フェミニズムの先駆け!平塚らいてうとは?その生い立ちから論旨まで現役会社員ライターが徹底わかりやすく解説!
反戦・平和運動の要職就任
彼女が疎開先で終戦を迎えたのは59歳の時でした。その後憲法第9条にて出された「平和宣言」に大きく共感し、非武装国の女性として平和実現のために何ができるかを探求するため、疎開先から再び東京へ戻ります。らいてうの反戦思想の根幹には、命を生み出し育む母親が命の発展を妨げる戦争の存在を憎く思うのは当然である、との考えがありました。
同時に、平和維持のためには個々の国家が独立して互いの国を不可侵とするよりも世界連邦を創設し、1つの法治主義的国際機構を創設するべきであるとも考えていました。こうした思想に基づき、1949年に世界連邦建設同盟に加入し、常任理事を務めることとなります。こうした運動を始め、ベトナム戦争勃発時にはベトナム母と子保健センターを設立し反戦運動を進めるなど1971年に85歳で亡くなる直前まで平和維持活動に邁進しました。
平塚らいてうの活動は戦前と戦後でその内容がはっきりと分かれているのが特徴的だと指摘されることも。戦前は女性の権利獲得を目的とする活動がメインであったのに対して、戦後は反戦、平和維持のための活動へとシフトしています。一見大きく方向転換したようにも思えますが、ともに活動の根幹には「命を生み出し、育む母親たちの安寧」という理想が共通しているのです。特に、自身が母親として子育てを経験して以降「母親の権利」に関係する主張が多く発表されています。
現在のフェミニズムとの関係は?
特に戦前のらいてうの活動については、フェミニズムの先駆け的存在として認識されることが多くあります。そもそもフェミニズムとは何なのでしょうか。フェミニズムの訳として「女権拡張主義」「女性尊重主義」といったものがよく充てられます。言葉の実際の定義については各国家や地域の文化によって異なり、文脈によっては「母性擁護」「母性尊重」といった訳が適切と考えられる場合も。このように解釈の幅が広く定義しづらい部分もありますが、日本においてらいてうの活動が女性の権利獲得に貢献したことは確かでしょう。
現代におけるフェミニズム
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フェミニズムは19~20世紀初頭の参政権獲得など法的権利確立と解放を中心に展開された第一次フェミニズムと、戦後特に1960年代以降に主張されるようになった第二次フェミニズムに分かれます。現代社会で話題に上がるのは主にこの第二次フェミニズムです。根幹にあるのは家父長制度に代表される「性的抑圧からの解放」であり、この性的抑圧が何を指すのかにおいていくつかのパターンに分かれています。
主なパターンとして、経済格差を超えた意識的抑圧まで含めて考える「ラディカル・フェミニズム」、女性の無償の家事労働を前提に成り立つ資本社会を批判する「マルクス主義フェミニズム」、女性の従属を小さなはく奪とする「自由主義フェミニズム」などがあり、これらは個々に取り上げられる場合もあれば、複合的に考えられることもあるのです。
平塚らいてうと現代のフェミニズムにおける共通点<1>
前項で述べた「マルクス主義フェミニズム」は、らいてうが母性保護論争において与謝野晶子に向けて主張した「母性保護論」と非常に近い考え方であると言えます。
彼女は当時の社会状況を鑑み、男女それぞれの経済的自立の必要性を主張する与謝野に対して、現在の日本社会は朝から晩まで体を壊すほど働いても人ひとり食べていけるかどうかの状況であり、そんな中でいったいどれほどの女性が労働によって経済的自立を果たせようかと主張しました。そして、こうした状況にある以上、国家が母性保護として経済的支援をしなければ子どもを産み育てることは困難であり、母性保護がひいては子どもの保護につながると述べています。以下はその主張の一部です。
(中略)もし氏(与謝野晶子を指す)の言われる如く「未来に生るべき我が子の哺育と教育とを持続し得る経済的保障が相互の労働によって得られるだけの確信があり、それだけの財力が既に男女のいずれにも貯えられているのを待って結婚かつ分娩すべきもの(中略)」だとすれば、まず現代大多数の婦人は生涯結婚し分娩し得るときは来ないものと観念していなければなりますまい。(中略)終日駄馬の如く働いても自分ひとり食べて行くだけの費用しか得られないような、婦人の給料や賃金の安い国ではなおさらそうでなければなりません。(中略)
「母性保護の主張は依頼主義か」『婦人公論』一九一八年五月号より
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