日本史昭和

昭和の日本の成長を支えた「団塊の世代」とは何か?時代背景や特徴を元大学教員が5分でわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。「私は団塊の世代だったのよ」なんて言葉を聞くことはないだろうか。団塊の世代とはベビーブームによる空前の人口増加のさなかに生まれた人々。日本の高度経済成長期の日本の好景気を支えた人材でもある。

団塊の世代は企業を退職して年金世代に突入した。少子高齢化が進む社会全体でどのように支えるのかも現在の問題となっている。そこで団塊の世代に関連することについて、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

アメリカの分野や歴史を専門とする元大学教員。就職氷河期世代にあたる。大学を卒業したころ雇用の機会が減少して苦労した世代。そのとき団塊の世代が退職するまで雇用は回復しないと言われていた。ちょうど自分の親も団塊の世代ということもあり調べてみることにした。

団塊の世代はどのような時代に生まれた?

image by PIXTA / 33673456

団塊の世代は戦後の混乱期に生まれた世代。1947年から1949年のあいだに生まれたと定義されています。戦争そのものは経験していませんが、彼らや彼女らの親は戦争で少なからず影響を受けていました。

昭和の第一次ベビーブームに誕生

団塊の世代は戦後の第一次ベビーブーム期に生まれました。戦争が終わったことにより若者が復員。結婚するカップルが一気に増加しました。ちょうどこの時期、医学が進歩して赤ちゃんが死亡するリスクが減少。伝染病を予防する医療も進歩したため、出生率が大幅にアップすることになります。

そこで生まれたのが第一次ベビーブーム。ちなみに団塊の世代が子どもを産む時期は第二次ベビーブームと呼ばれています。このような背景もあり、1947年から1949年にかけての3 年間に生まれた人口は、ほかの時期と比較すると突出する結果に。人口増加がその後の進学、就職、結婚、定年に影響を与えることになりました。

高度経済成長期の会社を支えた

戦後の日本は一気に国の経済が成長する高度成長期に突入します。団塊の世代は、ちょうど高度成長期に会社に入社。日本の企業や経済の成長を支えました。働く場所が豊富にあったため、中学を卒業したあと故郷を離れて集団就職する若者も少なくありませんでした。

家庭の経済事情により学歴に差があることも団塊の世代の特徴。貧しい家庭の子どもは中学卒業後に就職。ゆとりがある家庭では高校までは進学させました。大学に行けるのはかなりゆとりがある家庭の子どものみ。とはいえ、男女差別が残っており、「女性には学問は不要」という考え方も根強く残っていました。

集団就職する若者の心境を歌ったものが井沢八郎さんの「あゝ上野駅」。10代半ばで親元を離れて仕事をする苦労が歌われました。上野駅に到着する集団就職列車は東北発。故郷を離れるときはみんな涙を流して親に別れを告げました。青森県弘前市出身の井沢八郎がさんが、たまたま上野駅で見かけた集団就職の若者たちを見て、応援する気持ちで作ったそうです。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

今なら新幹線や車があるから簡単に故郷に帰れる。地方からの就職者は貴重な労働者として重宝され、「金の卵」と呼ばれていたそうだが、当時はいちど故郷を離れたら10年のあいだ会えないことも珍しいことではなかった。今でも上野に特別な想いを抱いている団塊の世代も少なくない。

\次のページで「若年時代は反体制運動に熱中した団塊の世代」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: