解説!
当時与謝野晶子は欧米視察を経験したことで資本主義的社会を模範として捉え、日本においても同様の考え方を広めようとしました。現代の日本社会は資本主義で成り立っており、子どもを育てる環境としては与謝野の求める「各家庭の経済的自立により子供を育てる」という考え方が一般的となっています。一方、これを真っ向から批判したらいてうの主張はマルクス主義的フェミニズムに近しいものであると同時に、現代の不妊治療の保険適用化など、少子高齢化を国全体の社会問題ととらえる施策にも通づる主張であったと言えるでしょう。
平塚らいてうと現代のフェミニズムにおける共通点<2>
彼女の家庭は良妻賢母を良しとする家父長制度のもとに、らいてうを教育しようとしました。しかし、実際の彼女はその方針に学生時代から染まることはなく、両親の反対を押し切って経済的自立を果たし、画家志望の奥村と事実婚の末子どを儲けました。彼女のこうした生き方はまさに経済格差を超えた意識的抑圧まで含めて、それに反発する「ラディカル・フェミニズム」的生き方であると言えます。こうした彼女の生きざまこそ、フェミニズムの先駆けと言えるのではないでしょうか。
奥村と暮らすために家を出ようとする自身の心情を次のようにらいてうは語っています。
(中略)私は現行の制度に不満足な以上、そんな制度に従い、そんな法律によって是認してもらうような結婚はしたくないのです。私は夫だの妻だのという名だけにでもたまらないほどの反感をもっております。(中略)ましてその結婚が女にとって極めて不利な権利義務の規定である以上なおさらです。
(中略)尤もお母さんのおっしゃるような意味で形式的に結婚しない男女の間に子供のできるということはただ不都合なことである、恥ずべきことであるというような考をもつものでないことだけ申添えておきます。
「独立するについて両親に」一九一四年二月『青鞜』四巻二号
価値観と戦い続けた女性
平塚らいてうの一生は幼い頃から世の中と自身の価値観の違いと葛藤し続けるものでした。この葛藤が現代社会が抱える女性の社会進出やジェンダー問題の先駆けとなるものであると言えるのではないでしょうか。こうした社会の課題にはそこに意識を向ける足掛かりを作った人々の存在があるのです。