今回は、現在でも建築などでその影響が見られる大正ロマンについて学んでいこう。

大正ロマンの定義やそれが生み出された時代背景、活躍した画家や作家などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

趣味はスポーツ観戦や神社仏閣巡りなどと多彩。幅広い知識を駆使して様々なジャンルに対応できるwebライターとして活動中。

大正ロマンが生まれた時代背景は?

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最初に、大正ロマンが生まれた時代背景はどのようなものだったのでしょうか。それには、大正という時代の特殊性にあるともいえます。

明治と昭和に挟まれる大正

映画や小説などで「大正ロマン」という言葉をよく聞くのではないでしょうか。その言葉1つとっても印象的といえる大正時代ですが、実はごく限られた期間でしかないことを意外に感じる人もいるでしょう。大正時代とは、1912年から1926年までの約14年と5ヶ月間を指します。

大正の前後にある明治と昭和はそれよりも長く、明治は45年、昭和に至っては64年までありました。それらと比べれば大正は短いのですが、「大正ロマン」という言葉があることからもわかる通り、大正という時代に憧憬ともいえる感情を持つ人が多いのも事実です。そうなったのも、大正が明治と昭和の狭間にあることが理由の1つであるともいえるでしょう。

近代化への道を歩む明治

1867(慶応3)年の大政奉還により武家政治が終了し、翌年に明治天皇が即位して明治時代が始まりました。江戸は東京と名前を改められ、天皇を中心とした国家構築が始まったのです。大日本帝国憲法が制定され、帝国議会を置いたことにより、日本も近代国家としての道を歩むことになります。

人々の生活も、文明開化により大きく習慣が変わりました。西洋の文化を取り入れたことにより、この頃からさらに生活様式が多様化しています。しかし、1894(明治27)年の日清戦争と1904(明治37)年日露戦争により、社会に暗い影を落とすこととなったのでした。

終戦と経済成長の昭和

1926年の昭和天皇即位で昭和の時代は始まるのですが、昭和の初期は日本も世界恐慌に巻き込まれました。打開策として植民地支配による勢力の拡大を志向した結果、軍部の台頭を許すことになります。その後、日本は日中戦争太平洋戦争を引き起こし、連合国軍の前に敗れて多くの犠牲者を出しました。

戦後は復興が大きな課題となりましたが、驚異的な速さでそれを成し遂げることとなります。1964年(昭和39)に開催された東京オリンピックなどを契機として、高度経済成長と呼ばれる好景気の波が押し寄せたのです。そして、地価と株価が上昇を続けるバブル景気のピークを迎える頃に昭和という時代が終わりました。

大正とはどのような時代だったのか

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では、明治と昭和に挟まれた大正とはどのような時代だったのでしょうか。ここでは、大正ロマンを生み出した大正時代について振り返ってみましょう。

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大正デモクラシーの高揚

明治の末期から大正年間にかけて、民主主義的な思想が高まりを見せました。吉野作造が民本主義を唱えるなど、市民が個人の権利や自由を主張するようになったのです。

それは、海外派兵反対・男女平等や部落差別からの解放・団結権や労働争議権の獲得・大学の自治権獲得など、多くの形で発露されました。その結果、政党政治普通選挙が実現することとなります。しかし、総理在職中だった原敬の暗殺や、全国に広がる米騒動などが世相に暗い影を落としました。また、普通選挙法とともに制定された治安維持法が、その後訪れる戦時中の言論統制へとつながります。

第一次世界大戦への参戦

1914(大正3)年、オーストリアの皇太子暗殺をきっかけとしてヨーロッパで次々と紛争が勃発。やがて三国同盟と三国協商を中心とする勢力に2分され、ヨーロッパ全土を巻き込む戦争となりました。それが第一次世界大戦です。

当時の日本はイギリスと同盟関係だったため、三国同盟側に加勢することとなります。結局日本がついた同盟国側が勝利したのですが、両軍合わせて1000万人以上の犠牲者を出しました。大戦当時に日本は当時の中華民国に21か条の要求を出すなどで圧力を加えたため、時を経たずして日本と中国が交戦する事態に追い込まれます。

関東大震災とその影響

1923年(大正12)年9月1日、当時の東京府(現在の東京都)などで大きな被害をもたらした関東大震災が起きました。昼食の時間帯と重なったため、建物などの崩落以上に火災での被害が深刻でした。死者・行方不明者を合わせると10万人を超える、非常に大きな災害となったのです。

震災後はもちろん復興が大きな課題となったのですが、日本は第一次世界大戦への参戦による景気の変動に苦しんでいました。戦争中は対外貿易の活発化や国内工業の発展などで好景気となったのですが、終戦後はその反動で一転して不況となります。そこに関東大震災が輪をかけたことにより、日本は昭和初期まで不景気に苦しみました。

大正時代に生活様式はどのように変化していった?

