今回取り上げるレッドパージとは、戦後まもなく日本で実施されたGHQ主導の共産主義の弾圧運動のことです。当時は通称「赤狩り」とも言われ、共産党支持者であることを理由に大勢の人が企業から解雇されるなどの弾圧処置がとられたんです。今回はこのレッドパージを当時の世界情勢との関連を合わせて会社員ライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

レッドパージの背景

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戦後、連合国軍支配下の日本で実施された共産主義弾圧運動であるレッドパージ。これを日本が実施したのには当時の日本とアメリカのみならず、世界全体の情勢が大きく関係していました。当時アメリカは急拡大する中国共産党の存在をアジアの秩序を壊す脅威に感じており、日本国内においてこれに同調する勢力をそぎ落とす必要があると考えたのです。

共産主義関連の事件に触れる前に、資本主義と共産主義の関係性、及びそれぞれの支持者傾向を知っておくことも今後時事問題を理解するうえで重要。まず、今回挙がっている共産主義とは国民が労働して稼いだお金は国民全体で共有し、貧富の差を失くそうという考え方です。これを実施するにあたって政府が介入すると社会主義と呼ばれるようになります。一方資本主義とは、お金は稼いだ人の所有物であり多く稼いだ人が多く所有するという考え方で、現代の経済の主要理論となっているのです。

当時の世界情勢

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1945年以降、世界は冷戦下にありました。これはソビエト連邦を盟主とする社会主義陣営アメリカを盟主とする資本主義陣営による対立を指し、軍事や外交のみならず、文化やスポーツに至るまで影響を与えました。アジアではソビエト連邦の支援を受けた中国共産党が勢力を拡大していることに資本主義諸国は脅威を感じている状況でした。資本主義陣営に属する欧州諸国では戦争により国力が疲弊したことで共産主義勢力の拡大危惧されていきました。こうした状況より、資本主義陣営各国で共産主義弾圧の動きが活発化していったのです。

日本における共産主義

戦後の日本ではGHQ民生局(GS)を中心に民主化が推し進められ、治安維持法特別警察廃止などとともに、主要幹部が刑務所から釈放された日本共産党初めて合法的に活動ができるようになりました。しかし、その結果これまで抑圧されていた労働運動ストライキが過熱化していきました。やがてGHQ内でも主導権が当初のGSから参謀第2部(G2)に移り、共産主義の弾圧へと方針が転換されていったのです。こうした弾圧に対して各業界の労働組合員たちは様々な方法で抗議しますがその成果はなかなかうまくはいきませんでした。

ここで前提の2つ目。それは共産主義の支持者についてです。資本主義経済において共産主義を支持するのは一般的に経営者よりも労働者階級に多い傾向にあります。というのも、資本主義とは労働者が働いて生み出した利益を雇用主が多く享受できる仕組みであり、共産主義であればこれが労働者へ平等に分配されるという考え方だからです。そのため、共産主義と、雇用主に対して労働者の権利を主張する労働組合は関連付けて考えられることが多く、むしろ共産党は労働組合の強力な後ろ盾とみることができるでしょう。

\次のページで「レッドパージの概要」を解説!/

レッドパージの概要

前項の方針転換を受けてG2主導のもと、レッドパージは本格化していきます。この影響は特定の政治家のみならず、国民全体へと広がっていきました。そしてこれにより多くの人が職を失い、後にこれを不当とする裁判で戦っていくことになるのです

共産主義弾圧へ

1950年5月GHQ総司令官のマッカーサーは、共産主義が日本侵略を画策しており政党もこれに加担しているとして日本共産党非合法化を示唆します。するとこれに反発した共産党指揮下の大衆が5万人規模の決起集会を開催。連合国軍との小競り合いとなりました。この出来事は人民広場事件と呼ばれ、レッドパージ本格化のきっかけとなりました。しかし、実際にはレッドパージはGHQ内での点数稼ぎという側面があったとも言われています。つまり、どれくらいの人を追放したかがGHQ内の貢献度の指標の一つになっていたという事です。

吉田茂への書簡と共産主義者解雇

人民広場事件発生後マッカーサーは吉田茂に書簡を送り、吉田内閣は当時の共産党中央委員24人、そして共産党新聞に当たる「アカハタ」幹部17人公職追放処分とすることを閣議決定。そして「アカハタ」も同時に停刊処分となりました。マッカーサーから吉田へ複数回にわたり「共産主義分子の活動に関する書簡」が送付されました。これを受けて共産党関係者の公職追放後は報道機関等における共産党関係者、及び支持者たちの解雇が申し渡されるようになりました。これにより、最初の解雇通知だけで300人以上の報道関係者が解雇されました。

