今回は「建国記念日」について解説していきます。そもそも建国記念日とは国家によってその定義は異なるが、建国された日、もしくはそれにちなんだ日が多くの国で祝日となっているんです。日本では建国神話を元にしているが、世界には近代以降、現代の国家になる際の国家的出来事の日を定めている国も多く存在する。こうした各国との比較や日本国内における建国神話についてライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

建国記念日の定義とは

建国記念日とは文字通り建国を記念する祝日をさします。ですが建国の定義はそれぞれの国家によって異なっており、統一的な基準はありません。また国家の祝日として定められていない場合もあります。

各国で異なる建国記念日

建国記念日と一言で言ってもその起源や名称については様々です。別の国家から独立を果たし、その独立の日を記念日として「独立記念日」を定めている国家も多く存在します。また、制定されている日が具体的な史実に基づく場合もあれば、起源については曖昧なもの、もしくは「建国記念」という祝日を設けていない国家も。こうした各国の建国記念日を見ていくとその国の歴史や宗教的な伝統が垣間見えます。

日本の建国記念日は?

正式には、日本に建国記念日はなく、カレンダー上では「建国記念の日」とされています。というのも日本の場合遥か昔の神話をもとに建国の日を定めており祝日とはいえ日にちについては仮説の域を出ません。そのため記念日として固定してしまうのではなくあくまで建国について思いを馳せる機会を作ると言う意味合いで建国記念の日を設定。また戦後、天皇が政治権力から離れ国家の象徴となったこともこの記念日を抽象的に表現している理由なのですが、それについては後述の<戦後の建国記念確立>の項で述べていきたいと思います。

日本における建国神話<古事記>

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古事記は伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)による世界の創造に始まり、神と神、神と人、やがて人間同士の戦いを経て神武天皇が即位するまでが叙述的に記されています。その内容は大和政権の原初の形が出来上がるまでを記したものというのが見解として一般的。但し、記されている歴史の舞台がどこに当たるのかについては未だに謎が多く、はっきりと解明されていないので学者たちの中でも意見が分かれています。

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<その1>神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)東征へ出立

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)(後の神武天皇)は神の国である高天原と死者の国である黄泉の国の間にある芦原中国(アシハラのナカツクニ)を治めるにはどこへ向かうべきかを兄の五瀬命(イツセノミコト)と相談し、日向の高千穂(現在の宮崎県)から東へ出征することを決めました。まず、高千穂から筑紫(現在の福岡県)へ、そして吉備国(現在の岡山県)へと向かいます。吉備の国に到達するまでに筑紫国に1年、そこから吉備へ向かう途中の阿岐国(現在の広島県)で7年、その後8年間を吉備の国で過ごしました。その後浪速の国(現在の大阪府)に停泊すると登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)の軍勢が待ち構えていました。この戦いの中で五瀬命は紀国(現在の和歌山県)で命を落とします。そして那須賀泥毘古との戦いは最終決戦まで続いていくのです。

<その2>高倉下(タカクラジ)との出会い

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Tsukioka Yoshitoshi (1839-1892) - Egenolf Gallery [1], パブリック・ドメイン, リンクによる

その後、熊野(現在の三重県)に到達した神武の軍は大熊の悪神に遭遇し、その毒気に充てられて全員が気を失ってしまいます。この危機に現れたのが尾張の豪族である高倉下(タカクラジ)。彼は自身の夢に出てきた天照大神(アマテラスオオミカミ)と高木神(タカミムスビ)の二神のお告げに従い、昔神が葦原中国を平定させるのに使用した偉大な刀を持ってこの危機に参上したのです。彼が大刀を持ってきて一振りすると神武は意識を取り戻しました。そして高倉下からその大刀を受け取ると、熊野の荒ぶる神は倒され、兵士たちも意識を取り戻しました。

<その3>神武天皇の即位

その後も熊野からさらに険しい道を進み、大和の宇陀(現在の奈良県)に至ります。大和は神武の軍の対抗勢力である豪族の本拠地ともいえる場所であり、ここでの戦いが政権をかけた最後の戦となりました。神武の軍は高木神の遣わされた八咫烏とともに豪族たちと戦いました。時には敵の仕掛けた罠に返り討ちにさせ、時には料理人に暗殺者を仕込んで一斉に敵を討つこともありました。そして最後には大和最大の対抗勢力ともいえる登美能那須賀泥毘古との戦いに勝利し、数多の神や豪族を服従させました。その後畝火の白檮原宮(奈良盆地南部にある山中の宮)で神武天皇として即位し、初代天皇となったのです。

もう一つの主要建国神話<日本書紀>

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不明 - http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=4&ID=w012&SubID=s000, パブリック・ドメイン, リンクによる

