若年時代は反体制運動に熱中した団塊の世代
団塊の世代は、戦争を経験していないものの、戦争の記憶が濃厚に残っている日本に生まれました。そのため反戦意識がとても高く、学生運動やデモに参加することも多々ありました。そのため「憲法第9条」に思い入れがある人も少なくありません。
インテリは毛沢東思想や反ベトナム戦争を支持
団塊の世代はこれまでの価値観に対して疑問を持ち、日本の伝統から距離をとろうとする傾向があります。団塊の世代の一部は民主主義に疑問をもち、その反動として中国の毛沢東思想に傾倒することもありました。
また、1950年代から1970年代にかけて激化したベトナム戦争に反対する立場もとります。大学生が中心となりベトナム戦争の中止を訴えるデモがたびたびおこなわれました。反戦意識が強くあらわれた音楽が流行したのもこの時代です。
フォークソングにはさまざまな種類があるが、もともとはアコースティックギターやバンジョーなどを演奏しながら歌うもの。日本では独自に発展して、引き語りをしながら権威の腐敗に怒りをぶつけるスタイルが目立つようになりました。しかしながら学生運動が停滞したあとは大手レコード会社のプロデュースのもと、大衆的な内容のフォークソングがヒット。吉田拓郎、南こうせつ、荒井由実などの人気歌手を生み出しました。
東大紛争終焉後は破壊的に行為から距離をとる
団塊の世代の反戦運動を引っ張ったのは大学に通うインテリ層です。そのメッカのひとつが東大。大学を運営する方法をめぐって、一部の学生と大学当局が対立。学生たちば大学の民主化や医学部研修生の待遇の改善などを訴えました。
東大紛争は新左翼を巻き込んで過激化。安田行動を武力行使で占拠するものの退去させられました。過激化する行為で気持ちが冷めてしまい、安田行動占拠をきっかけに、学生運動から撤退する人が続出したとも言われています。
結婚後の団塊の世代は集合住宅で生活
団塊の世代が結婚するタイミングになると住宅が不足する事態に陥ります。そこで登場したのが集合住宅。ひとつの建物にたくさんの部屋をつくり、大量入居を実現させました。
大企業は集合住宅を社宅として生活を支援
団塊の世代のライフスタイルを思い出させる集合住宅は今でも各所にあります。その代表格が団地。ひとつの区画に大量の集合住宅をつくり、何千人もの家庭が住めるようにしました。近くにはスーパーや自商店街が形成され、その地域の発展にも寄与します。
従業員の生活を支えるために大企業は集合住宅を社宅に利用。そこに社員を住まわせました。そこで社員とその家族が同じ建物のなかで生活することになります。会社の上下関係が日々の生活に持ち込まれて苦労する会社員やその妻も多かったというのも納得ですね。
女性は専業主婦、子どもは2人の家族像が定着
団塊の世代は、集合住宅が整備されたことに加え、お見合いよりも恋愛結婚が増えたことで、早々に実家を離れました。そこで親からは独立した核家族を形成するようになります。
男女差別が残っていたこと、政府が専業主婦を優遇する制度を作ったことなどから、仕事を辞めて家庭に入る女性がほとんどでした。団塊の世代が理想として家族構成は夫と妻に2人の子ども。女性は25歳までに結婚するのが当たり前とする風潮がありました。
団塊の世代は、夫は会社の組織社会で、妻は社宅の組織社会で生きることに。とくに妻は夫の出世の状況により社宅での立ち位置が変化。また、妻の社宅での立ち振る舞いが夫の出世に影響したという逸話もあります。今でも社宅にそういう一面が残っていそうですね。
団塊の世代の一斉退職で懸念された2007年問題
団塊の世代は日本の歴史のなかでも一気に人口が増加した世代。そのため団塊の世代が一気に退職したあと日本の企業や社会にどのような影響が出るのか懸念されるようになりました。退職ピークの時期から2007年問題と名付けられました。
人材確保を目的に高齢者雇用を制度化
団塊の世代は高度経済成長期に日本を支え、とくに製造業などのものづくり分野で貢献した人が多いという特徴があります。そこで人材が一気に去ることを懸念し、定年後も一定の条件のもと働き続けられる高齢者雇用を制度化する企業が出てきました。
2006年4月に「改正高齢者雇用安定法」が成立。65歳まで働き続けることを推奨する仕組みが作られました。高齢者雇用は、働き盛りの世代よりも安い給与で雇用できることもあり、とくに大企業は積極的に導入しました。今でも「再雇用」という形でこの制度は定着しています。
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