現代社会

5分でわかる「高橋是清」なぜ二・二六事件の標的に?生い立ちや総理・大蔵大臣としての実績などを歴史好きライターが解説

よぉ、桜木建二だ。今回は、二・二六事件で犠牲となった、第20代内閣総理大臣の高橋是清について学んでいこう。

高橋の生涯を知ることで、明治から昭和初期の日本における政治や経済の移り変わりを知れるはずだ。

二・二六事件で高橋是清が標的となった理由に、彼の生い立ちや政治家としての実績などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/タケル

趣味はスポーツ観戦や神社仏閣巡りなどと多彩。幅広い知識を駆使して様々なジャンルに対応できるwebライターとして活動中。

波乱万丈だった若い頃の高橋是清

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まずは高橋是清の、生まれてから若い頃までを見ていきましょう。

アメリカで奴隷となる

1854年(嘉永7)年、幕府御用絵師であった川村庄右衛門の子として高橋是清は生まれます。しかし、生後まもなくして仙台藩の足軽・高橋覚治の養子となりました。その後、高橋はヘボン塾で英語を学び、後のアメリカ留学などへとつながります。ヘボンとは、現在でも使われているヘボン式ローマ字でも有名な人物です。

しかし、高橋はアメリカ留学を前に学費を着服されるなどで苦労しました。さらには、留学したホームステイ先で奴隷同然の扱いを受けています。しかし、これも留学の一環だとして高橋は耐え続けました。この1年間の努力が、のちの高橋にとって大きな武器となります。

ペルーの銀山で騙される

帰国後の高橋は、英語教師として活躍。教え子には俳人の正岡子規などがいたそうです。その後高橋は、文部省や農商務省の官僚となります。特に農商務省時代には初代特許局の局長に就任し、日本の特許制度を整備しました。

そんな高橋に、ペルーの銀山事業をやってほしいとの依頼が来ます。高橋は快諾し、官僚としての仕事を中断してまでペルーへ。しかし、ペルーの銀山はすでに廃坑となっていました。もちろん事業は失敗で、それにより高橋は、仕事も家も失ってしまう有様でした。

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アメリカの医師で宣教者だったヘボンが開いた私塾がヘボン塾だ。ヘボンが医学、彼の妻が英語を教えていたな。そのヘボン塾は今の明治学院大学やフェリス女学院大学のもととなったぞ。

高橋是清がホームレスから大臣になるまで

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一時はホームレスになった高橋是清ですが、そこから総理大臣にまで昇り詰めます。その過程を見てみましょう。

日本銀行に入行し頭角を現す

1892(明治25年)に帰国した高橋是清は無一文になりますが、伝を頼った結果、日本銀行に入行できました。その才能がすぐに認められた高橋は、翌年には早くも九州を統括する西部支店の初代店長に抜擢。1899(明治32)年には日銀副総裁にまで昇進します。

日露戦争の際には自らイギリスまで渡航。戦費の調達のため交渉に動き回りました。海外の投資家らが貸し渋る可能性は濃かったのですが、高橋は彼らを説得して公募募集に成功。戦費を確保し、そのことは日本にとって日露戦争の助けとなりました。

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