リクルート事件の名前は聞いたことがあるという人は多いでしょう。この事件は1984年~1986年にかけて行われた贈収賄事件です。当時のリクルート社会長だった江副浩正が各界の有力者に未公開株を譲渡し6億円もの金額を贈賄したことになる。今回は事件の概要から事件の張本人である江副の半生まで会社員ライターのけさまるとともに解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

リクルート事件とは

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リクルート事件とは、当時リクルート会長であった江副浩正が政界の要人たちに不正に株の譲渡を行ったとして逮捕された贈収賄事件。戦後最大の企業犯罪と言われることもある一方で、専門家からは本当に不正に当たる事件だったのか、と疑問視される点もあります。この事件は当時の竹下内閣をも巻き込む一大事件となりました。

<時代背景>当時の社会と経済状況

1984年から1986年はバブル景気の階段を駆け上がっていったともいえる時代です。1984年1月に日経平均株価が1万円を超え、そこからピークを迎える1989年まで右肩上がりに景気は上昇していきました。国内需要に停滞傾向が見られたことで経済成長率は輸出に頼るようになり、海外諸国との貿易摩擦が拡大した時代でもあります。

<時代背景>ネットワーク発達の先駆け

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経済成長とともに時代はマルチメディア社会の到来を迎えていました。高度経済成長期を支えた重化学工業は衰退し、ソフト産業が盛んになりました。半導体の技術が進歩したことで産業においては産業型機械やCADといった技術が導入され、事務においてはコンピュータをしようしたOA化が進みました。これらの発達により日本の産業界は省力化と合理化に成功しました。こうした技術の進歩が現在の情報化社会の礎となっているのです。

事件の概要

リクルート事件は極めて複合的な事件ですが、その核と言えるのが江副から各界要人への未公開株の譲渡が不正に行われた事件です。当時リクルートグループの不動産会社であったリクルートコスモス未公開株が譲渡され、多額の利益を得たことが不正取引として報道されました。また、それ以前から江副はさかんに政治献金をしていました。未公開株譲渡の報道をきっかけにこの政治献金が贈賄に当たるのかという争点が発生したことで、この事件はリクルート関係者のみならず、政界や他企業をも巻き込む事態となりました。

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事件の発覚

事件が発覚したのは、朝日新聞でリクルートコスモスの未公開株が川崎市役所関係者に3000株譲渡され、それによって1億円の利益を享受したことがスキャンダルとして報道されたことです。これを皮切りに、報道各社が政治家たちのコスモス株譲渡による不正な利益享受を連日報道しました。やがて報道の焦点はコスモス株譲渡から、リクルート社が買っていた政治家のパーティ券や、政治献金の正当性へと移っていきました。事件の関係者は当時の内閣総理大臣であった竹下登をはじめ、当時政治の最前線にいた政治家たちが多数含まれていました。

政治献金の目的

コスモス株に次いで報道をにぎわせたのは、それまでリクルート社、もしくは江副本人が実施してきた政治家のパーティ券購入と多額の政治献金でした。江副自身はあくまで政治献金は懇意にしている政治家を純粋に応援するためのものであって、そこに見返りはなかったと主張しますが、検察側はこれを否定し江副の政治献金には献金額に相当する見返りがあり、これは賄賂に当たると主張します。その後家宅捜索も実施されましたが、贈賄の証拠になり得るものは出てきませんでした。しかしその後も取り調べは続き最終的に江副の政治献金は賄賂であるとして裁判では有罪判決となりました。

本格捜査への踏切

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コスモス株の譲渡が最初に報道された時点では、まだこうした大掛かりな捜査は予定されていませんでした。しかしここから検察側が贈収賄も含めて本格捜査へ乗り出すきっかけとなったのが、リクルートコスモス社長兼広報担当でもあった松原弘が社会民主連合党の楢崎弥之助を訪ね、現金を贈与を申し出る映像が報道されたのです。というのも、コスモス株報道後、楢崎は何度もリクルートに対してコスモス株譲渡先の名簿一覧の提出を要求しましたが、リクルート側はこれを拒否(江副はこのことを当時知らない)。そして、松原を含むリクルート側関係者は楢崎に現金を支払うことでこれを免れようとしたのです。この映像が連日報道されるようになり、検察側は江副、及びリクルート社の贈収賄について本格捜査を実施することとなったのでした。

 

 

今回の事件へとつながったのは、当時新興企業だったリクルート社の地位を高めるために、幅広く人脈をもとうとした江副の姿勢でした。この姿勢に対して、未公開株譲渡や、政治献金する代わりに見返りがあれば贈収賄の罪に問われます。今回の事件では最終的に江副から各人への見返りがあったと検察、裁判所側は判断し、有罪判決となったのです。

事件関係者の死と有罪判決

江副から賄賂を受け取ったとしてこの事件に関わった人は大勢いますが、裁判で有罪判決を受けた者も少なくありません。そしてこの関係者の連鎖が当時の竹下総理大臣退陣へと繋がっていくのです。そして、この退陣翌日、当時竹下登の秘書を務めていた青木伊平の自殺が報道されました。

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関係者への判決

この事件で有罪判決を受けた関係者は多岐にわたります。当時竹下内閣官房長官を務めていた藤波孝生は東京地裁の初公判では無罪判決を受けたものの、検察側の控訴、逆転有罪判決となり、懲役3年執行猶予4年・追徴金4,270万円が課せられました。そして、衆議院議員池田克也は東京地裁にて懲役3年執行猶予4年の有罪判決となりました。

前者の藤波孝生は「物静かながら人格者」として、江副が個人的に懇意にしている政治家の一人でした。また後者の池田克也は当時就職問題に取り組んでおり、リクルート社から資料提供を過去に受けていたこと、彼の弟の池田謙がコスモス株を受け取っていたことが有罪判決の理由ですが、江副は池田謙へのコスモス株譲渡を知りませんでした。この他、文部省、労働省、贈収賄に関わったNTT関係者などが同じく有罪判決を受けました。

竹下内閣の総辞職

この事件を受けて、野党は国会の場で与党、及び竹下内閣への説明責任を厳しく追及しました。そして平成元年の4月に竹下内閣は退陣を表明しました。当時は彼の行った消費税の導入が批判を浴びており、これにリクルート事件が重なったことが契機となりました。その後の選挙でも事件のマイナスイメージはぬぐい切れず、自民党議席数は72議席から36議席へと半減し、社会党の46議席を下回る結果となりました。そしてここから、平成13年の選挙で小泉純一郎内閣総理大臣が勝利を収めるまで自民党単独で法案を通せず、政治の安定しない時期が続いていくのです。

 

青木伊平の自殺

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竹下内閣の退陣表明翌日、竹下の秘書であった青木伊平の自殺が報道されました。彼は竹下が総理大臣に上り詰めるまでおよそ30年に渡り支え続けてきた右腕ともいえる人物でした。事件当時青木はリクルート社からの政治献金の一部を献金としては受け取れないとして貸付金として処理し、すでに返済を終えていたためメディアへのこの資金の公表はしていませんでした。しかし、この内容が朝日新聞へリークされ青木は竹下から厳しい叱責を受けます。
当時、青木は平和相互事件という別の金融事件でも取り調べを受けており、その疲労はピークに達していました。彼は寝室で首を吊っているところを発見され、傍らには夫人や竹下への遺書が残されていました。一方で、死因や本人の性格から自殺は考えにくいとして、自殺は偽装であり実際は他殺だったのではないかと疑う声もあります。

リクルート元会長江副の半生

江副はリクルート事件の中心人物としてメディアで多く取り上げられましたが、同時に情報社会の到来をいち早く察知し、大きな投資に打って出る経営手腕の持ち主でもありました。その手腕を持って、一代でリクルート社を大企業へと成長させたのです。

東京大学で起業

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江副は大学在学中に財団法人東京大学新聞社を立ち上げます。ここで企業へ向けて大学新聞に企業の求人広告を掲載したことが功を奏し、企業への営業スキルを身に着けていきました。そこから、リクルートブックの前身ともなる、大学新卒者向けの「企業への招待」を発行し、当時は見られなかった求人専門誌の礎を築きました。こうした雑誌の発行を機に、求人広告という業界の地位は大きく向上しました

\次のページで「他事業への進出」を解説!/

他事業への進出

求人事業で成功を収めた江副はさらに事業を拡大すべく転職情報を始め、不動産旅行業界にも進出していきます。しかし、事業拡大の一方で当時新興企業であったリクルートは既存の大企業からは距離を置かれ、財界では孤立している状況でした。その状況を打破すべく江副は政界の要人たちとの親交を深めていきますが、このとき実施した政治献金がのちのリクルート事件へと繋がっていくのです。

リクルート事件と経営引退

リクルート事件が最初に報道されたのは、江副がリクルート社長から会長となって間もなくのことでした。朝日新聞のコスモス株譲渡問題の報道以降連日メディアに取り上げられるようになり、江副は会長を退任。彼は、リクルート事件が報道されてから、有罪判決を受けるまで経緯を後に自身の著書に記しています。

そのなかで検察側から強要されたと述べていることは「壁と鼻がつくくらいまで接近し、目を開けたまま立ち続けることを強要され、さらに横から大声で怒鳴られた」「大声で罵倒され土下座を強要された」などの暴力的行為証言改ざんへの誘導。また報道が過熱した一方で、一部の法律専門家からはリクルート事件には事件性はなかった有罪判決を疑問視する声もありました。

後世への影響

今回の事件は、戦後最大の企業犯罪とも言われています。竹下内閣解散、自民党の選挙大敗については前項で述べましたが、その他にもリクルート社はもちろん、法律分野においても後世へも影響を残しました。

