今回は国民民主党について学んでいこう。

かつては民主党が政権を担った時期もあったのですが、その流れをくむ政党が立憲民主党と国民民主党の2つに分裂していることを疑問に思う人は多いでしょう。

そこで今回は、なぜ国民民主党は立憲民主党と距離を置いているのかや、国民民主党の成り立ち・政策などを日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

国民民主党の前身となる政党

image by iStockphoto

最初に、国民民主党の前身となる政党について見ていきましょう。そのためには、まず民主党という、かつて政権を担当した政党についてもふれておく必要があります。

民主党の成立

1993(平成5)年、日本社会党や公明党などが参加した、非自民・非共産の8党連立による細川護熙内閣が誕生。世論の期待は大きかったのですが、内部対立が表面化した結果、8党連立の枠組みは1年で瓦解します。細川内閣に続く羽田孜内閣で、早々に社会党が離脱した影響は大きいものでした。

その後成立した自民党・社会党・新党さきがけの連立からなる村山富市内閣に対抗すべく、野党となった側は合併と分裂を繰り返しました。羽田孜などのグループは、公明党や民社党の一部を取り込んで新進党を結成。やがて、新進党の一部に新党さきがけを離党した鳩山由紀夫菅直人らが合流し、1996(平成8)年に民主党を結党しました。

民主党の政権奪取

21世紀に入り、小沢一郎らが所属していた自由党などと民主党は合併。この頃から、民主党は議席数で自民党に迫るようになり、政権奪取が現実的なものとなります。2005(平成17)年の郵政民営化の是非を問う総選挙は敗れましたが、2009(平成21)年の総選挙で自民党に圧勝。鳩山由紀夫を首相とする民主党政権が樹立しました。

しかし、鳩山政権は普天間基地移設問題などで混乱した結果、1年持たずに退陣することに。続く菅直人内閣東日本大震災の対応などに手こずり、1年で総辞職しました。その後の野田佳彦内閣も内紛が続いた結果、総選挙で惨敗。民主党政権はわずか3年で幕を下ろしました

民進党へと改編

下野した後の民主党から離脱する者が相次ぎ、与党と対抗しえない状況に陥りました。2014(平成26)年の総選挙では、当時民主党代表を務めていた海江田万里が落選する始末でした。党略に苦慮した結果、維新の党との合併を決断。名前を民進党に変更して、再出発を図りました。

しかし、参議院選挙・東京都知事選挙・東京都議会議員選挙といずれも思うような結果が得られませんでした。かつて民主党代表だった岡田克也や、憲政史上2人目となる野党第一党の女性党首となった蓮舫が代表に就任するも、党勢の拡大にはつながらず。その後に代表となった前原誠司には、党運営の見直しが迫られていました。

国民民主党の誕生

image by iStockphoto

国民民主党の前身政党である民進党は、どのようにして国民民主党へと変貌したのでしょうか。その経緯を詳しく見ていきましょう。

小池百合子と希望の党が台頭

民進党が敗れた2016(平成28)年の東京都知事選挙で、勝利したのは小池百合子でした。彼女は自民党所属の衆議院議員時代に、防衛大臣や環境大臣などを歴任しています。ですが、都知事選では自民党からの推薦を得られませんでした。しかし、都知事選挙を無所属で出馬し、圧勝してみせます。

2017年になり、小池は希望の党立ち上げを発表。国政進出を目指すための足掛かりとなる政党を結成しました。それに目を付けたのが民進党です。党代表の前原誠司は、希望の党との合流を模索し始めました。

民進党から大量の離脱者

民進党と希望の党との合併協議は、2017(平成29)年の総選挙に向けて進められました。民進党からは公認候補を出さず、候補者全員が希望の党からの公認を受ける形にするなど、民進党は準備を進めていきます。しかし、希望の党の代表である小池百合子は、すべての民進党所属議員を公認するわけではないとする意思を表明しました。

