今回解説する「夜明け前」という小説は、詩人でもある島崎藤村が幕末の木曾街道を舞台に激動の幕末と、主人公半蔵の人生を追った長編小説です。「木曾路は全て山の中にある」という書き出しも有名です。今回はこの小説の時代背景から主人公の役目である駅長(うまやのおさ)の役目、本編あらすじまでを会社員ライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

物語の舞台とは?

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舞台は幕末から明治初期までの木曽街道。現在の岐阜県にかかる江戸と京都を結ぶ山中の街道が舞台です。

舞台は幕末の木曾街道

木曾街道は139里(550㎞)に及び、その中に木曾路をはじめとするいくつもの山道や峠がある難所でした。こうしたところには街道を進むために人や馬を手配する宿が各所に存在していました。この街道を通るのは庶民の交通路としてもですが、主に参勤交代に向かう大名たちの交通路でした。物語に登場する馬籠宿や妻籠宿は現在も伝統的な景観を保ち、観光地として整備されています。

参勤交代・旅人を支える本陣・問屋場

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木曾街道のように幕府から宿場町として定められると、本陣・問屋場が設置されました。本陣とは大名が参勤交代の際に利用する宿舎のことで、幕府公認の旅館ともいうべき存在でした。そして大勢の人員と大量の荷が街道を抜けるには人員と馬をこうした宿場で手配する必要がありました。このときに活躍するのが問屋場です。ここで、街道を通る際の人馬を手配し、足りなければ周囲の農村(助郷)に頼んで不足を補う仕組みになっていました。

作者の島崎藤村とは?

The graduation of Meiji Gakuin in 1891.jpg
明治学院 - 高谷道男著『ヘボンの手紙』有隣堂P.174, パブリック・ドメイン, リンクによる

藤村は明治5年筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市)に、物語と同じく本陣・問屋・庄屋を兼ねた旧家に生まれました。明治学院の普通科を卒業すると明治女学校、東北学院で教鞭をとりつつ、文学界では浪漫派詩人、自然派散文家として活躍しました。

島崎藤村の活躍した時代

明治時代の近代小説は主に浪漫主義自然主義に大別されることが多いと言えます。浪漫主義小説は感情に優位性を置き、自我の尊重や、封建道徳からの解放を主張するものでした。代表作として森鴎外の「舞姫」など。また、デビュー当初の藤村が刊行した「若菜集」もこれに含まれます。やがて、明治30年代になると人間社会の現実をありのままに表現する自然主義が確立。代表作は島崎藤村の「破壊」や田山花袋の「蒲団」が挙げられます。「夜明け前」歴史小説として高い評価を受けていますが、同時に自然主義小説であるとも言えるでしょう。

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詩人から小説家へ

当初、詩人としてデビューした藤村は明治30年に第一詩集である「若菜集」を刊行し、その後も続刊を刊行。その後「落梅集」を刊行し、この中の「椰子の実」「惜別のうた」などは現在まで歌い継がれています。その後徐々に散文に移行し、明治38年に上京すると「破壊」を自費出版「夜明け前」自身の父親をモデルとしており、歴史小説として高い評価を受け、現在まで読み継がれています。

あらすじ<前編>

時代は幕末木曾に住む主人公の半蔵はその地で当時馬籠の駅長であった父吉左衛門のもとで育ち、妻子にも恵まれ穏やかな生活を送っていました。10代のころから学問に興味を持ち、次第に国学に惹かれていきます。そして半蔵は国学の大家である平田鉄胤の門下生となりました。

木曾の山から見つめる青年の志

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時代はペリーの来航江戸を襲った大地震、と移り変わろうとしているなか、学問への興味が強まるにつれてそれを遠くから眺めているだけの現状のままでいいのか悩む半蔵。そんな折、彼に転機が訪れます。とあるきっかけで江戸へ旅をすることになったのです。辿り着いた江戸の町で見たのは幕府が外国から購入したという黒々とした大型船「観光丸」。半蔵はこのとき初めて時代の大局、移り変わりを肌で感じたのでした。しかし、彼は自身の背負う本陣の責任を感じ、木曾へ帰っていくのです。

