現代社会

5分で分かる「内藤湖南」天才と言われた人物像と関連著書の概要を会社員ライターが分かりやすく解説!

唐宋変革論

邪馬台国の論争とともに、内藤湖南を代表するのが唐宋変革論です。従来中国史を語るうえで唐宋時代とくくられることが一般的でした。しかし、彼は唐末期までは中世であり、宋以降近世であると唱えます。政治の面から見ていくと、まず宋代以降貴族政治が衰退し、変わって君主による独裁体制が築かれていきました。

中世までは貴族が政治の一端を担い君主の座もある種の政治上の共有事項でした。しかし近世には政治上の権力、責任君主に集中。これにより、貴族たちは政治に対して責任を負うことがなくなり、唐代までのように政治に心身を捧げるような人材はいなくなっていきます。文化の面においては元来、天と地ほどの差があった平民の地位の明確な境界線比較的曖昧なものになり、平民文化や娯楽が大きく発展していきましたした。こうした変化を以て宋代以降を近世であると湖南は主張したのです。

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<著書>東洋文化史

今回紹介する東洋文化史は京大名誉教授である砺波護氏が内藤湖南の書いてきた投稿記事や講演の内容を短編にまとめています。これを全二九編でテーマごとに組み合わせて構成。学術論文からの引用は抑えられているため非常に読みやすい構成となっています。

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文化の伝播の形

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文化が伝播していくことを文化の運動ととらえたうえで、湖南はこの運動にはいくつかのパターンがあると指摘しています。まず一つ目に中心から末端に向かって動く形、そして二つ目は反対に、末端から中心へ向かって動く形、この二つが石を水に投げ入れた時の波紋のように繰り返されることで文化の運動はおこり、その先で常に洗練されていくものであると論じているのです。まさに日本と中国で言えば古来前者は中国から日本への伝播、後者はその反対と言えるでしょう。そうすると例えば日本の文化について学びたいと思った時にそれだけに目を向けていると本当の姿は見えてきません。なぜなら、常に国境を越えて行き来している文化の運動こそが本質であり、その一部を切り取ってしまってはそれを本質とは言えないからです。これは歴史や哲学においても同様であり、幅広い知見を得た内藤自身の経歴が体現しています。

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日本文化の形成

内藤湖南は日本の文化形成について述べる際に豆腐とにがりに例えて説明しています。というのも、日本文化と言うものは日本で一から作られたわけではなく、かといって中国の文化を丸ごと取り入れてきたわけでもありません。豆腐ができる際にはもともと豆腐のもととなる成分は汁のなかにあって、それににがりを加えることで豆腐という固形が出来上がります。日本文化についても同様に文化として形作られる前から日本にも人々の生活や習慣があり、それが中国から新たな文化が流入することで初めて文化という形をもって我々の中で認識されるという考えです。これは文化のオリジナリティに注目しがちな我々の視点に一石を投じる意見でしょう。

また政治などにおいて流入してきた制度を模倣する際にも、日本では当時の生活や慣習に合わせて取り入れる部分が取捨選択されており、極めて高度な制度管理がなされていたと主張しています。

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湖南の崇拝する天才

湖南が天才として崇拝していたのが大阪町人学者である富永冲基という人物です。湖南は彼の著した「出定後語」を読んで敬服し、大阪で彼の著書である「翁の文」を発見した際にこれを再編纂して自費出版しています。富永は当時過激派ともとれる、仏教を批判的に研究した人物です。そして彼の優れた点は研究の中身はもちろん、その研究方法を確立させたという点にあります。

当時は研究といえば我流で何かしらの結論を導き出すことが第一であり、論理的な研究の基礎を形作り、その方法を組み立てるという事をしてきた研究者はほとんどいませんでした。富永の著書では歴史上の思想や出来事に対して、ルーツを辿ってひとまとめにするべきではないと主張。当時の時代と国民性を鑑みたうえでつながりはあれ個々の事象としてとらえて研究するべきである、という事を研究方法として論理的に説明しています。

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文化史比較

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次の項では、中国を中心に据えた東洋文化史とイギリスやアメリカを中心とした西洋文化史を比較しています。その中で述べられていることの一つが、文化的成熟と効率的かつ早熟な経済発展の対比。中国をはじめとする東アジアの文化は長い歴史、人々の営みの中で少しずつ形成されていきました。一方で欧米では文化がゆっくりと成熟していく時間がないほど急激な経済発展を遂げていき、現代に残る文化や芸術品のレベルについて東洋もしくは同じ西洋でもフランスやイタリアといった歴史の長い国には到底及ばぬと述べています。経済の発展はあくまで豊かな生活の手段であり、そこに人の内面的な文化の成熟が無くては社会が豊かになってもむなしいものだというのです。湖南は真の文化生活について下記のように述べています。

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