新人類という言葉を知っているか。新人類とは1950年代から1960年代にかけてに生まれた若者のことを指す。日本のバブル時代の文化を支えた存在として注目されることも多いようです。

団塊の世代とはことなるところが際立つ新人類。日本のさまざまな常識を覆した新人類について、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。ゆとり世代のちょっと上の氷河期世代だ。新人類はさらに上の世代だが、サブカルチャーの担い手として意識する存在。そこで今回は、新人類の情報についてまとめ、その特性を調べてみることにした。

新人類の世代的な特徴

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新人類とは1980年代につくられた造語で、テレビやラジオでも頻繁に登場するようになりました。当時の若者を「これまでとは異なる価値観を持っている」と見なし、ネガティブにもポジティブにも捉えられました。

新人類はいつ生まれた子どもを指すの?

新人類世代が生まれた時期についてはいくつかの区分があります。おおまかには1950年代後半から1960年代前半に生まれた若者のこと。新人類世代の旗手と呼ばれる人々が、その時期に生まれていることから、そのように定義されました。

もうひとつはマーケティング用語としての定義です。それによると、団塊世代は1946年から1950年、断層世代は1951年から1960年、新人類世代は1961年から1970年。これをもとにすると新人類の年齢が10歳ほどズレることになります。

戦後のライフスタイルが変化する時代の言葉

新人類が生れた時期を明確に定義することは困難。はっきりしている点は、戦中や戦後の混乱を乗り越え、高度成長期に向かう日本を支える管理職とは異なる価値観を持っていることです。戦争やそのごの混乱を直接に経験していないことから、上の世代からは「軽い」「変わっている」と見なされたのかもしれません。

第二次世界大戦が終わったあとの日本はライフスタイルが一転。日本の経済が上向きになり、自由な雰囲気のなか新しい文化が生まれました。そこから生まれたのが、会社に尽くすよりも自分の趣味に没頭することを良しとする価値観。今で言うところのオタク文化の先駆けと位置づけることもできるでしょう。

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新人類世代に登場した商品やサービス

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新人類世代は、マンガ、アニメ、音楽、ゲームなどの商品やサービスと関連付けられることが少なくありません。これらの商品やサービスを売り出すとき、特定の世代の消費を刺激するために、新人類という用語をキャッチコピーとして使ったとも言われています。

インベーダーゲームは新人類世代に欠かせないもの

新人類世代の趣向を語るうえで欠かせないのがインベーダーゲーム。今でもレトロなゲームセンターや温泉施設などに行くと卓上のインベーダーゲームに遭遇することがあります。新人類世代はちょうどインベーダーゲームの人気が高まっていた時期に生まれました。

インベーダーゲームとは1978年に発売が開始された固定画面のシューティングゲームのこと。宇宙から侵略してくる異星人を追撃するゲームです。敵と戦うというスタイルのゲームはこれまでにないもの。SF映画やテレビドラマの人気も相まって、若者を中心に大流行しました。

サブカルチャーは新人類の知的な要素となる

新人類と呼ばれる世代は、アニメ、マンガ、ゲーム、ポピュラー音楽などのサブカルチャーの知識を貪欲に吸収するという特徴もあります。子ども向けのテレビドラマが充実し、貸本屋などを通じてマンガを読む機会も増大。このような文化に夢中になる若者をあらわす「オタク」「ネアカ」という言葉が生まれたのもこのころです。

また、新人類世代が夢中になった文化のひとつがテクノ音楽。インベーダーゲームと共通する無機質で機械的な音楽が、新人類世代の若者を夢中にさせました。加えてロックやベヴィメタルも流行。これらの新しく生まれた文化について、哲学や思想などと共に熱く語ることもひとつのファッションとなります。

新人類世代を牽引した人々

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新人類世代の文化は、新人類世代の先輩格にあたる知識人を通じて積極的に紹介されました。このような人々は新人類世代の旗手として頭角をあらわします。雑誌やテレビを通じて、同時代に流行している文化を深堀して解釈を与える役割を果たしました。

