現代社会

5分で分かる「内藤湖南」天才と言われた人物像と関連著書の概要を会社員ライターが分かりやすく解説!

よぉ、桜木健二だ。今回取り上げるのは戦前の東洋学者内藤湖南についてだ。彼は邪馬台国論争や中国の唐宋時代区分論争において学会を二分した人物の一人。今回は内藤湖南の残した論述や講演をまとめた「東洋文化史」の内容を中心に、その思想を会社員ライターのけさまると一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

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才能あふれる人格者

内藤湖南は一八六六年、現在の秋田県で士族の家庭に生まれました。彼の東洋文化史研究については生前に刊行された単行本や、没後に全十四巻に渡って弟子たちがまとめた「内藤湖南全集」で読むことができます。その学説は当時の研究者の間で極めて斬新な視点であり、主に中国文化史の研究において新たな風をもたらしました。彼は東アジア世界の歴史から哲学まで幅広い知識を持っていましたが、他人に対しておごることなく穏やかな性格であったと言われています。

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幼少期から見せた勉学の才能

image by iStockphoto

士族の家系に生まれた湖南でしたが、幼くして戊辰戦争をきっかけにその身分をはく奪されたことで彼の生活環境は変わっていきます。五歳の時に母を亡くした湖南は九歳で小学校に入学する前に父・十湾の指導のもと漢文を学び、入学時にはすでに「論語」を読み終えていました。その後師範学校の中等科を受験し一番の成績で合格します。その半年後には高等科に欠員が生じたため編入試験を受け、一年半上の学級に飛び級という形で編入しました。歴史、政治、哲学と幅広く学ぶ中で次第に中国への関心も深めていきました。その後秋田の師範学校に入学し、関藤校長にその学力の高さを認められます。その後20歳で師範学校を卒業した湖南は秋田県内の小学校に招聘され、そこで校長職を務めました。

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当時師範学校を卒業した者は2年間、教育に携わる奉職義務があった。湖南が校長職に就いたのもこの奉職義務を全うするためだったんだ。

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