今回はメディアにもよく取り上げられる竹島問題について見ていきます。竹島は島根県沖に位置する島で、日本と韓国が互いに自国の領土だとして譲らない状況が続いている島なんです。そして現在もこの問題は解決していない。こうした竹島問題について、現役会社員ライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

竹島とは

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竹島は島根県沖にある火山島。火山活動は250万年ほど前に停止し、現在は風化と浸食により男島と女島の2つの島と周辺の小さな岩礁の集合体となっています。火山岩でできた小さな島なので資源は乏しく、周辺の海域には豊かな生態系が広がっていますが、竹島の陸上はわずかに草が生えているものの樹木は生育していないため、生態系は発達していません。日韓ではこの竹島近辺の豊かな漁場を求めて互いに所有権を主張しており、現在は韓国の国家警察が常駐しています。日本人の入に関して日本政府は自粛を求めていますが、韓国人観光客は大勢訪れているというのが現状です。

〈地理〉竹島の位置

Japan Korea provisional zone J.svg
Eurodollers - Self-made SVGファイルにて作成, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

竹島が位置しているのは島根県沖の北緯37度東経132度の地点です。隠岐からの距離は158km、島根県本土からは211km離れたところにあり、韓国領である鬱陵島からの距離は88km、韓国本土からの距離も217kmと本土からの距離としては二国間のほぼ等間隔の位置にあります。島の総面積は0.21㎢で東京ドーム5個分ほどです。豊かな漁場となっている周辺の海域は対馬暖流とリマン海流が接する場所。かつてはニホンアシカの生息地でしたが、日韓の乱獲により数は激減し、現在では絶滅したと考えられています。

現在の島内

現在竹島は韓国の国家警察が常駐して監視することで実行支配しています。2005年には、日本が2月22日を「竹島の日」と定めたことに韓国政府が反発し、韓国人観光客の入島を解禁しました。

島内に入るには、「独島(=竹島)は韓国のもの」との同意書に署名が必要です。日本人であってもこれに署名すれば竹島への入島が可能となりますが、日本政府はこうした署名に日本人が署名することは後の竹島問題において日本側が不利になるとして、署名及び島への渡航を自粛するよう求めています

竹島問題の経緯

竹島問題の起源となったのは戦後の日本が連合国軍の占領下にあったとき設定されたマッカーサーラインという国領の線引きから竹島が除外されたことでした。やがて占領行政が終了するとともに、上記の線引きも解除されましたが、この3か月前に韓国側が竹島を韓国領に含む独自の国領ラインを設定し、それ以降竹島の所有権を主張。以下でその詳細を追っていきます。

戦後のマッカーサーラインと李承晩ライン

1946年1月、GHQ覚書により連合国軍の支配下にある日本が政治・行政上の権利を手放す領域が定められ、竹島はその手放す領域に含まれていました。竹島への陸上の支配はもちろん、周辺海域での日本漁船の操業停止区域にも指定されます。その後1952年1月、日本が独立回復を果たす3か月前に韓国政府李承晩ラインという独自の国領ラインを設定。そのライン内には当時日本の施政領域から外されていた竹島も含まれていました。

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サンフランシスコ平和条約締結

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やがて日本が1951年にサンフランシスコ平和条約を締結し、翌年に独立回復。その際の返還領域に関して、韓国会議の参加を表明しましたがアメリカ・イギリスから拒否され不参加となります。この会議でアメリカとイギリスはそれぞれ竹島を含む領域の線引きについてまとめた草案を提出。

アメリカ側竹島の所有権については「無記入」とし、イギリス側「韓国領」として提出しました。その後まとめられた最終一次草案では竹島所有について「無記入」で提出されます。これに対して韓国政府アメリカ竹島を韓国領とする旨の記入を要求しますが、アメリカ側は「竹島は日本領と看做す」としてこれを拒否。しかし、最終的に竹島の所有権については「無記入」のまま、日本は朝鮮の独立承認と支配権放棄に同意するサンフランシスコ平和条約に調印しました。

日本ではこのサンフランシスコ平和条約日本の領土が返還されたことで、竹島も李承晩ライン内の韓国領から日本領になったという認識が広く普及しています。しかし実際の条約では米英の竹島所有に関して草案時点での見解はあれど、正式には「無記入」。つまり「日本固有の領土」は確かに日本独立に際して返還されていますが、この「固有の領土に竹島を含める」という旨は明記されていないのです。

第一大邦丸事件

Seizure of the Japanese ships by Korean Coast Guard.JPG
不明 - 朝日新聞社「アルバム戦後15年史」より。なお、この写真は既に公表済である。, パブリック・ドメイン, リンクによる

日本が独立復帰を果たした翌年の1953年、斉州島近海で漁をしていた福岡の漁業線第一大邦丸第二大邦丸李承晩ライン侵犯したとして、韓国海軍により銃撃・拿捕される事件が発生しました。この銃撃によって第一大邦丸の漁労長被弾し重症。しかし韓国側から適切な手当てを受けられないまま、息を引き取りました。その後アメリカは事件が起きたのは公海上である旨を認めたうえで両国の仲介に入り、当時の韓国大統領であった李承晩が遺憾の意を表明するとともに第一大邦丸の釈放に応じました。

