1.子どもの頃は親の小言にうんざりしていたが、息子を育てて人生で初めて、親がいかに自分に手をかけてくれていたのか実感できた。まさに子を持って知る親の恩だ。
2.子を持って知る親の恩というように、私も親の立場に立って初めてそのありがたみを知ったが、できることならそれよりももっと早くに気づくべきだった。
その2「親の思うほど子は思わぬ」
「親の思うほど子は思わぬ」の読み方は「おやのおもうほどこはおもわぬ」です。親は子どものことを常に気にかけていますが、一方の子どもは親を気にかける気持ちはそれほどでもないということを意味しています。
親が子どもを気にかけている、思っているという点は「親思う心にまさる親心」と共通です。しかし、「親思う心にまさる親心」では子ども自身も親を思っているのに対して、「親の思うほど子は思わぬ」では子どもの親を思う気持ちの程度はそれほどでもないとされています。使用する際には、このふたつの言葉のニュアンスの違いに注意しましょう。
1.親の思うほど子は思わぬというように、息子に苦労はかけまいと日々仕事に精を出す父だが、一方の息子はそれに感謝するどころか好き勝手な行動ばかりする。
2.体調を崩しがちな娘を思って毎日の生活に気を配っているが、親が体調を崩した時、娘には心配する気配すら見えない。まさに、親の思うほど子は思わぬだ。
「親思う心にまさる親心」の対義語は?
「親思う心にまさる親心」には明確な対義語は見つかりませんでした。しかし、あえて反対の意味になりそうな言葉を挙げるなら「子の心親知らず」が考えられるのではないでしょうか。
親は子どもの真意を汲み取れない、親は子どもをいつまでも子どもだと考えてしまうが子供は子供で様々なことを考えて日々成長するものだという意味で用いられます。
「親思う心にまさる親心」とまったくの反対の意味というわけではありませんが、参考までにあわせて覚えておきましょう。
「親思う心にまさる親ごころ」を使いこなそう
この記事では「親思う心にまさる親心」の意味・使い方・類語などを説明しました。
「親思う心にまさる親心」は、子どもが親を思う気持ち以上に、親の子どもを思う心は深いという意味する言葉です。自分が親になって初めて親の思いの強さに気づいく場合にも用いることができるので覚えておいてください。
このことわざは、幕末の思想家・教育者として有名な吉田松陰が残した辞世の句が由来となっています。興味のある人は、歴史に絡めて「親思う心にまさる親心」をもっと詳しく掘り下げてみるのも面白いのではないでしょうか。