日本共産党の勢力とパージへの対応

レッドパージの渦中にいたといえる日本共産党は当時、党員が約8万5,000人、地区委員会と支持者が合わせて約6,300人程度いたとされています。団体等規制令に基づいて、彼らの名簿は間接的にGHQに提出され、これは言わばレッドパージ対象者の名簿ともいえるものでした。全労連への解散命令が下されると、日本共産党は、赤色追放に対して組織闘争で対抗しようとする「所感派」(多数派)とこれに反対する「国際派」の二部に分かれて真っ向から対立し、この対立は共産党支持者の末端まで浸透していました。こうした二部体制においては支持者らに具体的なレッドパージへの対応指示することはできず大規模な反対運動が共産党主体で行われることはパージの本格化以降はありませんでした。

解雇された人々

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1950年9月の閣議決定により、報道機関に限らず民間企業でも共産主義支持者の解雇通知が出されるようになりました。パージによって解雇された人、もしくは、正式にその形をとらずとも辞職を余儀なくされた人は公職・一般企業合わせて1万3,000人以上に上りました。その後公職追放の指令自体は1952年のサンフランシスコ平野条約により解除されましたが、日本国内においてレッドパージを受けて会社を解雇された一般の労働者が復職できることはほとんどなく、転職活動にも大きく差し支える状況でした。

\次のページで「レッドパージへの世論」を解説!/

レッドパージへの世論

こうしたレッドパージは国民全体の中に浸透していきました。当時の発生した以下の事件により、国民の中で共産主義への負のイメージが植え付けられていったことが理由として挙げられます。

国鉄三大ミステリーの真犯人説浮上

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不明 - 国際文化情報社「画報現代史 第7集」より。, パブリック・ドメイン, リンクによる

戦後間もない日本の未解決事件として「国鉄三大ミステリー」が挙げられます。これは1949年に連続して発生した国有鉄道関連の事件のこと。当時の国鉄総裁であった下山定則が轢死体となって発見された下山事件、無人列車が暴走、脱線し6人が死亡した三鷹事件、故意にレールが外され列車が脱線し死者3人をだした松川事件、以上の3事件を総称したのが「国鉄三大ミステリー」です。捜査は一時、この事件の真犯人国鉄労働組合員、及び共産党支持者ではないかとの線で進められたため世論の共産主義への不信感が高まりました。

朝鮮戦争勃発

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US Army - http://www.bevinalexander.com/korea/korean-war-photos.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる

同じころ、朝鮮戦争が勃発したことでも共産主義の脅威公然と語られるようになりました。当時の朝鮮は1948年に資本主義の大韓民国と共産主義の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という分断国家が成立したばかりであり、朝鮮戦争はこの2国間で朝鮮半島の主権をめぐっての戦争でした。北朝鮮による国境侵攻をきっかけに始まったこの戦争は他国を巻き込み、資本主義国と社会主義及び共産主義国という構図の国際紛争へと発展しました。

共産主義を取り巻く各国の対応

冷戦下の世界において共産主義との対立は当然朝鮮のみではありません。むしろ朝鮮戦争は日本のレッドパージと同様、冷戦下の影響を受けた事件の一部であると言えます。ここではレッドパージの背景と繋がる各国の動静をまとめました。

\次のページで「<中国>毛沢東率いる中国共産党の動静」を解説!/

<中国>毛沢東率いる中国共産党の動静

中国では1920年代から中国国民党中国共産党の敵対関係が続いていました。この対立は日中戦争の間は両党協力関係となり落ち着いていましたが、戦争が終結するとすぐに武力衝突へと転じました。当初は蔣介石の率いる中国国民党アメリカからの支援を受けていることもあり優勢でしたが、党内の政治の腐敗から国民の支持は失墜していきました。こうした状況から戦局は次第に毛沢東率いる中国共産党ソビエト連邦からの支援を受けて優勢へと転じていきました。アメリカを始めとする資本主義各国にとって、共産主義の毛沢東躍進は大きな脅威となりました。 

<アメリカ>赤狩りとマッカーシズム

中国共産党という一大勢力に脅威を感じたアメリカでは、国内においても共産主義者が追放されるようになり、これは通称赤狩りと呼ばれます。こうした共産党主義者の弾圧運動は共和党議員のジョセフ・マッカーシーの告発を発端としたことからマッカーシズムと呼ばれました。日本におけるレッドパージもまたこのマッカーシズム一環であったと言えるでしょう。アメリカでも共産主義者であると批判を受けたマスメディアや、映画関係者らが職を追放されました。

