3分で簡単「米騒動」なぜ全国に広がった?事件の背景や社会への影響などを歴史好きライターがわかりやすく解説
大正時代はわずか15年しかないが、その間にいろいろなことが起こり、人々の心が揺り動かされた。そんな時代に起きた米騒動を知ることにより、大正時代がどのような時代だったかがうかがい知れるでしょう。
米騒動が全国に広がった原因やその時代背景、当時の社会への影響などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
- 米騒動という歴史用語について
- 基本的には1918年の日本で起きた出来事
- 明治時代の米騒動とは?
- 平成の米騒動とは?
- 米騒動の始まり
- 米騒動のきっかけは富山の漁村?
- 米騒動に関する近年の研究からの見解
- なぜ1918年の米騒動は大規模なものとなったのか?
- 第一次世界大戦後の米価暴騰
- 米価を安定させられなかった国の対応
- 寺内内閣のシベリア出兵宣言に社会が反応
- 全国的に広まった米騒動
- 上昇を続ける米価
- 主要都市でも暴動に
- 炭坑でも騒動となる
- 米騒動の収束
- 全国で多数の検挙者
- 夏の高校野球が中止に追い込まれる
- 寺内内閣が倒れて政党政治が実現
- 米騒動は当時の人々の不平不満が形となって現れたもの
この記事の目次
ライター/タケル
趣味はスポーツ観戦や神社仏閣巡りなどと多彩。幅広い知識を駆使して様々なジャンルに対応できるwebライターとして活動中。
基本的には1918年の日本で起きた出来事
米騒動とは、米の価格が異常に値上がりするのをきっかけに起こる騒動のことです。1度きりのものではなく、1890(明治23)年や1897(明治30)年にも米騒動は発生しています。しかし、一般的にいわれる米騒動は、1918(大正7)年に発生したものをおいて他にありません。この記事でも、1918年の米騒動について解説していきます。
海外でも、穀物やパンなどの価格暴騰をきっかけとする市民の抗議運動は多く発生しました。日本の場合は主食が古くから米だったので、昔から大なり小なり米の価格をめぐって騒ぎとなっていました。その中でも最も大規模で、日本全国を巻き込む事件となったのが1918年の米騒動となります。
明治時代の米騒動とは?
米騒動と呼べるものは、1890(明治23)年と1897(明治30)年にも起きています。しかし、その事実を知らない人は多いでしょう。教科書などでふれられることはほどんどないはずです。
1890年に起きたものは、1月に富山市で起きたものをはじめ、全国各地でそれぞれ起こりました。特に新潟県の佐渡島で起きたものが大きな規模でした。6月から7月にかけて、鉱夫を中心に約2000人が蜂起して、鎮圧のために軍が出動する騒動となりました。前年の凶作と、それに伴う米の価格上昇が原因となっています。
平成の米騒動とは?
1993(平成5)年に、フィリピンのピナトゥボ火山が噴火しました。そのエネルギーは凄まじく、その年の北半球全体の気温が0.5度ほど下がったとされます。日本に限っては、その年の夏は平均気温が例年より2、3度も下回りました。
冷夏・長雨と日照不足により稲作が不調となったため、全国の米の作況指数は「著しい不良」となる74を記録。米の供給が足りなくなる事態となりました。急場しのぎで米を輸入でまかないましたが、国産の米の買い占めが続く一方で、輸入米は人気がありませんでした。それらの騒動を大正時代の事案になぞらえて、「平成の米騒動」と呼ぶようになりました。
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