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オタク文化の社会的に地位を変えた中森明夫

中森明夫さんは雑誌の編集者でありアイドル評論家。今でも一般的に使われている「オタク」という言葉を生み出したことでも知られています。また「ネクラマニア」という言葉を使うこともありました。オタクの概念は中森明夫さんにより形づくられたと言ってもいいでしょう。

このときのオタクの対象は、鉄道ファン、ガンダムファン、コミックマーケットユーザーなど。これらの人々にインタビューする際に「お宅は」と声がけしていたことが始まりです。ただ、当時は「オタク」という表現は差別的と見なされ、連載が中止されるなどの措置もとられました。

メディアを通じて新人類の生き様を発信した筑紫哲也

ジャーナリストでニュースキャスターの筑紫哲也さんは「新人類の旗手たち」というシリーズで新人類世代を牽引する人々を紹介しました。新人類の定義はあいまいなところも多いのですが、そのリーダーたちは「新人類の旗手たち」の紹介が根拠になっています。

当時の新人類たちは、上の世代からは異星人やエイリアンと総称されるなど奇妙な存在として語られていました。それをジャーナリストの視点から、どのような生い立ちを経てどんな仕事をしているのか、自身や社会に対するまなざしなどを浮かび上がらせました。

若者のイメージを一転させたのも新人類世代

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それまでの日本では、家族みんなで同じテレビ番組を観ることが当たり前。それが、新人類世代が活躍するようになると、大人が観るものと若者が観るものが分かれるようになります。

たのきんトリオは新人類の要素を体現

田原俊彦(トシちゃん)、近藤真彦(マッチ)、野村義男(ヨッちゃん)という3人のジャニーズアイドルからなるのがたのきんトリオ。1980年代初めに短期間でしたがお茶の間を賑わせました。たのきんトリオは若者のやんちゃぶりや悪ガキブリを体現。大人とは一線を引いた存在となりました。

たのきんトリオを特徴づけるのがファッション。自由奔放な言動に加えて、中性的な顔立ちやカルフルで奇抜なファッションは、当時の大人たちからするとびっくりするもの。彼らに夢中になり熱狂する女性ファンたちも異質な存在としてとらえられました。なかでも、エレキギターを巧みに弾きこなすヨッちゃんは、新人類世代をとくに代表する存在です。

旧態の価値観をぶち壊したのがとんねるず

今でも知名度抜群のとんねるずもまた新人類に区分されるお笑いコンビです。とんねるずが台頭するまえ、家族がみんな揃ってみていたのがドリフターズの「8時だよ全員集合」。ギリギリのラインはあるものの基本的に家族で観ることを前提に制作されていました。それに対して「とんねるずのみなさんのおかげです」は、過激なトークや破壊的な行動から大人から眉を顰められます。

とんねるずの番組に一貫してあるのが旧態の価値観をぶち壊すこと。狭いスタジオを所せましと走りまわってカメラや小道具をぶち壊す、今でいうとパワハラやセクハラと捉えられかねないことも行っていました。今では再放送することすら難しい内容も。大人に媚を売らずにやりたい放題する姿も新人類の一面です。

若者のカリスマとなったのが尾崎豊

「十五の夜」や「卒業」などの名曲で知られるシンガーソングライターの尾崎豊もまた新人類世代に区分されています。このあとに解説しますが新人類世代がはじめて直面したのが大学の共通一次試験。学力が数字ではかられるようになり、受験戦争を加速させるきっかけとなりました。そんな学校教育に馴染めず、自由になりたいと歌ったのが尾崎豊さんです。

学校や社会の息苦しさや自由に対する憧れは当時の若者の共感を得ることに。学校の在り方に疑問を持って異議を申し立てる歌詞から「10代の教祖」という位置を得ます。当時は校内暴力や飲酒、喫煙をするいわゆる「不良」が社会問題化。そのような若者の深層心理を体現していると解釈されました。

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混沌とした時代に生まれた新人類世代

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身勝手で自由奔放、自分の好きなことだけに熱中する手に余る存在と見なされることも多かった新人類世代。ただ、新人類と区分される若者が、旧来の価値観から逃れて新しい文化に熱狂したのは、その時代が混沌としていたことも大きいでしょう。

