3分で簡単「大正ロマン」その定義とは?生まれた時代背景や活躍した芸術家などを歴史好きライターがわかりやすく解説
大正ロマンの定義やそれが生み出された時代背景、活躍した画家や作家などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
- 大正ロマンが生まれた時代背景は?
- 明治と昭和に挟まれる大正
- 近代化への道を歩む明治
- 終戦と経済成長の昭和
- 大正とはどのような時代だったのか
- 大正デモクラシーの高揚
- 第一次世界大戦への参戦
- 関東大震災とその影響
- 大正時代に生活様式はどのように変化していった?
- 生活や職業が多様化
- 都市部を中心に文化的生活へ
- 大正ロマンの定義とは
- 伝統と西洋文化の融合
- 華やかだが退廃的
- 大正ロマンを象徴するものとは
- 和洋折衷の建築様式
- ファッションにも大正ロマンの影響
- 大正ロマンの時代に生み出された芸術
- モダンアートへつながる作品とそれらを生んだ芸術家たち
- 大正ロマン期に活躍した作家は?
- 大正という時代を知ったうえで大正ロマンにふれてみよう!
この記事の目次
ライター/タケル
趣味はスポーツ観戦や神社仏閣巡りなどと多彩。幅広い知識を駆使して様々なジャンルに対応できるwebライターとして活動中。
大正ロマンが生まれた時代背景は?
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最初に、大正ロマンが生まれた時代背景はどのようなものだったのでしょうか。それには、大正という時代の特殊性にあるともいえます。
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明治と昭和に挟まれる大正
映画や小説などで「大正ロマン」という言葉をよく聞くのではないでしょうか。その言葉1つとっても印象的といえる大正時代ですが、実はごく限られた期間でしかないことを意外に感じる人もいるでしょう。大正時代とは、1912年から1926年までの約14年と5ヶ月間を指します。
大正の前後にある明治と昭和はそれよりも長く、明治は45年、昭和に至っては64年までありました。それらと比べれば大正は短いのですが、「大正ロマン」という言葉があることからもわかる通り、大正という時代に憧憬ともいえる感情を持つ人が多いのも事実です。そうなったのも、大正が明治と昭和の狭間にあることが理由の1つであるともいえるでしょう。
近代化への道を歩む明治
1867(慶応3)年の大政奉還により武家政治が終了し、翌年に明治天皇が即位して明治時代が始まりました。江戸は東京と名前を改められ、天皇を中心とした国家構築が始まったのです。大日本帝国憲法が制定され、帝国議会を置いたことにより、日本も近代国家としての道を歩むことになります。
人々の生活も、文明開化により大きく習慣が変わりました。西洋の文化を取り入れたことにより、この頃からさらに生活様式が多様化しています。しかし、1894(明治27)年の日清戦争と1904(明治37)年日露戦争により、社会に暗い影を落とすこととなったのでした。
終戦と経済成長の昭和
1926年の昭和天皇即位で昭和の時代は始まるのですが、昭和の初期は日本も世界恐慌に巻き込まれました。打開策として植民地支配による勢力の拡大を志向した結果、軍部の台頭を許すことになります。その後、日本は日中戦争や太平洋戦争を引き起こし、連合国軍の前に敗れて多くの犠牲者を出しました。
戦後は復興が大きな課題となりましたが、驚異的な速さでそれを成し遂げることとなります。1964年(昭和39)に開催された東京オリンピックなどを契機として、高度経済成長と呼ばれる好景気の波が押し寄せたのです。そして、地価と株価が上昇を続けるバブル景気のピークを迎える頃に昭和という時代が終わりました。
大正とはどのような時代だったのか
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では、明治と昭和に挟まれた大正とはどのような時代だったのでしょうか。ここでは、大正ロマンを生み出した大正時代について振り返ってみましょう。
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