3分で簡単「民進党」なぜ短命に終わった?歴代党首や希望の党との合流などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
蓮舫が代表に就くも都議会議員選で敗北
都知事選から2か月後の2016(平成28)年9月、民進党の代表選挙が行われました。それまで民進党の代表を務めていた岡田克也は、参院選などの責任を取る形で出馬しませんでした。結果は蓮舫が圧勝し、岡田の後任となりました。
土井たか子以来野党第一党の女性党首となった蓮舫。期待の声は大きかったのですが、2017(平成29)年の都議会議員選挙で敗れると、その勢いを一気に失いました。さらには自身の二重国籍問題なども重なり、蓮舫は1年たたずして代表の座から退くことになったのです。
頓挫した希望の党との合流
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民進党のターニングポイントとなったのが、希望の党との合流構想です。なぜ民進党は希望の党と接近し、そして合流構想は頓挫したのでしょうか。
小池百合子の新党構想
2016年の東京都知事選挙で当選した小池百合子は、かつて所属した自民党などの推薦を得ないまま選挙戦を戦いました。よって、そのまま都政を担おうとすれば、議会はすべて野党となる状況でした。そこで小池は、自らの選挙戦に協力してくれた都議会議員を中心とする会派を立ち上げました。それが都民ファーストの会です。
都民ファーストの会は翌年の都議会議員選挙で大勝し、過半数の議席を獲得しました。都で政治基盤を固めた小池は、さらに国政進出をも狙おうと動いていたのです。
希望の党との合流を決断する民進党
2017(平成29)年9月25日、北朝鮮問題や消費増税などに対する国民の信を問うのを目的として、当時の安倍晋三首相が衆議院の解散を決めたと表明しました。同じ日に小池百合子都知事は、国政政党である希望の党立ち上げを発表。総選挙への意欲を見せたのです。
それに呼応したのが、蓮舫の後に民進党の代表となった前原誠司でした。小池と前原が極秘のうちに対談し、民進党が希望の党に合流にすることなどが取り決められました。総選挙に向けては一大勢力として戦うことを決意しましたが、それにより結党からまもなくして民進党を解散させることになります。
相次ぐ民進党からの離党
民進党の立場で言えば、党を解散させてまで希望の党と合流し、与党に対抗できることをアピールしたかったはずです。しかし、小池百合子は、希望の党が提示する政策に合わない議員は排除すると言い切りました。この「排除の論理」が持ち上がったことで、すべての民進党議員が希望の党に合流できるわけではないという憶測が流れます。
特にリベラル系議員の反発はすさまじく、枝野幸男をはじめとするグループは立憲民主党を立ち上げて、希望の党と完全に袂を分かちました。また、一部の議員は無所属のまま立候補を決意するなど、合流を断念する議員が続出する始末でした。結党直後は大きかった希望の党への期待感が、次第に薄れていきました。
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