
3分で簡単「国民民主党」なぜ立憲民主党と分裂?党の成り立ちや政策などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
かつては民主党が政権を担った時期もあったのですが、その流れをくむ政党が立憲民主党と国民民主党の2つに分裂していることを疑問に思う人は多いでしょう。
そこで今回は、なぜ国民民主党は立憲民主党と距離を置いているのかや、国民民主党の成り立ち・政策などを日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
国民民主党の前身となる政党

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最初に、国民民主党の前身となる政党について見ていきましょう。そのためには、まず民主党という、かつて政権を担当した政党についてもふれておく必要があります。
民主党の成立
1993(平成5)年、日本社会党や公明党などが参加した、非自民・非共産の8党連立による細川護熙内閣が誕生。世論の期待は大きかったのですが、内部対立が表面化した結果、8党連立の枠組みは1年で瓦解します。細川内閣に続く羽田孜内閣で、早々に社会党が離脱した影響は大きいものでした。
その後成立した自民党・社会党・新党さきがけの連立からなる村山富市内閣に対抗すべく、野党となった側は合併と分裂を繰り返しました。羽田孜などのグループは、公明党や民社党の一部を取り込んで新進党を結成。やがて、新進党の一部に新党さきがけを離党した鳩山由紀夫や菅直人らが合流し、1996(平成8)年に民主党を結党しました。
民主党の政権奪取
21世紀に入り、小沢一郎らが所属していた自由党などと民主党は合併。この頃から、民主党は議席数で自民党に迫るようになり、政権奪取が現実的なものとなります。2005(平成17)年の郵政民営化の是非を問う総選挙は敗れましたが、2009(平成21)年の総選挙で自民党に圧勝。鳩山由紀夫を首相とする民主党政権が樹立しました。
しかし、鳩山政権は普天間基地移設問題などで混乱した結果、1年持たずに退陣することに。続く菅直人内閣も東日本大震災の対応などに手こずり、1年で総辞職しました。その後の野田佳彦内閣も内紛が続いた結果、総選挙で惨敗。民主党政権はわずか3年で幕を下ろしました。
民進党へと改編
下野した後の民主党から離脱する者が相次ぎ、与党と対抗しえない状況に陥りました。2014(平成26)年の総選挙では、当時民主党代表を務めていた海江田万里が落選する始末でした。党略に苦慮した結果、維新の党との合併を決断。名前を民進党に変更して、再出発を図りました。
しかし、参議院選挙・東京都知事選挙・東京都議会議員選挙といずれも思うような結果が得られませんでした。かつて民主党代表だった岡田克也や、憲政史上2人目となる野党第一党の女性党首となった蓮舫が代表に就任するも、党勢の拡大にはつながらず。その後に代表となった前原誠司には、党運営の見直しが迫られていました。
国民民主党の誕生

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国民民主党の前身政党である民進党は、どのようにして国民民主党へと変貌したのでしょうか。その経緯を詳しく見ていきましょう。
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小池百合子と希望の党が台頭
民進党が敗れた2016(平成28)年の東京都知事選挙で、勝利したのは小池百合子でした。彼女は自民党所属の衆議院議員時代に、防衛大臣や環境大臣などを歴任しています。ですが、都知事選では自民党からの推薦を得られませんでした。しかし、都知事選挙を無所属で出馬し、圧勝してみせます。
2017年になり、小池は希望の党立ち上げを発表。国政進出を目指すための足掛かりとなる政党を結成しました。それに目を付けたのが民進党です。党代表の前原誠司は、希望の党との合流を模索し始めました。
民進党から大量の離脱者
民進党と希望の党との合併協議は、2017(平成29)年の総選挙に向けて進められました。民進党からは公認候補を出さず、候補者全員が希望の党からの公認を受ける形にするなど、民進党は準備を進めていきます。しかし、希望の党の代表である小池百合子は、すべての民進党所属議員を公認するわけではないとする意思を表明しました。
これに民進党の一部議員が反発。枝野幸男を中心とするグループは、民進党から離党して立憲民主党を立ち上げました。さらに、無所属のまま立候補に踏み切る者も現れます。結局、民進党は希望の党・立憲民主党・無所属の3つに分裂。党勢を拡大させるつもりが、かえって混乱を招くこととなりました。
民進党と希望の党が合併して国民民主党が誕生
2017(平成29)年の総選挙で、希望の党が獲得した議席数は50にとどまりました。政権奪取には程遠く、民進党から分裂した立憲民主党の55すらを下回る結果に。その責任を取って小池百合子は代表を辞任し、玉木雄一郎がその後任となりました。
一方で、民進党はまだその時点で解党はしていませんでした。立憲民主党や希望の党に移籍する者もいましたが、大塚耕平を代表に据えて活動していました。しかし、2018(平成30)年になり、民進党と希望の党は合併を協議。2党は合流し、国民民主党という名前で新党を立ち上げ、共同代表には玉木と大塚が就任しました。
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