現代社会

3分で簡単「成金」なぜ第一次世界大戦で成金が生まれた?大正時代の工業発展や社会構造の変化などを歴史好きライターがわかりやすく解説

大正時代に変化した社会の構造

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大正時代に起きた社会構造の変化は、成金の出現だけではありません。どのような変化があったのか、ここから見ていくことにしましょう。

財閥の支配と富の集中

第一次世界大戦により、日本は多額の輸出黒字を計上しました。工業が国内生産の過半数を占めるようになったのもその頃です。繊維工業など軽工業はもちろんのこと、特に重工業が発展し、日本は世界の五大国に数えられるほどの成長を遂げました。第一次世界大戦前は債務国でしたが、終戦後の1920(大正9)年には債権国に転じています。

輸出黒字による資本の集積により、銀行が経済界を支配するようになりました。銀行からの融資を受けた財閥は勢力を拡大。三井・三菱・住友・安田の四大財閥を中心とする独占資本主義が形成されました。工業地帯を中心に人口が増加するなど、富が集中することとなったのです。

インフレーションと格差の拡大

急激な工業の発展は、労働者不足を招きました。特に、熟練の技術を持つ職人は重宝されるようになり、20か月分のボーナスを支給する鉄工所もあったほどです。多額の所得を手にした者は、成金職工と呼ばれるほどでした。成金や工業に従事する者は、第一次世界大戦による恩恵を受けていました。

しかし、その恩恵は等しく行き渡りませんでした。大正時代でも、地方の農村部は江戸時代と対して変わらぬ生活を送っていたのが実態です。そして、第一次世界大戦が原因で日本でもインフレーションとなり、労働者やサラリーマンは物価高に苦しみました。一部の成金らを除き、多くの人々は経済的に困窮して、その格差が広がることになったのです。

社会運動の本格化

1918(大正7)年に起きた米騒動は、富山県の主婦たちによる米の積み出し反対に端を発したものでした。米はもちろんのこと、物価全体が暴騰し、庶民の家計を火の車にしていたのです。やがて米騒動は全国各地に広がり、参加者は100万人を超えたとされます。鎮圧には軍隊が出動するほどでした。

工業が発展したことにより、工場での労働者人口が増えました。その労働者は組合を作り、労働者の権利を主張するようになります。1920(大正9)年には、第1回のメーデーが東京の上野公園で開催されました。また、農村部でも、農業従事者による小作争議が大正時代になり増えています。

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