前項で紹介した建国神話と類似の話が収録されているのが日本書紀。東征の数やエピソードの細部は違えど、神武天皇が東征を進めていく道のりは概ね一致しています。特徴としては、古事記はこうしたエピソードを小説に近い形式で叙述的に記録しているのに対して、日本書紀は長い年表のような形式で記されていること。これら2編は古事記の「記」と日本書紀の「紀」をとって「記紀」とまとめて表現されることもあります。日本書紀は年表の形式をとっているとはいえ、やはり古事記と同様出来事や時系列の正確性は乏しいものです。

前述のとおり、日本の建国神話は諸豪族の勢力を押さえて大和政権が成立し、その指導者として神武天皇が即位するまでがときに伝説や神の存在を織り交ぜつつ描かれています。今回は内容を抜粋していますが、原文では記紀ともにその地の豪族勢力との戦いが多く描かれており、神武の軍が着実に勢力を拡大していく様子が描かれているのです。ちたみに古事記についてはこれらの内容が小説のような形態で描かれているので、個人的には比較的読みやすいかと思います。

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明確な建国記念日の事例

日本抽象的な史実から記念日を設けている一方で、近現代の社会的出来事から正確な建国記念日を設けている国もあります。国家が独立し、新たに形成されるというニュースを見聞きしたことがあるのではないでしょうか。こうした事件が建国記念となるのは現代でも決して珍しいことではありません。いくつか事例を紹介します。

<ソビエト解放>複数の国が同じ由来で建国記念日を設定

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1991年にソビエト連邦が崩壊した際に独立を宣言した国家が複数あります。そのため、複数の国家で1991年からのこの独立記念日が建国記念日にあたるのです。具体的にはロシア、ウクライナ、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、といった国家が挙げられます。ちなみに、このソビエト連邦の崩壊は西洋諸国にとっては「共産主義の絶滅」ともいえる事件でした。起きたのはわずか20年前ですが現代史を代表する世界的事件の一つです。

<リビア/カダフィ政権解放>2010年以降制定されている建国記念日

リビアは地中海に面した産油国です。ここでは王制政治が行われていましたが1969年におきた軍のクーデター以降、実質ムアマル・カダフィ大佐の独裁政治体制がひかれていました。ところが、2011年から始まった「アラブの春」と呼ばれるアフリカ諸国の民主化運動のあおりを受け、反政府デモが勃発し、カダフィ大佐はその鎮圧に乗り出します。しかし、リビア市民の保護を目的に多国籍軍の軍事介入が国連で決議されカダフィ政府軍に対して空爆攻撃を開始。その後リビア国内の反政府勢力は首都トリポリを制圧し、カダフィ政権は崩壊。この日がリビアの新たな独立記念日となりました。

日本のようにはるか昔の逸話から建国記念を設けている国もあれば、前述のとおり、具体的な社会事象に基づいて、ここ数十年、もしくはもっと最近に独立記念という形で建国記念が設けられている国もあります。日本に住む我々には独立記念日が最近設けられたばかり、というのはイメージしづらいかもしれませんが、反対に海外諸国からすれば数千年前の詳細不明な建国日を未だに祝日としていることを不思議に思われてもおかしくないでしょう。

建国神話の位置づけ

前項でみた具体的な事例と比較すると、日本の建国記念の基礎となっている建国神話には神が当たり前に存在し、100年以上生きた人物も登場しています。これが他国のように忠実な史実であるかといえば答えは「否」。日本の建国神話は大和政権の発足までを抽象的に描いたものであり、正確な史実ではありません。ではなぜそんな曖昧のものが作られたのか。その理由は、こうした記紀が編纂された目的が「正確な史実を残すこと」ではなく別に存在したからなのです。

建国神話の示すもの

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大和政権発足当時、生まれたばかりの国家がその存在を人々にはっきり認知させるためには「人々がこれから語り継ぐ国家の成り立ちの内容を統一させる」必要がありました。現代のようなメディアが存在しないこの時代に「建国史の意識統一」は急務の一つでした。一方でその編纂内容は力を持った豪族たちの反感を買わないものでなければせっかく誕生した国家に新たな敵を作りかねません。こうした繊細な問題をふまえて作られたのが、人物や出来事を具体的な表現からあえて抽象的なものに置き換え、時には伝説にすり替えて編纂されたこの記紀なのです。言わばこれらの記録は「比喩をふんだんに織り交ぜた建国の史実」であるともいえます。