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短いながらも激動の時代であった大正。その頃の人々はどのような暮らしを送っていたのでしょうか。

生活や職業が多様化

大正時代は国民の約半分が農業に従事しているという時代でした。しかし、都市部などでは事務職が増え、大正時代末期頃に今のサラリーマンの原型といえる職業が確立されたといわれます。ですが、庶民というよりは、中産階級以上という位置付けでした。

一方で女性の側に目を向けると、大正時代になり多くの女性が働きに出るようになります。OLの原型も大正時代にできたとされますし、ウェイトレスエレベーターガールバスガイドなどが花形職業としてもてはやされるようになりました。このように、大正時代は日本人の生き方の選択肢が増えた時代ともいえます。

都市部を中心に文化的生活へ

大正時代になり、現代では当たり前ともいえる電気・ガス・水道のライフラインが整備されるようになりました。コンクリート製の建物が増え、住居にもガラス戸が入るようになります。カレーライスやコロッケといった洋食が食卓に並ぶようになったのも大正時代になってからです。

しかし、それらの出来事は都市部が中心でした。地方では、まだまだ質素な生活をしている人が多かったようです。テレビやインターネットは存在せず、大正時代になってラジオ放送は開始されましたが、広く利用されるようになったのは昭和に入ってからでした。

\次のページで「大正ロマンの定義とは」を解説!/

大正ロマンの定義とは

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ところで、大正ロマンには定義があるのでしょうか。そして、決まった様式があるのかについても説明していきましょう。

伝統と西洋文化の融合

大正ロマンの定義としては、「大正時代の雰囲気を伝える独特の文化や芸術」といった表現となります。しかし、大正時代に生み出されたものがすべて大正ロマンを名乗れるというわけではありません。

大正ロマン最大の特徴は、日本の伝統文化と西洋の文化が入り混じっているということです。明治時代になり日本へもたらされた西洋の芸術や生活様式が、大正時代になって日本の文化と融合し、日本独特の文化となって結実しました。特に建築や家具、服装などで和と洋2つの特徴を巧みに取り入れています。

華やかだが退廃的

「ロマン」という言葉を用いていることもあり、大正ロマンに華やかな印象を持つ人も多いでしょう。実際に、女性のパーマヘアが流行したのは大正時代からですし、童謡唱歌流行歌が街に流れるようになったのも大正になってからでした。劇団藝術座や後の宝塚歌劇団ができたのも大正時代、『キネマ旬報』の創刊も大正時代です。

しかし、戦争災害などが立て続けに起こったため、大正時代は必ずしも安寧の世の中とはいえませんでした。退廃的で厭世主義の生き方を選ぶ人も生まれています。華やかな文化が花開く一方で社会への不安を感じるという、複雑な感情を抱えたまま昭和のモダニズムへと進んでいったのです。

大正ロマンを象徴するものとは

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では、大正ロマンを象徴するものはあるのでしょうか。特に建築と服装に、その特徴が見られたようです。

和洋折衷の建築様式

現代でも大正ロマンの雰囲気を感じられるものに建築があります。東京の旧岩崎邸庭園や大阪の大阪府立中之島図書館などが大正ロマンの影響が顕著に現れているものとして有名です。岐阜県にある日本大正村に至っては、特定の施設だけに限らず町の至る所で大正ロマンの香りを感じられます。

大正時代の建物は、和と洋が入り混じっているというのが最大の特徴です。官公庁や学校、それに東京駅などといった公共の建物は、洋館風のものが多く造られました。その一方で、一般向けの住宅では、和風建築に洋風の建具や家具を組み合わせるという動きがあったのです。

\次のページで「ファッションにも大正ロマンの影響」を解説!/

ファッションにも大正ロマンの影響

大正ロマンを表す言葉に「ハイカラ」があります。これは「high collar」、つまり和服に比べて襟の高い洋服のシャツを表したものです。大正時代以降になり、特に男性はスーツにシャツネクタイに丸眼鏡や山高帽子といった服装を進んで着るようになりました。

女性の間でも、動きやすい機能的な装いが流行します。明るい色使いをしたスカートなどの洋服はもちろんのこと、和服も袴やブーツなどと組み合わせて着られるようになりました。ファッションでも和洋折衷が好まれていたのです。

大正ロマンの時代に生み出された芸術

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大正ロマンの時代には、多くの印象的な芸術作品が生み出されました。どのような作者や作品が生まれたのかを見ていきましょう。

モダンアートへつながる作品とそれらを生んだ芸術家たち

大正ロマンを代表する芸術家として真っ先に名前が挙がるのは、竹久夢二ではないでしょうか。彼の活躍した時期がちょうど大正時代とその前後に重なることもその要因です。抒情的なタッチで描かれた彼の美人画は、高畠華宵ら同時期の画家の作品とともに多くの雑誌や楽譜集の表紙を飾りました。

夢二の活動は絵だけにとどまらず、詩や童謡なども手掛けています。その童謡の世界では、他にも西條八十野口雨情といった作詞家や、中山晋平山田耕筰といった作曲家も大正時代に活躍しました。夢二らが残した芸術作品の数々は、日本におけるモダンアートの先駆けといえます。

大正ロマン期に活躍した作家は?

