フランス革命世界史

コロナ禍を予見した?フランスの文豪「カミュ」の人生や作品、現代に残すメッセージを元大学教員が5分で解説

よぉ、桜木建二だ。アルベール・カミュは、第二次世界大戦中に彗星のようにあらわれたフランス人の作家。短い期間で世界的に知られた存在となった。今でも自然災害が起きるとカミュに注目が集まるが、どうしてなのだろうか。

カミュが現代のコロナ禍を予見したと言われる理由を、彼の生涯や作品などを通じて世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。新型コロナウィルスの影響で、カミュの『ペスト』が久々にベストセラーになっていることを聞いた。もともと大好きな作品。そこで改めてカミュの情報についてまとめてみることにした。

アルベール・カミュとはどんな人物?

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Par Rehtse — Travail personnel, CC BY-SA 4.0, Lien

カミュは青年時代から文学の手練を摘んでおり、その文体はフランス古典の伝統に繋がっていると評されました。そこから、新古典派とも称賛されています。1957年の44 歳でノーベル文学賞を受けました。

ナチスと戦った青年期のカミュ

1913年11月7日、フランス領アルジェリアの地中海の近くにあるモンドヴィという村に生れました。母はスペイン系、父は出稼ぎ労働者でした。父はカミュが生れてすぐに亡くなり、女手一つで育てられました。貧しい暮らしのなか、アルジェリア大学文学部哲学科を卒業。いろいろな職業を転々とし、最終的にはアルジェの地方新聞の記者となりました。

カミュは独学で文章力を磨き、やがて手腕を認められるようになります。1940年、パリの夕刊紙『パリ・ソワール』の記者となり、美しい文体で名をあげ、パリの新聞界に進出しました。しかし、この年の6月にドイツ軍がフランスに侵入、カミュはパリから離れてアルジェリアに戻ります。そこで私立学校の教師としての職を得て、同志と一緒に「自由フランス」「表現の自由」「ナチスに抵抗」を旗印に活動、ナチスドイツと闘いました。

作家としての才能を開花させたカミュ

カミュたちはナチスドイツと戦いながら新聞を発行。カミュの文学の才能は大いに認められました。1942年にフランスの「作家全国委員会」の一員としてレジスタンス運動に参加。ドイツに対する地下抵抗運動を展開するためにパリに潜入します。

『異邦人』は海外でも大きな反響を呼び、カミュは世界的な名声を得ました。キリスト教徒とも共産主義者とも異なるカミュの思想は、若い知識人に大きな影響を与え、カミュに会いに来る若者が続出しました。1947年6月に発表された『ペスト』は、それ以上に熱狂的に受け入れられました。

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カミュは人気作家の仲間入りを果たしたものの、1960年1月4日に自動車事故で即死。カミュの人生は突然幕を下ろした。それから70年以上たった今、コロナ禍の世界で再び『ペスト』が脚光を浴びている。ペストという疫病に脅かされ、死の恐怖と絶望のなかを生きる人間の苦悩が、今の世界にそのまま重なったのだろう。

アルベール・カミュが残した作品たち

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By LesekreisOwn work, CC0, Link

フランスの思想界を揺るがすほどの地位を得たカミュですが、彼が残した小説はほんのわずか。前期の『異邦人』『ペスト』、後期の『転落』『追放と王国』だけです。戯曲については『誤解』『正義の人々』『戒厳令』など4作品。また、『十字架への信仰』『お化け騒動』など、昔の作家の作品を脚色した作品は多数あります。カミュにとって、戦後の緊迫した思想の状況から、小説よりも舞台のほうが表現しやすかったのでしょう。

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