<考察>世界的な脅威という構図

日本におけるレッドパージは、決して日本国内の状況だけ発端として生まれたものではありません。約40年に渡って続く冷戦下の資本主義と、社会主義及び共産主義の対立構造の一環であると言えます。朝鮮戦争や中国国内の内戦など、同じような構図を持った戦争が頻発していました。こうした状況は資本主義諸国が社会主義及び共産主義を世界的な脅威として受け止め、これを抑制しようとする構図が完成されていたと言えるでしょう。そして冷戦が終結した現在でもなお、この対立構造は外交問題において大きく影響しています。

現代を生きる私たちは、こうした経済資本の考え方の違いが世界中で戦争の引き金となっているという事実を決して忘れてはいけません。武力衝突というかたちで表面化していないとしても、今なお火種は残ったまま不安定な世界情勢の中で私たちは生きているのです。

戦後日本にも存在した弾圧の歴史

我々の普段の生活では、日本国内において思想そのものを弾圧されるようなことはなく、憲法においてもこうした自由が保障されています。そのため、思想の弾圧が戦後の日本にあったと意識することは少ないでしょう。しかし、現代の日本では表立って実施されなくともメディアの報道規制などは存在しています。与えられる情報によって思想や世論が左右されているという状況はレッドパージが実施された状況と同様です。こうした歴史からも情報を正確に読み取る力は時代を問わず求められているといえるのではないでしょうか。

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現代社会

戦後日本で実施された「レッドパージ」とは?「赤狩り」とも言われた共産主義弾圧の概要や世界情勢との関連まで会社員ライターが徹底わかりやすく解説!

今回取り上げるレッドパージとは、戦後まもなく日本で実施されたGHQ主導の共産主義の弾圧運動のことです。当時は通称「赤狩り」とも言われ、共産党支持者であることを理由に大勢の人が企業から解雇されるなどの弾圧処置がとられたんです。今回はこのレッドパージを当時の世界情勢との関連を合わせて会社員ライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

レッドパージの背景

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戦後、連合国軍支配下の日本で実施された共産主義弾圧運動であるレッドパージ。これを日本が実施したのには当時の日本とアメリカのみならず、世界全体の情勢が大きく関係していました。当時アメリカは急拡大する中国共産党の存在をアジアの秩序を壊す脅威に感じており、日本国内においてこれに同調する勢力をそぎ落とす必要があると考えたのです。

共産主義関連の事件に触れる前に、資本主義と共産主義の関係性、及びそれぞれの支持者傾向を知っておくことも今後時事問題を理解するうえで重要。まず、今回挙がっている共産主義とは国民が労働して稼いだお金は国民全体で共有し、貧富の差を失くそうという考え方です。これを実施するにあたって政府が介入すると社会主義と呼ばれるようになります。一方資本主義とは、お金は稼いだ人の所有物であり多く稼いだ人が多く所有するという考え方で、現代の経済の主要理論となっているのです。

当時の世界情勢

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1945年以降、世界は冷戦下にありました。これはソビエト連邦を盟主とする社会主義陣営アメリカを盟主とする資本主義陣営による対立を指し、軍事や外交のみならず、文化やスポーツに至るまで影響を与えました。アジアではソビエト連邦の支援を受けた中国共産党が勢力を拡大していることに資本主義諸国は脅威を感じている状況でした。資本主義陣営に属する欧州諸国では戦争により国力が疲弊したことで共産主義勢力の拡大危惧されていきました。こうした状況より、資本主義陣営各国で共産主義弾圧の動きが活発化していったのです。

日本における共産主義

戦後の日本ではGHQ民生局(GS)を中心に民主化が推し進められ、治安維持法特別警察廃止などとともに、主要幹部が刑務所から釈放された日本共産党初めて合法的に活動ができるようになりました。しかし、その結果これまで抑圧されていた労働運動ストライキが過熱化していきました。やがてGHQ内でも主導権が当初のGSから参謀第2部(G2)に移り、共産主義の弾圧へと方針が転換されていったのです。こうした弾圧に対して各業界の労働組合員たちは様々な方法で抗議しますがその成果はなかなかうまくはいきませんでした。

ここで前提の2つ目。それは共産主義の支持者についてです。資本主義経済において共産主義を支持するのは一般的に経営者よりも労働者階級に多い傾向にあります。というのも、資本主義とは労働者が働いて生み出した利益を雇用主が多く享受できる仕組みであり、共産主義であればこれが労働者へ平等に分配されるという考え方だからです。そのため、共産主義と、雇用主に対して労働者の権利を主張する労働組合は関連付けて考えられることが多く、むしろ共産党は労働組合の強力な後ろ盾とみることができるでしょう。

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