こうした韓国による日本人の抑留人数は死傷者44人を含めて4,000人近くに上り、これは日韓基本条約で李承晩ラインが廃止されるまで続きました。

日韓基本条約締結

1965年、日韓両国日韓基本条約を締結し国交正常化がアメリカの仲介の元推し進められました。この条約締結までには日韓の議論が複数回行われ、日本は当時竹島を日本固有の領土とする根拠を明示し、韓国側の不法占拠を非難しました。これに対して韓国側は十分な反論ができていたとは言い難い状況でした。その後日本と韓国は条約締結に合わせて漁業協定を結び、島周辺を「共同規制水域」として合意します。この裏では、日韓で密約が結ばれておりその中で「竹島・独島問題は、解決せざるをもって、解決したとみなす。したがって条約では触れない」との合意があったと言われています。

(イ)両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。
(ロ)しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。
(ハ)韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。
(ニ)この合意は以後も引き継いでいく

日韓の主張

上記密約日韓両国はあくまで認めていません。現状島は韓国の実行支配化にありますが互いに竹島(韓国名:独島(ドクト))を自国の領土であると主張し続け、その根拠を以下のように示そうとしています。

〈日本〉江戸時代からの漁猟海域

Part of Kaisei Nihon Yochi Rotei Zenzu.jpg
長久保赤水 (Sekisui Nagakubo, 1717-1801)[2] - 神戸大学住田文庫 (Kobe University Sumita Library)[1], パブリック・ドメイン, リンクによる

現在の竹島はかつて日本では「松島」と呼ばれていました。そして現在の鬱陵島「竹島」と呼ばれていたのです。こうした呼び名の違いはあれど、日本は古くからこの2つの島の存在を認知していました。1779年に初版が刊行された長久保赤水による「改正日本輿地路程全図(よちろていぜんず)」を始め、竹島と鬱陵島の位置を正確に記した地図多数残っています。竹島は古くから船の停泊地として利用され、周辺海域はアワビやアシカの漁猟の場でもありました。

〈日本〉条約締結の効力

前項で述べたように、サンフランシスコ平和条約において竹島の所有権については無記入となっており、条文で日本の領有権が明示されているわけではありません。但し、この条約の草案が提示された際に梁(ヤン)駐米韓国大使がアチソン米国務長官宛に竹島も日本が手放す領土として明記するよう求めたところラスク極東担当国務次官補から梁大使宛て書簡を以て以下のように回答しました。この書簡とサンフランシスコ平和条約を以て竹島戦後も正式に日本領になったと日本では認識されています。

「…(中略)ドク島,または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては,この通常無人である岩島は,我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく,1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は,かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。(中略)…」

〈韓国〉李承晩ラインの効力

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マッカーサーラインが撤廃される少し前に韓国側が提示してきた国領のライン李承晩ラインです。これは当時の韓国の大統領であった李承晩が設定したことでこの名前になりました。形式上李承晩ライン自体は1965年の日韓基本条約締結に際して解消。そもそも李承晩ラインは国際法なども関係なく一方的に設けられた線引きであり、ここに含まれている竹島もまた韓国側の一方的な国有宣言となっていますが、事実、韓国側は今も実効支配体制を継続しています。

〈韓国〉存在しない領土問題

日本は竹島問題について国際司法に則り裁判の場で竹島の領有を決めようとしていますが、これまで韓国側は裁判の場に出てきたことはなく、当然その状況では裁判も実施されません。韓国側の立場としては「竹島は韓国領であり、日本がこれに対して異論を述べたとしてもそれは揺るがないので、そもそも竹島に領土問題は存在しない」という姿勢を一貫して貫いています。

問題の現状とこれから

竹島の所有については双方譲らず、純粋に二国間で話し合っても、解決の糸口は見えないでしょう。日本古くから竹島を船舶の停泊地として利用してきました。しかし、こうした歴史に基づく根拠づけを固めていたとしても外交関係である以上、状況は刻一刻と変化するもの。そのことをふまえて我々は常に韓国に対しての異議申し立ての姿勢対外的に示し続ける必要があります。竹島の所有権に関して日本国内で明らかな根拠があったとしても行動を起こしていなければ対外的には「外交放棄」とみなされ、国際的に所有権を失う可能性があるからです。

直近の竹島問題

竹島問題はしばしば日韓の対立を過熱させる要因の一つ。直近では今年2021年11月16日韓国警察庁の長官竹島に駐在する警察官たちを激励するために竹島に上陸し、こうした状況に対して日本政府は韓国側へ厳重注意を行っています。

しかし、韓国の要人にとどまらず、竹島を訪れる韓国人の数はコロナ禍に見舞われた2020年を除いてはここ数年毎年10万人を超えているのです。こうした現状に強硬に抗議する姿勢を我々は対外的にアピールしなくてはなりません。外交の場では「実効支配体制を指をくわえて眺めていた」という事実は大きなマイナスイメージにつなってしまうからです。

