日本史鎌倉時代

保元の乱の敗者を賛美する「保元物語」のあらすじ、背景、隠されたメッセージを元大学教員が5分で解説

よぉ、桜木建二だ。保元物語は鎌倉時代の初期に生まれた軍記物語。平安時代から鎌倉時代への転換をもたらした保元物語をテーマとしている。ここでフォーカスを当てられているのは敗者たちだ。

保元物語は一体なにを描きたかったのだろうか。隠されたメッセージについて、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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hikosuke

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。平安時代にも興味があり、気になることがあったら調べている。今回のテーマは保元物語。複雑で難解なストーリーの読解にチャレンジしてみた。

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保元物語とはどんな作品?

保元・平治の乱合戦図屏風絵
不明 – 『保元・平治の乱合戦図屏風』 メトロポリタン美術館所蔵, パブリック・ドメイン, リンクによる

保元物語(ほうげんものがたり)の作者は不詳。鎌倉時代前期の承久2年(1220)年以降に成立したと推定されます。ジャンルとしては軍記物語。内容は3巻にわたります。崇徳院と後白河法皇との皇位継承争いと藤原摂関家の跡継ぎをめぐる争いの二つが重なり、これに源氏・平氏の武士が(いわゆる源平)が加わって内乱が勃発。この合戦が「保元の乱」と呼ばれ、その経緯やエピソードを記したのが保元物語です。

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保元物語の背景にあるのは貴族の衰退

この物語は平家物語とともに琵琶法師によって語り広められました。平安末期に貴族政治は衰退。天皇家内部の争いが続発します。これに源氏と平氏の武者たちが加わり、いくつもの内乱が起こりました。この源平争乱から「保元物語」「平治物語」「平家物語」「承久記」などの戦記が生れます。

これらの戦乱が起こったのは、朝廷内の皇位継承争いがとても激しかった時代。現役の天皇が実権を握るのではなく、上皇と呼ばれるリタイアした元天皇が権力を握っていました。これが「院政」。上皇は自分の息子や孫を天皇に継がせなければなりません。でも、親子であっても仲が悪かったり、兄弟でも母親が違ったりするので、争いは絶えませんでした。

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保元物語の文体は和漢混交文。和文と漢文、七語調や俗語が入り混じっている文体が特徴的です。これは、「保元物語」「平治物語」「平家物語」「承久記」の4つの軍記物語に共通するもの。最初に成立したのが保元物語。この4つの物語は一続きとして理解してもいいでしょう。

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身内の対立と憎悪を描く保元物語

天皇家の父子の対立、それに加担した武士たちの親子兄弟、身内同士が敵味方に分かれ、殺しあう悲劇が保元物語のテーマです。崇徳天皇は父である鳥羽上皇に不倫の子と疑われ、憎まれていました。そのため、積年の恨みがありました。母違いの弟が天皇(後白河天皇)になったため、崇徳が皇位を奪還しようと起こしたのが保元の乱です。そもそも、保元物語では親子の悲劇として描かれました。

皇室内の争いには、後白河の側近の僧侶信西(藤原通憲・ふじわらのみちのり)が暗躍。あることないこと後白河に吹き込み、戦を巻き起こしました。また藤原家も跡継ぎをめぐって内輪もめ。崇徳側に付いた藤原頼長は、武士たちの意見を聞く耳もなく、負け戦に持ち込みました。一方、跡継ぎ争いをした藤原忠通は後白河側に。皇室と藤原家に利用された源平の武士たちは、身内同士で殺しあいました。

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この身内同士の殺し合いは保元物語の悲劇のテーマになっている。その悲劇は平氏滅亡まで続いた。合戦がテーマだが、武勇伝ではなく悲劇というのがポイントだ。

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