「親思う心にまさる親心」の使い方・例文
「親思う心にまさる親心」の使い方を例文を使って見ていきましょう。
1.離れて暮らす高齢の母が心配でよく連絡を取るが、いつも自分のことよりも私を案じる。まさに、親思う心にまさる親心だ。
2.私は人一倍親思いだと思っていたが、自分に娘が生まれて初めて、親思う心にまさる親心の意味がわかった。
3.親思う心にまさる親心というように、あなたも親になればきっと親の気持ちの深さに気づくよ。
ここでは3つの例文を挙げました。一つ一つ例文を確認していきましょう。
例文1は、高齢の母親のことが心配で連絡をしても、母親は自分のことよりも娘のことばかり心配する様子を表しています。子どもも大人になれば親の身を心配するようになりますが、たとえ子どもが自立をしていたとしても親は子どもが思う気持ち以上に子どもを案じてしまうものなのです。
例文2は、自分に子どもが生まれて初めて、親が自分に対して抱いていた気持ちの深さがわかる様子を、例文3は、親の立場になればその気持ちがわかるよと諭している様子を表しています。親の慈愛の深さを示すだけでなく、子どもが実際に親になって初めて、親の愛の深さを理解できるというシーンや、教訓などとしても用いられることもあるのです。
「親思う心にまさる親心」の類義語は?違いは?
子どもが親を思う以上に、親が子どもを思う気持ちが深いことを意味する「親思う心にまさる親心」と似た意味を持つ言葉にはどのようなものがあるのでしょうか。下記の言葉について詳しく確認していきましょう。
その1「子を持って知る親の恩」
「子を持って知る親の恩」は「こをもってしるおやのおん」と読むことわざです。自分が親になって子育ての苦労を経験して、はじめて親のありがたみを理解できるということを意味します。
親や子どもがそれぞれに向ける気持ちについては触れていない点では「親思う心にまさる親心」とは異なりますが、自分が親になって初めて親のありがたみに気づくことができるという点では、「親思う心にまさる親心」と通じるのではないでしょうか。
\次のページで「その2「親の思うほど子は思わぬ」」を解説!/