参勤交代制度の廃止

半蔵が父吉左衛門から家督を譲り受ける時が近づき、役目の引き継ぎが進んでいました。時代は桜田門外の変を経て、江戸幕府の威厳は日に日に弱くなっていきます。その影響は木曾街道の参勤交代者の旅の手はず、もてなしを役目とする半蔵の目にも明らかでした。国学を志す半蔵の同志のなかには尊王を掲げ行動を起こすものも現れ、尊王思想のメッカとも言える京都の街の不穏な空気は木曾へも噂が届くようになりました。

半蔵が家督を譲り受けてまもなく参勤交代制度が廃止され、江戸に滞在していた諸大名の親類たちが木曾街道を通って国許へ一斉に帰っていったため、宿場町は一時騒然としました。その様子は、幕府の威厳崩壊の前兆とも見られました。

水戸藩浪士を中津川へ送り出し

政治の中心は実質京都に移っていき、生麦事件をきっかけに外交における緊張感も高まる中、攘夷派の水戸藩の浪士たちが幕府に対して反旗を翻しました。このころには国学を志す者は大いに増え、こうした尊王攘夷の動きには半蔵と同じ平田の門徒が関わることも多くなっていました。そんな折、半蔵のいる木曾街道を通って敵軍をかわす計画が水戸藩浪士内で持ち出されます。半蔵はこの話を聞き、問屋として各家総出でこの一群を次に経由地である中津川へ送り出すことに成功しました。しかし、その一方で水戸藩浪士たちはこの謀反の先にあるものがであることをも悟っていました。

\次のページで「王政復古成る」を解説!/

王政復古成る

水戸藩の浪士たちを送り出してしばらくして、平田門下の先輩であり、旧友でもある香蔵と景蔵から手紙が届きます。そこには平田門下が飯田藩に国学の先人たちを祭るべく社殿を建築するにあたり、一同に集まろうとしているので一緒に顔をだしてみないかと誘う旨が書かれていました。2人の旧友時代の動きを追うべく、木曾の地を離れ、京都に暮らしていました。そこで半蔵は久しぶりに旧友との再会を果たし楽しい酒を囲んだのでした。しかしその後、水戸藩の浪士たちの敗戦主要人物処刑されたことを知り、半蔵は時代の無常さを痛感します。そしてついに幕府はその歴史に幕を閉じ王政復古が成されたのでした。

前編は、幕末から王政復古までの時代を過ごした半蔵の青年期について描かれています。半蔵は父吉左衛門から家督を譲り受け、問屋としての仕事に邁進。しかしその一方で京都へ発った国学の学友たちに羨望のまなざしを向けてもいました。半蔵がのめりこんでいった国学は当時の幕末から明治当初にかけて流行し、その生徒数もピークを迎えていました。

あらすじ<後編>

後編では、時代が明治に移りかわり変革の渦中に否が応でも引きずり込まれていく半蔵と家族の様子が描かれています。半蔵の家に限らず、従来の制度が廃止されいわゆる旧家と言われる家々には没落の運命から逃れられないところが多く存在しました。守るべき百姓たち、自身の国学への信条、後編ではこれらの葛藤を抱える晩年の半蔵が描かれています。

東山道軍の受け入れと江戸から国許へ移る人々

大政奉還後、半蔵が馬籠峠で迎えることになったのは東山道軍(幕府の残りの勢力を一掃するための天皇軍)でした。彼らは4日かけてここを通っていき、その間百姓訴え耳を傾ける旨のお触れを出していたため、半蔵はそうした貧しいものの声が届くことを期待していました。しかし、実際にはそもそもそうした声を挙げようという熱意を百姓たちは持っていませんでした。半蔵は自分と百姓たちの意識の差に大きく落胆したのでした。その後、新政府からのお達しにより、徳川家の親類を含む大名たちが江戸から国許へ強制的に帰国させられ、こうした人々の往来が続きました。

