現代社会

3分で簡単「民進党」なぜ短命に終わった?歴代党首や希望の党との合流などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説

大阪維新の会が国政進出を目指す

2010(平成22)年、橋下徹を中心として、大阪都構想を実現させるための政治団体である大阪維新の会が結成されます。10年たった現在、後継政党は関西で一大勢力となりました。大阪府を中心に、これまで多くの首長や議員を送り出しています。

その大阪維新の会が母体となり、国政進出を念頭にして2012(平成23)年に結成された政党が日本維新の会です。当時は自民党・民主党に次ぐ第三極として注目を集め、2012年の総選挙では野党第2の党へと躍進しました。しかし、当時日本維新の会の共同代表を務めた橋下と石原慎太郎が対立し、党は2つに分かれることとなります。

橋下徹の政治家引退

橋下徹と決別した石原慎太郎とそのグループは日本維新の会を離脱。のちに自民党と合流することになります。

一方橋下は、日本維新の会を解散させ、結いの党を解散させた江田憲司らと合流。新たに維新の党を結成し、橋下と江田の2人が共同代表となりました。2014(平成25)年の総選挙では前回とほぼ同じ議席数でしたが、翌年に行われた最初の大阪都構想の住民投票は反対票多数で否決。橋下は任期満了後の大阪市長選挙には出馬せず、政治家を引退すると発表しました。

民進党の結党

大阪都構想が否決され、維新の党は松野頼久を新しい代表に選出しました。しかし、野党再編をうかがう松野に反旗を翻す者が次々と現れ、彼らはおおさか維新の会結成へと向かいます。

残った松野らは、民主党との連携を図りました。2015(平成26)年には、衆議院の統一会派を結成。翌年に民主党が維新の党を吸収合併することで両者は合意します。そして、2016(平成27)年3月に民進党の結党大会が開かれ、代表を岡田克也にすることなどが承認されました。

短命に終わった民進党としての活動

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民主党が維新の党を取り込む形で結成された民進党。結党後の活動はどのようなものだったのでしょうか。

民進党が掲げた政策はどのようなものであったか

民進党はリベラル・中道左派の政党でした。憲法第9条に自衛隊を明記することに反対し、原発ゼロ実現などを政策として掲げていました。これらは政権与党の自民党とは違う立場を取っています。

また、党の綱領では生活者や働く者などの立場に立つ・既得権や癒着の構造と闘うなどと明記し、市民に寄り添う政党であることを強調しました。多様性を認め、男女共同参画を推進させるなど、近年クローズアップされたマイノリティ問題にも言及しています。東日本大震災の復興実現も綱領に盛り込まれていました。

都知事選と参院選で存在感を示せず

民進党の結党から3か月となる2016(平成28)年7月の参議院選挙では、民進党・日本共産党・社会民主党・生活の党が合意して、候補者を1本化させました。しかし、与党の自民、公明両党とおおさか維新の会が議席を増やす結果に。共産・社民・生活はほぼ現状維持でしたが、民進党だけは議席数を減らしました。

さらに、参院選からわずか3週間後に実施されたのが東京都知事選挙でした。参院選で統一候補を送り込んだ野党4党は、ジャーナリストの鳥越俊太郎を推薦。しかし、鳥越や自公などが推薦した増田寛也らを破り、小池百合子が初当選しました。

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