これに民進党の一部議員が反発。枝野幸男を中心とするグループは、民進党から離党して立憲民主党を立ち上げました。さらに、無所属のまま立候補に踏み切る者も現れます。結局、民進党は希望の党・立憲民主党・無所属の3つに分裂。党勢を拡大させるつもりが、かえって混乱を招くこととなりました。

民進党と希望の党が合併して国民民主党が誕生

2017(平成29)年の総選挙で、希望の党が獲得した議席数は50にとどまりました。政権奪取には程遠く、民進党から分裂した立憲民主党の55すらを下回る結果に。その責任を取って小池百合子は代表を辞任し、玉木雄一郎がその後任となりました。

一方で、民進党はまだその時点で解党はしていませんでした。立憲民主党や希望の党に移籍する者もいましたが、大塚耕平を代表に据えて活動していました。しかし、2018(平成30)年になり、民進党と希望の党は合併を協議。2党は合流し、国民民主党という名前で新党を立ち上げ共同代表には玉木と大塚が就任しました。

国民民主党の特徴とは

image by iStockphoto

ところで、国民民主党の政策にはどのような特徴があるのでしょうか。特に立憲民主党と比べて見てみましょう。

\次のページで「国民民主党の政策5本柱とは?」を解説!/

国民民主党の政策5本柱とは?

国民民主党は、政策5本柱というものを公表しています。その内容は、「積極財政に転換給料が上がる経済を実現人づくりこそ国づくり国民と国土を危機から守る正直な政治をつらぬく」の5つです。

特に新型コロナ対策として、10年間で150兆円規模の緊急投資を提言。低所得者に対する最大20万円の特別給付金をうたうなど、他党と比べてもかなり積極財政を意識しています。その財源を確保するために、国民民主党は日本型ベーシックインカムの導入を政策に掲げているといってもいいでしょう。各党の政策概要などには見られない、思い切った公約となっています。

国民民主党は立憲民主党とどのように違うのか?

国民民主党と立憲民主党の違いを簡潔に言い表すと、国民民主党は中道立憲民主党はリベラル寄りとなります。これは、党の成り立ちを考えれば当然でしょう。民進党から離脱した議員の大半が、リベラル寄りの政策を信条とするグループに属していたからです。菅直人や枝野幸男らが該当します。

一方で、国民民主党は改革中道政党を標榜。穏健保守からリベラルまで包含するという立ち位置です。たとえば、立憲民主党ほど原子力発電所の廃炉に積極的とはいえません。また、国際問題では立憲民主党よりも日米同盟重視・北朝鮮の非核化早期実現を強く主張しています。似たスタンスのものもありますが、2つの党は政策に違いがあるのです。

別の路線を歩む国民民主党と立憲民主党

image by iStockphoto

国民民主党と立憲民主党の立場が違うことは説明しました。しかし、選挙を見据えて2党が接近したこともあります。果たして、2つの党はどのように歩みを進めたのでしょうか。

立憲民主党との合流構想

2019(令和元)年に行われた参議院選挙では、立憲民主党と国民民主党はともに票を伸ばせませんでした。そこで、立憲民主党から将来的な国民民主党の合流を打診されます。しかし、国民民主党内での足並みは揃わず。幾度も協議が重ねられましたが、意見はなかなかまとまりませんでした。

2020(令和2)年になり、ようやく事態が進展。民主党に合流するグループと、国民民主党に残るグループに分かれることとなります。立憲民主党の掲げる政策に賛同しない者が、合流を良しとしませんでした。結局、衆参合わせて約3分の2の議員が立憲民主党へ合流し、国民民主党所属の国会議員は10人余りに減ってしまいました

\次のページで「2021年の総選挙では協力せず」を解説!/

2021年の総選挙では協力せず

2021(令和3)年の総選挙では、野党が協力体制を取る流れに。立憲民主党・共産党・社民党・れいわ新選組の4党は、野党共闘を目指すべく、いわゆる市民連合を結成しました。しかし、党の独自色を重視した結果、国民民主党は市民連合に参加しませんでした