父との別れ

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新政府による諸改革が進み、とうとう半蔵の勤める問屋制度も廃止されることとなりました。これに伴い、半蔵はこれまで自身が受け持って来た役目の一部を他者へ譲らなければなりませんでした。これと時を同じくして、半蔵の父吉左衛門もいよいよ体調を崩しもはや寝たきりの状態でした。問屋の廃止を時代の流れから分かっていたこととしながらも吉左衛門は心を痛めました。そして家族に見守られながら吉左衛門はこの世を去ります。残された半蔵は、事業の引き渡しと同時期に起きた山林事件の対応に追われることとなり、まさに変革の渦中にいたのでした。

山林事件とその代償

半蔵はこの窮地に立ちあがり協力者とともに嘆願書を調え異議申し立てを図るべく奔走します。しかし、その結果待ち受けていたのは戸長(問屋廃止後の新たな呼び名)免職。半蔵の奔走は徒労に終わったことを意味し、愕然とします。それまでこの件にかかりきりだった半蔵には家庭のことを顧みる余裕もありませんでした。このとき娘の粂(くめ)には縁談が進められており、あとは嫁入りの日を待つのみという状況。しかし、粂はどうしてもこの結婚に乗り気ではなく日に日に落ち込んでいきました。半蔵の戸長免職が幸い縁談に影響しなかったことを家族が喜んだのもつかの間、粂はその縁談を苦に自殺未遂を図ります。事件は未遂に終わりましたが、この二つの事件は半蔵の精神大きな爪痕を残しました。

\次のページで「半蔵の葛藤」を解説!/

半蔵の葛藤

半蔵はここへきて、新たな世の中国学のあり方に対して疑問を感じるようになります。王政復古が叫ばれるなか、世の中は復古とは明らかに異なる近代へ向かい、そのころには全国的な国学の流行も過ぎ去っていました。師は年を取り、半蔵の同志も表舞台からすでに身を隠している状況。国学への葛藤が半蔵の中で大きくなるにつれて、次第に彼の精神は病んでいきます。

戸長免職を受け、新たな仕事を求め単身東京に出てきた半蔵。彼は偶然出くわした騎兵隊に向かって「異国人を放任すべきではない」という旨の歌をしたためた扇子を衝動的に投げ入れてしまうのです。この事件は罰金の支払いだけで済み懲役は免れたものの、こうした事件を経て半蔵は、ますます自分の中の葛藤に苛まれます。

衰弱する半蔵の精神

半蔵は東京から飛騨へ旅をし、やがて馬籠の家に戻ってきました。このとき戸長息子の宗太が務めており、半蔵は「静の屋」とよばれる隠宅で日々を過ごしていました。時代の変革の中、彼ら青山家の旧家も没落の運命にあらがえずにいました。そうした生活の中で半蔵は酒に溺れ「敵が来る」と幻覚を見るようになり、孤立を深めていきました。そんなある日半蔵は狂気に襲われ、先祖が建立した放火未遂を起こします。一同は半蔵を危険人物として座敷牢に閉じ込めました。かつて半蔵の書生であった勝重などがきて半蔵に語りかけますが、その時の半蔵に過去の面影はありません。そして半蔵は心身とも座敷牢の中で日に日に弱っていき、とうとう56年の生を最後は座敷牢の中で終えるのでした。彼の生涯は国学木曾の百姓たちのためにささげられたのでした。

晩年の半蔵は自身の無力さに打ちひしがれ、国学の目指す理想と現実の乖離を受け入れることができずに苦しみます。そして次第に酒におぼれるようになり、精神を病んでいくのです。青年期から半蔵は一つのことに一本気にのめり込む性格の持ち主であり、問屋経営の才については周囲から心配される一面もありました。彼の死に際してそれを悼み、最後まで見届けようとしたのは昔書生だった勝重。彼は半蔵の墓が作られる様子を他の家族や百姓たちが去った後にも一人見つめているのでした。