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〈考察〉第三者への対外的アピールの必要性

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前項でも述べてきましたが、竹島は日韓のみで解決できるものではなく、あくまで諸外国を巻き込む外交問題。その場合、最も重要なことは「竹島が日本の固有領土であることをいかに国際社会に浸透させるか」という事です。極端な言い方をすれば歴史に基づく事実国際社会に浸透しなければ国内で温めていたところで意味を持ちません。その点では、日韓の対応を客観的に見た時、アメリカを含め諸外国に積極的にアピールを行っているのは韓国の方であると言えます。

日本は以前、韓国に対して単独で国際裁判に臨もうとしました。しかし日韓米の関係悪化を招くとしてアメリカ側から止められたことで日本は「提訴の準備をする」にとどまりました。しかし、国際的には提訴するのと準備をするのとではその宣伝効果天と地ほどの差第三者を交えての外交の方法を私たちは見直していく必要があります。

竹島問題の解決とはどういった状態か

竹島問題についてはそれ単体よりも、日韓関係全体の象徴として語られることがほとんどです。特に両国で反日・反韓思想が強くなるとその傾向はより顕著になります。前項でも述べた通り、日韓の話し合いだけでは解決は難しく、また仮にそこで一時的に解決したとしてもまた何か日韓関係が悪化するたびに取りざたされることは避けられないでしょう。竹島問題に限らず、こうした「明確な解決方法が現状見つからない外交問題」が世界には多く存在していることも事実なのです。そして、明確な解決方法がない状況下で国土を守るには、前項に述べたような日本国内の常識にとらわれない外交手法を我々は磨いていかなくてはなりません。

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現代社会

ニュースで耳にする「竹島問題」とは?問題の根源から日韓の主張まで会社員ライターが分かりやすくわかりやすく解説!

今回はメディアにもよく取り上げられる竹島問題について見ていきます。竹島は島根県沖に位置する島で、日本と韓国が互いに自国の領土だとして譲らない状況が続いている島なんです。そして現在もこの問題は解決していない。こうした竹島問題について、現役会社員ライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

竹島とは

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竹島は島根県沖にある火山島。火山活動は250万年ほど前に停止し、現在は風化と浸食により男島と女島の2つの島と周辺の小さな岩礁の集合体となっています。火山岩でできた小さな島なので資源は乏しく、周辺の海域には豊かな生態系が広がっていますが、竹島の陸上はわずかに草が生えているものの樹木は生育していないため、生態系は発達していません。日韓ではこの竹島近辺の豊かな漁場を求めて互いに所有権を主張しており、現在は韓国の国家警察が常駐しています。日本人の入に関して日本政府は自粛を求めていますが、韓国人観光客は大勢訪れているというのが現状です。

〈地理〉竹島の位置

Japan Korea provisional zone J.svg
Eurodollers – Self-made SVGファイルにて作成, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

竹島が位置しているのは島根県沖の北緯37度東経132度の地点です。隠岐からの距離は158km、島根県本土からは211km離れたところにあり、韓国領である鬱陵島からの距離は88km、韓国本土からの距離も217kmと本土からの距離としては二国間のほぼ等間隔の位置にあります。島の総面積は0.21㎢で東京ドーム5個分ほどです。豊かな漁場となっている周辺の海域は対馬暖流とリマン海流が接する場所。かつてはニホンアシカの生息地でしたが、日韓の乱獲により数は激減し、現在では絶滅したと考えられています。

現在の島内

現在竹島は韓国の国家警察が常駐して監視することで実行支配しています。2005年には、日本が2月22日を「竹島の日」と定めたことに韓国政府が反発し、韓国人観光客の入島を解禁しました。

島内に入るには、「独島(=竹島)は韓国のもの」との同意書に署名が必要です。日本人であってもこれに署名すれば竹島への入島が可能となりますが、日本政府はこうした署名に日本人が署名することは後の竹島問題において日本側が不利になるとして、署名及び島への渡航を自粛するよう求めています

竹島問題の経緯

竹島問題の起源となったのは戦後の日本が連合国軍の占領下にあったとき設定されたマッカーサーラインという国領の線引きから竹島が除外されたことでした。やがて占領行政が終了するとともに、上記の線引きも解除されましたが、この3か月前に韓国側が竹島を韓国領に含む独自の国領ラインを設定し、それ以降竹島の所有権を主張。以下でその詳細を追っていきます。

戦後のマッカーサーラインと李承晩ライン

1946年1月、GHQ覚書により連合国軍の支配下にある日本が政治・行政上の権利を手放す領域が定められ、竹島はその手放す領域に含まれていました。竹島への陸上の支配はもちろん、周辺海域での日本漁船の操業停止区域にも指定されます。その後1952年1月、日本が独立回復を果たす3か月前に韓国政府李承晩ラインという独自の国領ラインを設定。そのライン内には当時日本の施政領域から外されていた竹島も含まれていました。

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