ヨーロッパの歴史ローマ帝国世界史

5分でわかる「テオドシウス1世」キリスト教を国教化?ローマ帝国の再統一したのに分裂?歴史オタクがわかりやすく解説

分裂した東西ローマ帝国の行く末

再び分裂することになったローマ帝国。

ホノリウスが治める西ローマ帝国はローマと中心としたイタリア半島やその周辺を支配していました。しかし、「ゲルマン人の大移動」の影響を受けた上、百年後の476年にゲルマン人傭兵オドアケルの謀反によって皇帝が追放され、西ローマ帝国は滅亡してしまいます。

一方、東ローマ帝国はゲルマン人の影響を受けつつも、西ローマ帝国ほどの被害はありません。それどころか、六世紀のユスティニアヌス帝の時代には全盛期のローマ帝国ほどの領土を持ち直し、最盛期を迎えました。最盛期後は再び領土を縮小、国内ではギリシャ化が進み、公用語もギリシャ語へ、そして国名もローマ帝国から「ビザンツ帝国」と呼ばれるようになっていきます。

ビザンツ帝国の滅亡は1453年。定刻の東に位置するオスマン帝国によって終わりを迎えます。ローマ帝国の分裂から約1000年という長い間、存続していました。

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当時のローマ帝国は東西にそれぞれ皇帝がつき、共同統治を行っていた。テオドシウス1世は急遽東の皇帝となったわけだな。だが、ゴート人との戦いや、西で起こった謀反によって、西の支配権をも得てしまう。そうして、実質、東西のローマ帝国の統一権を持った皇帝となったわけだ。

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2.キリスト教を国教化へ

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キリスト教徒迫害の歴史

成立以来、信者を増やしてきたキリスト教。ですが、その歴史は決して楽なものではありませんでした。特にローマでは古くからローマ神話の神々を信じていましたし、さらにローマ皇帝自身も死後に神格化する、あるいはローマ皇帝自身が存命のころから神として崇拝するような政策などを行ったこともありました。

ローマは他の宗教に対して寛容で、ローマの神々へ供物を捧げたりすれば、他の宗教を信仰してもかまいませんでした。ところが、ローマ神話が多神教である一方で、キリスト教は一神教。キリスト教徒にとって祈るべき神様は一柱きり。ローマ神話の神々も皇帝も崇めることはできません。そのため、歴代の皇帝たちに受け入れられず、ひどい迫害にあいます。

特に五代目のネロ帝とその後のディオクレティアヌス帝は非常に苛烈な迫害を行いました。こうして多くの信徒が残虐な拷問を受けたりして、虐殺されてしまいます。

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迫害から公認へ

苛烈な迫害を受けたキリスト教徒たち。けれど、どんな迫害を受けようとも信者は減るどころか徐々に数を増やしていくばかり。そうして、とうとうコンスタンティヌス帝の時代となり、彼の発布した「ミラノ勅令」によってキリスト教が公認されたのです。のちにはコンスタンティヌス帝自身もキリスト教徒へと改宗します。

ここで注意したいのが、コンスタンティヌス帝はミラノ勅令でキリスト教を「公認」した、ということ。「公認」であって、決っしてキリスト教をローマ帝国の国教としたわけではないのです。また、コンスタンティヌス帝もキリスト教に改宗したからといって、ローマの神々を捨て去ったわけではありません。

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テオドシウス1世とキリスト教の国教化

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テオドシウス1世が皇帝となった当初はゴート人との戦いの真っ只中。こんな有事に宗教的な争いまで立て続けに起こっては身が持ちませんよね。

ところが、当時のキリスト教世界は混乱が続いていました。というのも、コンスタンティヌス帝がミラノ勅令でキリスト教を公認し、ローマ帝国にキリスト教が広がっていったはいいものの、その途中でキリスト教内で様々な教義が生まれていたのです。一口にキリスト教といっても、教義が統一されていなければまとまりません。コンスタンティヌス帝が325年に開いた「ニケーア公会議」ではアタナシウス派の三位一体説が正統なキリスト教の教義とされました。けれど、その後、コンスタンティヌス帝が手のひらを返してアタナシウス派を追放、さらには別の教義を主張する派閥まで現れたりと、混乱が続いていたのです。

そこで、テオドシウス1世はこの混乱を治めるべく、381年に「第一コンスタンティノープル公会議」を招集。325年のニケーア公会議で決定した「ニカイア信条」をもとに、アタナシウス派の三位一体説を補強したものを正統な教義としました。これが「カトリック教会」のはじまりです。

ちなみに、「三位一体説」というのは、「神なる父と子なるイエス、聖霊は三つの位格(ペルソナ)を持つ、一つの神だ」としたもの。三つの側面を持った一つの神だからキリスト教は一神教だということが成立しました。

さらにテオドシウス1世は、392年に「異教徒禁止令」を出して、ローマ帝国内からアタナシウス派以外の宗派や他の宗教を排斥していきます。こうして、キリスト教はローマ帝国の国教となったのでした。

国教となったことでキリスト教もまた権威ある宗教として見られることになります。

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