\次のページで「戦後の建国記念確立」を解説!/

戦後の建国記念確立

では、現在の日本の「建国記念の日」がいつから存在したかというと実は戦後のことなのです。それ以前には明治初期にあたる1872年「神武天皇の即位した日」として「紀元節」という名で祝日が設定されていました。ところが戦後まもなく憲法、法律は大幅に変わり、それとともに紀元節の祝日も廃止されまてしまいます。しかしその後、紀元節復活に向けた動きが1950年代から見られるようになりました。1957年から「建国記念日」制定に関する法律案の提出と廃案が何度も繰り返されます。やがて「建国記念日」から「建国記念の日」とすることで紀元節よりも国の成立そのものに想いを馳せるという抽象的な表現に落とし込むことで1966年に現在の「建国記念の日」が制定されたのです。

考察ー日本と天皇の伝統

ここまで述べてきたように、日本の建国記念の日は1000年以上前の神話を元に天皇即位の日が制定されていますが、今日まで日本という国が何も変化がなかったわけではありません。現に、戦後GHQの指導の下天皇は国の象徴と憲法で定められた際に「紀元節」は廃止されているのです。しかしこのとき日本は新たな建国記念日を設けるのではなく、形を変えてこの祝日を存続させる道を選びました。それも法案提出と廃案を9回も繰り返して。当時はまだ天皇政治の感覚が日本人の中で色濃く残っていたのかもしれませんが、やはりそういった状況とは別に我々日本人にとって天皇の存在は、国の象徴を残すという意味で無意識にも一つの大きな伝統なのではないかと思われます。

建国に表れる伝統の感覚

建国記念という日に何を基準に据えるか、というのは自分たちの国の成り立ちに大なり小なり考えを巡らせることになります。日本人の多くは、日本の成り立ち、と言われたときに神話の時代まで一気にさかのぼって考える場合が多いのではないでしょうか。日本の建国、成り立ちと言われて数年~数十年前を思い浮かべる人は少ないかと思います。しかし、各国に目を向けると、直近の歴史として明確に自身の生まれた国の建国思い浮かべる人が多いのも事実。普段あまり表に出ない感覚差異ですが、こうしたところからも無意識にしみついている文化的な感覚の違いを感じられるのは大変興味深いことです。

" /> 3分で分かる「建国記念日」日本の建国記念日はいつ?その歴史は?世界と日本で定義は共通なのかについても現役社会人ライターがわかりやすく解説! – Study-Z
現代社会

3分で分かる「建国記念日」日本の建国記念日はいつ?その歴史は?世界と日本で定義は共通なのかについても現役社会人ライターがわかりやすく解説!

今回は「建国記念日」について解説していきます。そもそも建国記念日とは国家によってその定義は異なるが、建国された日、もしくはそれにちなんだ日が多くの国で祝日となっているんです。日本では建国神話を元にしているが、世界には近代以降、現代の国家になる際の国家的出来事の日を定めている国も多く存在する。こうした各国との比較や日本国内における建国神話についてライターのけさまると一緒に解説していきます。

ライター/けさまる

普段は鉄鋼系の事務をしながら、大学時代の人文学科での経験を生かして執筆活動に取り組む。学生時代の研究テーマはイスラームについて。

建国記念日の定義とは

建国記念日とは文字通り建国を記念する祝日をさします。ですが建国の定義はそれぞれの国家によって異なっており、統一的な基準はありません。また国家の祝日として定められていない場合もあります。

各国で異なる建国記念日

建国記念日と一言で言ってもその起源や名称については様々です。別の国家から独立を果たし、その独立の日を記念日として「独立記念日」を定めている国家も多く存在します。また、制定されている日が具体的な史実に基づく場合もあれば、起源については曖昧なもの、もしくは「建国記念」という祝日を設けていない国家も。こうした各国の建国記念日を見ていくとその国の歴史や宗教的な伝統が垣間見えます。

日本の建国記念日は?

正式には、日本に建国記念日はなく、カレンダー上では「建国記念の日」とされています。というのも日本の場合遥か昔の神話をもとに建国の日を定めており祝日とはいえ日にちについては仮説の域を出ません。そのため記念日として固定してしまうのではなくあくまで建国について思いを馳せる機会を作ると言う意味合いで建国記念の日を設定。また戦後、天皇が政治権力から離れ国家の象徴となったこともこの記念日を抽象的に表現している理由なのですが、それについては後述の<戦後の建国記念確立>の項で述べていきたいと思います。

日本における建国神話<古事記>

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古事記は伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)による世界の創造に始まり、神と神、神と人、やがて人間同士の戦いを経て神武天皇が即位するまでが叙述的に記されています。その内容は大和政権の原初の形が出来上がるまでを記したものというのが見解として一般的。但し、記されている歴史の舞台がどこに当たるのかについては未だに謎が多く、はっきりと解明されていないので学者たちの中でも意見が分かれています。

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