総選挙では4党の躍進も予想されましたが、結果は立民・共産が議席数を減らすことに。その一方で、同じ野党でも市民連合に参加しなかった日本維新の会や国民民主党が、前回以上の議席数となりました。本来は政策が他党と大きく異なる共産党が、野党共闘に加わったことに対し支持が広がらず、比例代表では立民・共産への投票を控えた有権者が多かったと考えられています。

今後予想される国民民主党の課題

image by iStockphoto

2021年の総選挙で議席数を伸ばした国民民主党。今後国会で存在感を示すには、どのようなことが必要となるのでしょうか。

他の政党との協力体制

国民民主党も、与党と同じく憲法改正に前向きとされます。日本維新の会と国民民主党との会談では、衆参両院での憲法審査会の開催を積極的に行うよう求めることで一致しました。しかし、国民民主党は憲法第9条への自衛隊の明記に賛成というわけではないため、与党とはどのように改憲に向けて協力していくのかが課題となります。

その日本維新の会も、国民民主党と政策が同じというわけではありません。たとえば、国民民主党が赤字国債の発行などによる積極財政を提言しているのに対して、日本維新の会は行財政改革による減税と予算の縮小を目指しています。2党が協力していくためには、さらに政策のすり合わせが必要となるでしょう。

党の拡大と後継人材の育成

2021(令和3)年に行われた総選挙の結果、日本維新の会と国民民主党は、それぞれ野党で第2・第3の党となりました。しかし、両党を合わせた議席数は50あまりで、総議席数465の1割強でしかありません。よって、政権を担える党となるためには、党勢の拡大が不可欠となります。

しかし、民進党や立憲民主党の例を見ると、国民民主党が安易に他の党と手を組むのは得策とはいえないでしょう。国民民主党独自の政策や党の方針などを真摯に訴え続けることが大切となります。そして、政策5本柱にもある「人づくりこそ国づくり」を実践し、次の衆院選までに国会へ送り込める人材を育成することが必要でしょう。

国民民主党は独自の政党色を保てるかが課題

国民民主党は、2021年に行われた総選挙の後、議席数で野党第3の党に躍進しました。ですが、政権奪取を狙うにはまだ党としての規模が小さいため、今後は党勢の拡大が課題となります。そのためには、国民民主党が他の党と数合わせだけの安易な協力体制を敷くのは得策とならないはずです。提言している政策を真摯に訴え続けることにより、国民民主党が政権を担える政党であることを示せるのではないでしょうか。

" /> 3分で簡単「国民民主党」なぜ立憲民主党と分裂?党の成り立ちや政策などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説 – Study-Z
現代社会

3分で簡単「国民民主党」なぜ立憲民主党と分裂?党の成り立ちや政策などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説

今回は国民民主党について学んでいこう。

かつては民主党が政権を担った時期もあったのですが、その流れをくむ政党が立憲民主党と国民民主党の2つに分裂していることを疑問に思う人は多いでしょう。

そこで今回は、なぜ国民民主党は立憲民主党と距離を置いているのかや、国民民主党の成り立ち・政策などを日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

国民民主党の前身となる政党

image by iStockphoto

最初に、国民民主党の前身となる政党について見ていきましょう。そのためには、まず民主党という、かつて政権を担当した政党についてもふれておく必要があります。

民主党の成立

1993(平成5)年、日本社会党や公明党などが参加した、非自民・非共産の8党連立による細川護熙内閣が誕生。世論の期待は大きかったのですが、内部対立が表面化した結果、8党連立の枠組みは1年で瓦解します。細川内閣に続く羽田孜内閣で、早々に社会党が離脱した影響は大きいものでした。

その後成立した自民党・社会党・新党さきがけの連立からなる村山富市内閣に対抗すべく、野党となった側は合併と分裂を繰り返しました。羽田孜などのグループは、公明党や民社党の一部を取り込んで新進党を結成。やがて、新進党の一部に新党さきがけを離党した鳩山由紀夫菅直人らが合流し、1996(平成8)年に民主党を結党しました。

