
端的に言えば「判で押したよう」の意味は「変わり映えのしないこと」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
教師や講師としても教えることに関わってきた「やぎしち」を呼んです。一緒に「判で押したよう」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/やぎしち
雑学からビジネス文章まで手掛ける現役ライター。国語の中学・高校教諭の資格も持ち、予備校講師の経験も。言葉を大切にした文章を心掛けている。
「判で押したよう」の意味は?
「判で押したよう」には、次のような意味があります。
同じことの繰り返しで、変化のないさま。きまりきっているさま。「判で押したような生活」
出典:デジタル大辞泉(小学館)「判で押したよう」
この言葉は、「変わり映えしない・同じことを繰り返す、そのたとえ」を意味する慣用表現です。変わり映えがしないこと、それによって「退屈だ・飽き飽きしている」という意図で使われることが多くあります。そのため、この表現はまず良い意味では使われないことに留意しておきましょう。
たとえの表現であるため、「ような」と付けるのが正式な表現ですが、文章によっては「ような」を無しで「判で押した〇〇」と書かれる場合もあるようです。意味は変わりませんので、こちらにも注意してください。
詳しい語源は次の項で説明しますが、「判」とは「判子(はんこ)」のこと。たとえば、「判で押したような生活」や「判で押したような返事」と言った場合どのような意味になるでしょうか。想像しながら読んでみてくださいね。
「判で押したよう」の語源は?
次に「判で押したよう」の語源を確認しておきましょう。先に述べた通り、「判」とは「判子(はんこ)」のこと。朱肉に付けて大切な書類などに押す署名印のことですね。
判子の歴史は驚くほど古く、最古のものは紀元前7000年以上前にも遡ると言われています。本来は手で書いていたサインなどを簡単に複製できるわけですから、昔からその便利さが非常に重宝されていたことがわかるでしょう。
ですが、その判子を押す動作を、ずっと続けなければいけない…と考えたらどうでしょう。先に挙げた「判で押したような生活」なら、今日も明日も明後日も、同じ印を押し続けるような毎日で…全く変化がなくて退屈に感じてしまうはずですね。
この表現は、そんな繰り返しに対する虚無的な感じを想起させるものとして使われるようになった言葉なのです。
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