大学の共通一次試験をはじめて体験した世代

新人類とされる世代は大学の共通一次試験を始めて体験した世代とも言われています。共通一次試験は、その後にセンター試験と形が変わり、今では大学入学共通テストと呼ばれている制度の先駆け。試験科目は、国語、数学、理科、社会、英語の5教科7科目。理科の2科目と社会の2科目は選択制でした。

合計1000点満点で、その結果を見て受験する国立や公立の大学を選びます。この制度により自分が全国の受験生のなかでどの位置にあるのか、学力が数値化されることに。今では当たり前のことですが、導入された当初は管理されている、自由を奪う感覚が強くあったようです。結果として受験戦争も加速。当時の若者の心理にも少なからず影響を与えました。

好景気により質より量が重視される雰囲気

同時に、当時の日本の景気は右肩上がり。企業はどんどん大きく成長していきました。そのため大量雇用が毎年のように行われるようになります。そのためこの時期に就職をした若者は、今よりも質を問われることはありませんでした。

質より量が重視されると、ひとりひとりの価値は下がります。それが当時の若者のやる気をそいだという意見も。会社に命をささげて仕事に邁進する団塊の世代は、新人類にとって距離がある存在でした。その結果、会社に奉仕するよりも自分の趣味に時間を割きたいという人々が目立ち始めたのでしょう。

新人類世代は時代が変化する時期を象徴

新人類世代は、戦後の混乱が収束して日本経済が右肩上がりになる時期に生まれた世代。新人類のオタク気質や自由を望む気質は、生活にゆとりが生まれたからこそ形成されたと言えるでしょう。新人類世代のオタク気質は、アイドル、ゲーム、アニメ、音楽、プラモデルなど、多岐に渡ります。自分の好きなこと、興味があることに熱中する世代がいたらかこそ、今の日本の若者文化があると言ってもいいでしょう。今の自部たちと何が同じで何が違うのか、時代背景などを比較しながら理解を試みてみてはいかがでしょうか。

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昭和現代社会

新たな文化の担い手となった「新人類世代」の定義・特徴・有名人を元大学教員が3分でわかりやすく解説

新人類という言葉を知っているか。新人類とは1950年代から1960年代にかけてに生まれた若者のことを指す。日本のバブル時代の文化を支えた存在として注目されることも多いようです。

団塊の世代とはことなるところが際立つ新人類。日本のさまざまな常識を覆した新人類について、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。ゆとり世代のちょっと上の氷河期世代だ。新人類はさらに上の世代だが、サブカルチャーの担い手として意識する存在。そこで今回は、新人類の情報についてまとめ、その特性を調べてみることにした。

新人類の世代的な特徴

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新人類とは1980年代につくられた造語で、テレビやラジオでも頻繁に登場するようになりました。当時の若者を「これまでとは異なる価値観を持っている」と見なし、ネガティブにもポジティブにも捉えられました。

新人類はいつ生まれた子どもを指すの?

新人類世代が生まれた時期についてはいくつかの区分があります。おおまかには1950年代後半から1960年代前半に生まれた若者のこと。新人類世代の旗手と呼ばれる人々が、その時期に生まれていることから、そのように定義されました。

もうひとつはマーケティング用語としての定義です。それによると、団塊世代は1946年から1950年、断層世代は1951年から1960年、新人類世代は1961年から1970年。これをもとにすると新人類の年齢が10歳ほどズレることになります。

戦後のライフスタイルが変化する時代の言葉

新人類が生れた時期を明確に定義することは困難。はっきりしている点は、戦中や戦後の混乱を乗り越え、高度成長期に向かう日本を支える管理職とは異なる価値観を持っていることです。戦争やそのごの混乱を直接に経験していないことから、上の世代からは「軽い」「変わっている」と見なされたのかもしれません。

第二次世界大戦が終わったあとの日本はライフスタイルが一転。日本の経済が上向きになり、自由な雰囲気のなか新しい文化が生まれました。そこから生まれたのが、会社に尽くすよりも自分の趣味に没頭することを良しとする価値観。今で言うところのオタク文化の先駆けと位置づけることもできるでしょう。

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