大正ロマンの時代に活躍した作家には、多くの名前が挙げられます。文学賞の名前でもある芥川龍之介直木三十五は主に大正時代に活躍し、2つの賞を創設した菊池寛もその時代の作家です。中里介山大佛次郎といった大衆向け作品の作家の活躍も、大正時代から目立つようになりました。

大正デモクラシーによる自由主義の空気は、志賀直哉有島武郎といった白樺派の作家を多く輩出することとなります。その一方で、谷崎潤一郎佐藤春夫など、文学での美を追求する耽美派の作家も生まれました。高村光太郎萩原朔太郎らの口語詩やアララギ派による短歌も大正時代のものであり、当時の文壇が大正ロマンに彩りを加えたのは間違いありません。

大正という時代を知ったうえで大正ロマンにふれてみよう!

大正という時代を振り返ってみると、大正ロマンには華やかなイメージがある反面、どこか陰のある部分も感じられるのではないでしょうか。今でも大正ロマンの香りが残る建築物は残っており、映画や小説などでも大正ロマンを再現したものは多く作られています。そういったもので大正ロマンを堪能する際には、大正時代の世相や社会背景を踏まえれば、より深く感銘を受けるでしょう。

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3分で簡単「大正ロマン」その定義とは?生まれた時代背景や活躍した芸術家などを歴史好きライターがわかりやすく解説

今回は、現在でも建築などでその影響が見られる大正ロマンについて学んでいこう。

大正ロマンの定義やそれが生み出された時代背景、活躍した画家や作家などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

趣味はスポーツ観戦や神社仏閣巡りなどと多彩。幅広い知識を駆使して様々なジャンルに対応できるwebライターとして活動中。

大正ロマンが生まれた時代背景は?

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最初に、大正ロマンが生まれた時代背景はどのようなものだったのでしょうか。それには、大正という時代の特殊性にあるともいえます。

明治と昭和に挟まれる大正

映画や小説などで「大正ロマン」という言葉をよく聞くのではないでしょうか。その言葉1つとっても印象的といえる大正時代ですが、実はごく限られた期間でしかないことを意外に感じる人もいるでしょう。大正時代とは、1912年から1926年までの約14年と5ヶ月間を指します。

大正の前後にある明治と昭和はそれよりも長く、明治は45年、昭和に至っては64年までありました。それらと比べれば大正は短いのですが、「大正ロマン」という言葉があることからもわかる通り、大正という時代に憧憬ともいえる感情を持つ人が多いのも事実です。そうなったのも、大正が明治と昭和の狭間にあることが理由の1つであるともいえるでしょう。

近代化への道を歩む明治

1867(慶応3)年の大政奉還により武家政治が終了し、翌年に明治天皇が即位して明治時代が始まりました。江戸は東京と名前を改められ、天皇を中心とした国家構築が始まったのです。大日本帝国憲法が制定され、帝国議会を置いたことにより、日本も近代国家としての道を歩むことになります。

人々の生活も、文明開化により大きく習慣が変わりました。西洋の文化を取り入れたことにより、この頃からさらに生活様式が多様化しています。しかし、1894(明治27)年の日清戦争と1904(明治37)年日露戦争により、社会に暗い影を落とすこととなったのでした。

終戦と経済成長の昭和

1926年の昭和天皇即位で昭和の時代は始まるのですが、昭和の初期は日本も世界恐慌に巻き込まれました。打開策として植民地支配による勢力の拡大を志向した結果、軍部の台頭を許すことになります。その後、日本は日中戦争太平洋戦争を引き起こし、連合国軍の前に敗れて多くの犠牲者を出しました。

戦後は復興が大きな課題となりましたが、驚異的な速さでそれを成し遂げることとなります。1964年(昭和39)に開催された東京オリンピックなどを契機として、高度経済成長と呼ばれる好景気の波が押し寄せたのです。そして、地価と株価が上昇を続けるバブル景気のピークを迎える頃に昭和という時代が終わりました。

大正とはどのような時代だったのか

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では、明治と昭和に挟まれた大正とはどのような時代だったのでしょうか。ここでは、大正ロマンを生み出した大正時代について振り返ってみましょう。

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