現代まで伝わる幕末の激動

「夜明け前」という小説は常に幕末の出来事や時代の流れと、それに想いを馳せる人々の葛藤が並行して描かれています。黒船来航、開国、尊王攘夷を掲げた戦。明日をも知れない幕末の世でそれでも人々は未来を案じながら日々の生活を送っていました。実際に読んでみるとそうしたリアルな息遣いが聞こえてくるようです。「国学は無用の長物なのか」。この葛藤に苦しむ晩年の半蔵の心情描写は非常にリアルで、読む人の心に突き刺さります。

また、歴史小説としても高く評価されているので日本史の勉強にもおすすめの本作。ぜひ一度手に取って読んでいただきたいと思います。

" /> 幕末を描いた長編小説「夜明け前」のあらすじとは?作者や時代背景まで現役会社員ライターが徹底わかりやすく解説! – Study-Z
幕末現代社会

幕末を描いた長編小説「夜明け前」のあらすじとは?作者や時代背景まで現役会社員ライターが徹底わかりやすく解説!

今回解説する「夜明け前」という小説は、詩人でもある島崎藤村が幕末の木曾街道を舞台に激動の幕末と、主人公半蔵の人生を追った長編小説です。「木曾路は全て山の中にある」という書き出しも有名です。今回はこの小説の時代背景から主人公の役目である駅長(うまやのおさ)の役目、本編あらすじまでを会社員ライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

物語の舞台とは?

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舞台は幕末から明治初期までの木曽街道。現在の岐阜県にかかる江戸と京都を結ぶ山中の街道が舞台です。

舞台は幕末の木曾街道

木曾街道は139里(550㎞)に及び、その中に木曾路をはじめとするいくつもの山道や峠がある難所でした。こうしたところには街道を進むために人や馬を手配する宿が各所に存在していました。この街道を通るのは庶民の交通路としてもですが、主に参勤交代に向かう大名たちの交通路でした。物語に登場する馬籠宿や妻籠宿は現在も伝統的な景観を保ち、観光地として整備されています。

参勤交代・旅人を支える本陣・問屋場

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木曾街道のように幕府から宿場町として定められると、本陣・問屋場が設置されました。本陣とは大名が参勤交代の際に利用する宿舎のことで、幕府公認の旅館ともいうべき存在でした。そして大勢の人員と大量の荷が街道を抜けるには人員と馬をこうした宿場で手配する必要がありました。このときに活躍するのが問屋場です。ここで、街道を通る際の人馬を手配し、足りなければ周囲の農村(助郷)に頼んで不足を補う仕組みになっていました。

作者の島崎藤村とは?

The graduation of Meiji Gakuin in 1891.jpg
明治学院 – 高谷道男著『ヘボンの手紙』有隣堂P.174, パブリック・ドメイン, リンクによる

藤村は明治5年筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市)に、物語と同じく本陣・問屋・庄屋を兼ねた旧家に生まれました。明治学院の普通科を卒業すると明治女学校、東北学院で教鞭をとりつつ、文学界では浪漫派詩人、自然派散文家として活躍しました。

島崎藤村の活躍した時代

明治時代の近代小説は主に浪漫主義自然主義に大別されることが多いと言えます。浪漫主義小説は感情に優位性を置き、自我の尊重や、封建道徳からの解放を主張するものでした。代表作として森鴎外の「舞姫」など。また、デビュー当初の藤村が刊行した「若菜集」もこれに含まれます。やがて、明治30年代になると人間社会の現実をありのままに表現する自然主義が確立。代表作は島崎藤村の「破壊」や田山花袋の「蒲団」が挙げられます。「夜明け前」歴史小説として高い評価を受けていますが、同時に自然主義小説であるとも言えるでしょう。

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