現代社会

3分で簡単「大正ロマン」その定義とは?生まれた時代背景や活躍した芸術家などを歴史好きライターがわかりやすく解説

大正デモクラシーの高揚

明治の末期から大正年間にかけて、民主主義的な思想が高まりを見せました。吉野作造が民本主義を唱えるなど、市民が個人の権利や自由を主張するようになったのです。

それは、海外派兵反対・男女平等や部落差別からの解放・団結権や労働争議権の獲得・大学の自治権獲得など、多くの形で発露されました。その結果、政党政治普通選挙が実現することとなります。しかし、総理在職中だった原敬の暗殺や、全国に広がる米騒動などが世相に暗い影を落としました。また、普通選挙法とともに制定された治安維持法が、その後訪れる戦時中の言論統制へとつながります。

第一次世界大戦への参戦

1914(大正3)年、オーストリアの皇太子暗殺をきっかけとしてヨーロッパで次々と紛争が勃発。やがて三国同盟と三国協商を中心とする勢力に2分され、ヨーロッパ全土を巻き込む戦争となりました。それが第一次世界大戦です。

当時の日本はイギリスと同盟関係だったため、三国同盟側に加勢することとなります。結局日本がついた同盟国側が勝利したのですが、両軍合わせて1000万人以上の犠牲者を出しました。大戦当時に日本は当時の中華民国に21か条の要求を出すなどで圧力を加えたため、時を経たずして日本と中国が交戦する事態に追い込まれます。

関東大震災とその影響

1923年(大正12)年9月1日、当時の東京府(現在の東京都)などで大きな被害をもたらした関東大震災が起きました。昼食の時間帯と重なったため、建物などの崩落以上に火災での被害が深刻でした。死者・行方不明者を合わせると10万人を超える、非常に大きな災害となったのです。

震災後はもちろん復興が大きな課題となったのですが、日本は第一次世界大戦への参戦による景気の変動に苦しんでいました。戦争中は対外貿易の活発化や国内工業の発展などで好景気となったのですが、終戦後はその反動で一転して不況となります。そこに関東大震災が輪をかけたことにより、日本は昭和初期まで不景気に苦しみました。

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俗にスペイン風邪とも呼ばれるインフルエンザの世界的流行も大正時代のことだ。新型コロナウイルス同様、世界中で多くの犠牲者を出した。大正時代の暗くもあるムードを作った原因の1つとなったのだ。

大正時代に生活様式はどのように変化していった?

image by iStockphoto

短いながらも激動の時代であった大正。その頃の人々はどのような暮らしを送っていたのでしょうか。

生活や職業が多様化

大正時代は国民の約半分が農業に従事しているという時代でした。しかし、都市部などでは事務職が増え、大正時代末期頃に今のサラリーマンの原型といえる職業が確立されたといわれます。ですが、庶民というよりは、中産階級以上という位置付けでした。

一方で女性の側に目を向けると、大正時代になり多くの女性が働きに出るようになります。OLの原型も大正時代にできたとされますし、ウェイトレスエレベーターガールバスガイドなどが花形職業としてもてはやされるようになりました。このように、大正時代は日本人の生き方の選択肢が増えた時代ともいえます。

都市部を中心に文化的生活へ

大正時代になり、現代では当たり前ともいえる電気・ガス・水道のライフラインが整備されるようになりました。コンクリート製の建物が増え、住居にもガラス戸が入るようになります。カレーライスやコロッケといった洋食が食卓に並ぶようになったのも大正時代になってからです。

しかし、それらの出来事は都市部が中心でした。地方では、まだまだ質素な生活をしている人が多かったようです。テレビやインターネットは存在せず、大正時代になってラジオ放送は開始されましたが、広く利用されるようになったのは昭和に入ってからでした。

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スポーツが普及し始めたのも大正時代といえるだろう。日本が初めてオリンピックでメダルを獲得したアントワープ大会は大正時代だ。また、高校野球・高校サッカー・高校ラグビーの全国大会や東京六大学野球・箱根駅伝など、大正時代に始まったものは多いぞ。

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