戦後最大の企業犯罪と言われる「リクルート事件」とは?事件を取り巻く関係者と概要について会社員ライターが徹底わかりやすく解説!
他事業への進出
求人事業で成功を収めた江副はさらに事業を拡大すべく転職情報を始め、不動産や旅行業界にも進出していきます。しかし、事業拡大の一方で当時新興企業であったリクルートは既存の大企業からは距離を置かれ、財界では孤立している状況でした。その状況を打破すべく江副は政界の要人たちとの親交を深めていきますが、このとき実施した政治献金がのちのリクルート事件へと繋がっていくのです。
リクルート事件と経営引退
リクルート事件が最初に報道されたのは、江副がリクルート社長から会長となって間もなくのことでした。朝日新聞のコスモス株譲渡問題の報道以降連日メディアに取り上げられるようになり、江副は会長を退任。彼は、リクルート事件が報道されてから、有罪判決を受けるまで経緯を後に自身の著書に記しています。
そのなかで検察側から強要されたと述べていることは「壁と鼻がつくくらいまで接近し、目を開けたまま立ち続けることを強要され、さらに横から大声で怒鳴られた」「大声で罵倒され土下座を強要された」などの暴力的行為や証言改ざんへの誘導。また報道が過熱した一方で、一部の法律専門家からはリクルート事件には事件性はなかったと有罪判決を疑問視する声もありました。
後世への影響
今回の事件は、戦後最大の企業犯罪とも言われています。竹下内閣解散、自民党の選挙大敗については前項で述べましたが、その他にもリクルート社はもちろん、法律分野においても後世へも影響を残しました。
法律の改正
この事件で政界の要人たちが有罪判決を受けたことから公職選挙法が改正され、収賄罪で有罪となった公職の政治家は執行猶予判決であってもその職を辞することが新たに定められました。また、企業から政治家への献金についても問題視されるようになり、企業献金を制限する代わりに国が政党に対して一定の助成金を支払う政党助成法も新たに制定されました。
リクルートの経営危機
リクルート社はこの事件をきっかけに社会的イメージが悪化、そこへバブルの崩壊が追い打ちをかけ経営危機に陥りました。これを受けて江副は当時リクルート社の事業の一つであったダイエーをイオンに売却します。また、コスモス株譲渡問題を発端として、税金の申告漏れを問われ、江副に21億円もの追加徴収が命じられました。江副はこれを不当であるとして控訴しますが、結果は敗訴。裁判中の延滞料金を含めて26億円を支払いました。後に著書の中で江副は「この間にダイエーをイオンに売却していなければこの追加徴税で破産していただろう」と述べています。
企業犯罪と江福への再評価
贈収賄事件については許されることではありません。しかし、メディアの報道は常に視聴者を煽る一面を持っているのも事実です。報道内容に対して実際には何が起きているのかを我々は知る必要があるのではないでしょうか。同時に江福が常に社会情勢を先読みし学生時代の企業から一代で時価8兆円もの企業を築き上げたことが、コロナ禍で社会情勢が大きく変わろうとしている今再評価されつつあるのも事実です。
世界中で様々な企業犯罪が起きていますが、こうした犯罪を見極める姿勢と同時に彼の経営手腕についてこれからの時代に見直す必要があるのではないでしょうか。