民主党の政権奪取

21世紀に入り、小沢一郎らが所属していた自由党などと民主党は合併。この頃から、民主党は議席数で自民党に迫るようになり、政権奪取が現実的なものとなります。2005(平成17)年の郵政民営化の是非を問う総選挙は敗れましたが、2009(平成21)年の総選挙で自民党に圧勝。鳩山由紀夫を首相とする民主党政権が樹立しました。

しかし、鳩山政権は普天間基地移設問題などで混乱した結果、1年持たずに退陣することに。続く菅直人内閣東日本大震災の対応などに手こずり、1年で総辞職しました。その後の野田佳彦内閣も内紛が続いた結果、総選挙で惨敗。民主党政権はわずか3年で幕を下ろしました

民進党へと改編

下野した後の民主党から離脱する者が相次ぎ、与党と対抗しえない状況に陥りました。2014(平成26)年の総選挙では、当時民主党代表を務めていた海江田万里が落選する始末でした。党略に苦慮した結果、維新の党との合併を決断。名前を民進党に変更して、再出発を図りました。

しかし、参議院選挙・東京都知事選挙・東京都議会議員選挙といずれも思うような結果が得られませんでした。かつて民主党代表だった岡田克也や、憲政史上2人目となる野党第一党の女性党首となった蓮舫が代表に就任するも、党勢の拡大にはつながらず。その後に代表となった前原誠司には、党運営の見直しが迫られていました。

国民民主党の誕生

image by iStockphoto

国民民主党の前身政党である民進党は、どのようにして国民民主党へと変貌したのでしょうか。その経緯を詳しく見ていきましょう。

小池百合子と希望の党が台頭

民進党が敗れた2016(平成28)年の東京都知事選挙で、勝利したのは小池百合子でした。彼女は自民党所属の衆議院議員時代に、防衛大臣や環境大臣などを歴任しています。ですが、都知事選では自民党からの推薦を得られませんでした。しかし、都知事選挙を無所属で出馬し、圧勝してみせます。

2017年になり、小池は希望の党立ち上げを発表。国政進出を目指すための足掛かりとなる政党を結成しました。それに目を付けたのが民進党です。党代表の前原誠司は、希望の党との合流を模索し始めました。

民進党から大量の離脱者

民進党と希望の党との合併協議は、2017(平成29)年の総選挙に向けて進められました。民進党からは公認候補を出さず、候補者全員が希望の党からの公認を受ける形にするなど、民進党は準備を進めていきます。しかし、希望の党の代表である小池百合子は、すべての民進党所属議員を公認するわけではないとする意思を表明しました。

これに民進党の一部議員が反発。枝野幸男を中心とするグループは、民進党から離党して立憲民主党を立ち上げました。さらに、無所属のまま立候補に踏み切る者も現れます。結局、民進党は希望の党・立憲民主党・無所属の3つに分裂。党勢を拡大させるつもりが、かえって混乱を招くこととなりました。

民進党と希望の党が合併して国民民主党が誕生

2017(平成29)年の総選挙で、希望の党が獲得した議席数は50にとどまりました。政権奪取には程遠く、民進党から分裂した立憲民主党の55すらを下回る結果に。その責任を取って小池百合子は代表を辞任し、玉木雄一郎がその後任となりました。

一方で、民進党はまだその時点で解党はしていませんでした。立憲民主党や希望の党に移籍する者もいましたが、大塚耕平を代表に据えて活動していました。しかし、2018(平成30)年になり、民進党と希望の党は合併を協議。2党は合流し、国民民主党という名前で新党を立ち上げ共同代表には玉木と大塚が就任しました。

国民民主党の特徴とは

image by iStockphoto

ところで、国民民主党の政策にはどのような特徴があるのでしょうか。特に立憲民主党と比べて見てみましょう。

\次のページで「国民民主党の政策5本柱とは?」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: