
3分で簡単「民進党」なぜ短命に終わった?歴代党首や希望の党との合流などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
民進党の解体

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希望の党との合流が不調に終わった民進党は、そこから一気に存在意義を失います。総選挙出馬から民主党が消滅するまでの流れを駆け足で見ていきましょう。
立憲民主党に後塵を拝する
2017(平成29)年の衆院選に、希望の党からは小選挙区と比例区を合わせて200人以上の公認候補が立候補しました。小池百合子都知事にも出馬の噂は流れましたが、都政に専念するという意向から出馬しませんでした。おおさか維新の会から2016(平成28)年から党名変更した日本維新の会(2014年解散の政党とは別)とも候補者を1本化するなど、他の野党との選挙協力も進みました。
選挙の結果、希望の党は小選挙区と比例区で合わせて50議席にとどまり、政権奪取には程遠い結果に。55議席を獲得した立憲民主党をも下回る結果となりました。自民党は単独でも過半数の議席を得て、自公の連立が維持されるという結果でした。
民進党と希望の党との合併
民進党が希望の党と合併するという賭けは実らず、これを主導した前原誠司は責任を取って代表を辞任しました。合併話は撤回され、民進党はその時点では存続していくことが決まります。新たに大塚耕平が党の代表となりました。
党としては分かれてしまったものの、もとは民進党にいたグループと統一会派として手を組もうとする動きもあったようです。しかし、立憲民主党からは断られたばかりか、民進党の内部からも反発がありました。民進党を離党して、立憲民主党に加わる議員が相次ぐような有様でした。
国民民主党の結党と民進党の消滅
2018(平成30)年に入り、改めて民進党と希望の党とで合併する話が沸き起こりました。しかし、両党から反発の声が挙がり、民進党から立憲民主党へ鞍替えするという動きが加速。結局、集まったのは衆参合わせて60人あまりと、立憲民主党を上回ることができませんでした。
手続きとしては、希望の党から一部の議員が民進党に合流する形を取り、政党名を国民民主党と改めました。代表には大塚耕平と、希望の党から合流した玉木雄一郎が共同で就任。党名変更を届け出たことにより、民進党はわずか2年でその歴史を終えることになりました。
政党同士の安易な連携は良い結果を生まない!
新たに政権を担える政党として大きな期待が寄せられていた民進党は、希望の党との連携により勢力拡大を図りました。しかし、その連携は思ったようには進まず、逆に勢力を削ぐ形となったのです。民主党と維新の党との合併で生まれた民進党は、希望の党との合併によりわずか2年で消滅してしまいました。議席数を求めるばかりに理念や政策が違う政党同士が連携しても、必ずしも良い結果は生まれないことを肝に銘じるべきでしょう。