現代社会

3分で簡単「成金」なぜ第一次世界大戦で成金が生まれた?大正時代の工業発展や社会構造の変化などを歴史好きライターがわかりやすく解説

今回は、成金について学んでいこう。

今でも突然大金を得た者のことを成金と呼ぶが、日本史においては、特に第一次世界大戦を契機に莫大な財を成した人々のことです。

第一次世界大戦で成金が生まれた理由である日本の工業発展に加え、大正時代における社会構造の変化などを、日本史に詳しいライターのと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

趣味はスポーツ観戦や神社仏閣巡りなどと多彩。幅広い知識を駆使して様々なジャンルに対応できるwebライターとして活動中。

明治時代以降急激に発展した日本の工業

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まずは、日本の社会構造が劇的に変化した、幕末から明治にかけての移り変わりを簡単に振り返ってみましょう。

文明開化による日本の西洋化

幕末から明治にかけて、日本の社会は急激に変わりました。太陽暦が採用され、国民全員に名字が付くなど、社会制度が変化。さらに、文明開化が広まり、西洋の生活様式が取り入れられるようになったのです。西洋風または擬洋風の建築が増えたのは、顕著な例といえるでしょう。

文明開化の象徴の1つとされるガス灯は、1871(明治4)年に大阪造幣局の周辺で点灯され、1872(明治5)年には横浜で建設されました。郵便制度も、前島密の建議により1871(明治4)年より運用開始。鉄道は、新橋と横浜の間で1872(明治5)年に、関西でも1874(明治7)年に大阪と神戸の間で開通しました。

殖産興業政策とは

工業化の動きは、明治維新前の幕末からすでに見られたものです。特に薩摩藩は、西洋式の工場や軍備をいち早く取り入れていました。明治政府は富国強兵をスローガンにし、経済を発展させて軍備を強固にしようという政策を進めたのです。西洋の諸国に対抗すべく、明治政府が資本主義の産業保護と育成を推し進めたことを殖産興業政策といいます。

欧米から多くの技術者を招き入れ、西洋の産業技術の導入に努めました。官営鉄道や汽船が次々と発足。官営の富岡製糸場は、日本における紡績業の技術革新に大いに貢献しました。1901(明治34)年には官営八幡製鉄所が操業を開始し、一時は日本での製鉄の生産量の8割を占めるほどでした。

成金の出現

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明治時代から見られていた日本の工業化への動きは、大正時代になり加速します。その様子を、成金が生まれた過程とともに見ていくことにしましょう。

\次のページで「船成金の出現」を解説!/

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