
ミケランジェロは、西洋美術史の全ての芸術家に多大なる影響を与えているため、教科書で関連する情報を目にすることは多いでしょう。そんなミケランジェロの生涯や名画や天井画などの作品について解説していこう。
- ミケランジェロとはどのような芸術家?
- さまざまな種類の作品を作った万能の芸術家
- 書簡や回想などから生涯が詳細に分かる
- フィレンツェ共和国にて誕生したミケランジェロ
- 母親はミケランジェロが6歳のときに死去
- メディチ家が創設したプラトン・アカデミーに参加
- フィレンツェの政争に翻弄された青年ミケランジェロ
- パトロンだったロレンツォ・デ・メディチの死去
- フィレンツェ外のメディチ家のサポートにより創作活動継続
- 代表作のピエタが生れたのはローマ活動時代
- 教皇庁のフランス大使からピエタ制作を依頼
- ジャニコロの丘にミケランジェロの住居が存在
- ミケランジェロはフィレンツェ共和国に戻りダヴィデ像を制作
- ダヴィデ像はフィレンツェの自主性のシンボル
- 人体に関する詳細な知識のもと制作された
- ミケランジェロはルネサンスの異端児だった
この記事の目次

ライター/ひこすけ
アメリカの文化や歴史を専門とする元大学教員。仕事でイタリアに行く機会が多く、フィレンツェやローマは大好きな観光地の一つ。時間がある限り大聖堂や礼拝堂などの聖母像を見て回っている。そこでイタリアのアートを代表する存在のミケランジェロについて調べてみることにした。
ミケランジェロとはどのような芸術家?

ミケランジェロの本名はミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ。1475年3月6日に生まれ、1564年2月18日に亡くなりました。亡くなったときの年齢は88歳。当時としてはかなりのご長寿でした。
さまざまな種類の作品を作った万能の芸術家
ミケランジェロが活躍したのはルネサンス期のイタリア。ミケランジェロの芸術家としての肩書は多岐に渡ります。ざっと触れると、彫刻家、画家、建築家、詩人、社会活動家など。西洋美術の歴史のあらゆる側面に影響を与え、ルネサンス期を代表する作品を数多く制作しています。
そんな多才なミケランジェロですが、彼自身が力を入れていたのは彫刻。それ以外の分野の作品は制作しているものの、数はそれほど多くありません。それにも関わらず歴史的に重要な作品と位置づけられています。ルネサンス期の理想とされたのは「万能」であること。そんな万能性を象徴する人物の一人がミケランジェロです。
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書簡や回想などから生涯が詳細に分かる
ルネサンス期には歴史的に重要な人物がたくさんいますが、詳細が分からないことが多数です。しかしながらミケランジェロについては書簡、回想、スケッチなどが残存。そのため幼少期から晩年に至るまでミケランジェロの人生の詳細が把握することが可能となりました。
また、当時としては珍しく、生きているあいだに伝記が出版されたことでも知られています。西洋美術家としては初の快挙。それだけ当時のヨーロッパで際立った存在だったのでしょう。ミケランジェロが登場する伝記のひとつがジョルジョ・ヴァザーリ『画家・彫刻家・建築家列伝』。芸術家の頂点に君臨していると大絶賛されています。
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