ヨーロッパの歴史ローマ帝国世界史

5分でわかる「テオドシウス1世」キリスト教を国教化?ローマ帝国の再統一したのに分裂?歴史オタクがわかりやすく解説

グラティアヌスの死と西ローマの運命

ハドリアヌス1世を皇帝に指名したグラティアヌスは、383年に起こった反乱で殺されてしまいます。反乱を起こしたのはマグヌス・マクシムス。彼はそのまま西ヨーロッパを手中に収め、西のローマ皇帝位を簒奪しました。

その一方、グラティアヌスと共同で西ローマを統治していたウァレンティニアヌス2世がテオドシウス1世のもとへ逃れてきます。ウァレンティニアヌス2世を保護したテオドシウス1世は、彼らの訴えに応え、マグヌス・マクシムスとの対決を決意したのです。そうして、388年。テオドシウス1世はマグヌス・マクシムスの軍を破り、ウァレンティニアヌス2世を再び皇帝の位につけることに成功したのでした。

これで西のローマ皇帝はウァレンティニアヌス2世となったはずですよね。しかし、マグヌス・マクシムスとの対決後、テオドシウス1世は西ローマの首都メディオラヌム(現在のミラノ)に留まり、西ローマの役人たちを自分の腹心と挿げ替えていきました。こうすることでテオドシウス1世はウァレンティニアヌス2世を傀儡にしたのです。

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揺れ動く西ローマの動向

テオドシウス1世の帰国後の392年。ウァレンティニアヌス2世はフランク人の軍人アルボガストによって暗殺(あるいはウァレンティニアヌス2世の自殺)されてしまいます。しかし、このアルボガストはテオドシウス1世がウァレンティニアヌス2世の監視役に置いていった、テオドシウス1世の忠臣でありました。ウァレンティニアヌス2世がいなくなり、西の皇帝が空位となってしまいます。そこでアルボガストは主人のテオドシウス1世に、テオドシウス1世の息子を西の皇帝にされてはどうか、と提案したのです。

テオドシウス1世としても、自分の息子を西の帝位につければ好都合なことも多いでしょう。けれど、テオドシウス1世はアルボガストの提案に乗らず、三ヶ月の間無視し続けたのです。ローマ帝国は広く、住んでいるのはローマ人だけではありません。皇帝がいないまま三ヶ月も経過すると、ローマ帝国内に住む他の民族たちが、これがチャンスとばかりに不穏な動きを見せ始めました。そのため、いつまでも返事を寄こさないテオドシウス1世に代わってアルボガストが元老院議員のエウゲニウスを皇帝に推薦、そのまま皇帝にしてしまいます。が、実際、エウゲニウスはアルボガストの傀儡でした。

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東西ローマの再統一

エウゲニウスを皇帝にしたアルボガスト。彼らはキリスト教徒でしたが、伝統的なローマの神々への信仰へも寛容で、神殿や祭壇の再建を行いました。しかし、キリスト教を推奨していたテオドシウス1世にしてみれば、あまり歓迎できたことではありません。それに、返事を無視しながらたいへん理不尽ですが、テオドシウス1世はエウゲニウスが皇帝になることを認めていませんでした。こうして、テオドシウス1世は西ローマのエウゲニウス、アルボガストと戦い、滅ぼしたのです。

エウゲニウスを「フリギドゥスの戦い」で破ったテオドシウス1世は、西ローマの首都メディオラヌムを制圧。ローマの元老院をも抑え込んで、息子ホノリウスを西のローマ皇帝に即位させたのでした。しかし、息子を皇帝に即位はさせましたが、テオドシウス1世はホノリウスの後見人となったため、実質的にはテオドシウス1世が西ローマをも支配していたのです。

このため、テオドシウス1世は東西ローマ帝国の再統一を果たし、両方を支配したのでした。

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広大すぎたローマ帝国

ローマ帝国は古代から征服戦争を重ね、非常に広大な領土を誇っていました。けれど、ローマの最盛期から遠ざかったとはいえ、地中海一帯をたったひとりの皇帝が治めるのには無理がありました。国境の守備に国内の反乱などが起こっても、その情報が皇帝のもとに届くにはずいぶんと時間がかかりますからね。判断を仰いでいる間に取り返しのつかないことにもなりかねません。

テオドシウス1世はローマ帝国を再統一しましたが、395年に48歳で病に倒れ、そのままなくなってしまいます。そうして、テオドシウス1世の死後、西ローマ皇帝に息子ホノリウスを、東ローマ皇帝を息子アルカディウスに指名して、ローマ帝国の東西分裂が確定となりました。

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