法律の改正

この事件で政界の要人たちが有罪判決を受けたことから公職選挙法が改正され、収賄罪で有罪となった公職の政治家は執行猶予判決であってもその職を辞することが新たに定められました。また、企業から政治家への献金についても問題視されるようになり、企業献金を制限する代わりに国が政党に対して一定の助成金を支払う政党助成法も新たに制定されました。

リクルートの経営危機

リクルート社はこの事件をきっかけに社会的イメージが悪化、そこへバブルの崩壊が追い打ちをかけ経営危機に陥りました。これを受けて江副は当時リクルート社の事業の一つであったダイエーイオンに売却します。また、コスモス株譲渡問題を発端として、税金の申告漏れを問われ、江副に21億円もの追加徴収が命じられました。江副はこれを不当であるとして控訴しますが、結果は敗訴。裁判中の延滞料金を含めて26億円を支払いました。後に著書の中で江副は「この間にダイエーをイオンに売却していなければこの追加徴税で破産していただろう」と述べています。

企業犯罪と江福への再評価

贈収賄事件については許されることではありません。しかし、メディアの報道は常に視聴者を煽る一面を持っているのも事実です。報道内容に対して実際には何が起きているのかを我々は知る必要があるのではないでしょうか。同時に江福が常に社会情勢を先読みし学生時代の企業から一代で時価8兆円もの企業を築き上げたことが、コロナ禍で社会情勢が大きく変わろうとしている今再評価されつつあるのも事実です。

世界中で様々な企業犯罪が起きていますが、こうした犯罪を見極める姿勢と同時に彼の経営手腕についてこれからの時代に見直す必要があるのではないでしょうか。

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現代社会

戦後最大の企業犯罪と言われる「リクルート事件」とは?事件を取り巻く関係者と概要について会社員ライターが徹底わかりやすく解説!

他事業への進出

求人事業で成功を収めた江副はさらに事業を拡大すべく転職情報を始め、不動産旅行業界にも進出していきます。しかし、事業拡大の一方で当時新興企業であったリクルートは既存の大企業からは距離を置かれ、財界では孤立している状況でした。その状況を打破すべく江副は政界の要人たちとの親交を深めていきますが、このとき実施した政治献金がのちのリクルート事件へと繋がっていくのです。

リクルート事件と経営引退

リクルート事件が最初に報道されたのは、江副がリクルート社長から会長となって間もなくのことでした。朝日新聞のコスモス株譲渡問題の報道以降連日メディアに取り上げられるようになり、江副は会長を退任。彼は、リクルート事件が報道されてから、有罪判決を受けるまで経緯を後に自身の著書に記しています。

そのなかで検察側から強要されたと述べていることは「壁と鼻がつくくらいまで接近し、目を開けたまま立ち続けることを強要され、さらに横から大声で怒鳴られた」「大声で罵倒され土下座を強要された」などの暴力的行為証言改ざんへの誘導。また報道が過熱した一方で、一部の法律専門家からはリクルート事件には事件性はなかった有罪判決を疑問視する声もありました。

後世への影響

今回の事件は、戦後最大の企業犯罪とも言われています。竹下内閣解散、自民党の選挙大敗については前項で述べましたが、その他にもリクルート社はもちろん、法律分野においても後世へも影響を残しました。

法律の改正

この事件で政界の要人たちが有罪判決を受けたことから公職選挙法が改正され、収賄罪で有罪となった公職の政治家は執行猶予判決であってもその職を辞することが新たに定められました。また、企業から政治家への献金についても問題視されるようになり、企業献金を制限する代わりに国が政党に対して一定の助成金を支払う政党助成法も新たに制定されました。

リクルートの経営危機

リクルート社はこの事件をきっかけに社会的イメージが悪化、そこへバブルの崩壊が追い打ちをかけ経営危機に陥りました。これを受けて江副は当時リクルート社の事業の一つであったダイエーイオンに売却します。また、コスモス株譲渡問題を発端として、税金の申告漏れを問われ、江副に21億円もの追加徴収が命じられました。江副はこれを不当であるとして控訴しますが、結果は敗訴。裁判中の延滞料金を含めて26億円を支払いました。後に著書の中で江副は「この間にダイエーをイオンに売却していなければこの追加徴税で破産していただろう」と述べています。

企業犯罪と江福への再評価

贈収賄事件については許されることではありません。しかし、メディアの報道は常に視聴者を煽る一面を持っているのも事実です。報道内容に対して実際には何が起きているのかを我々は知る必要があるのではないでしょうか。同時に江福が常に社会情勢を先読みし学生時代の企業から一代で時価8兆円もの企業を築き上げたことが、コロナ禍で社会情勢が大きく変わろうとしている今再評価されつつあるのも事実です。

世界中で様々な企業犯罪が起きていますが、こうした犯罪を見極める姿勢と同時に彼の経営手腕についてこれからの時代に見直す必要があるのではないでしょうか。

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