現代社会

3分で簡単「公明党」どんな政策を掲げている?代表や政教分離問題などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説

細川内閣の8党連立政権に参加

1993(平成5)年、自民党が小沢一郎らの造反により分裂し、さらに総選挙で惨敗して過半数の議席を維持できなくなりました。それらに乗じて自民党や共産党などを除く8つの政党が連立し、新しい政権を発足させます。それが細川護熙内閣です。公明党にとっては結党以来初となる政権参加でした。

公明党からは、当時の委員長だった石田幸四郎をはじめ4人が入閣します。発足当初の内閣の支持率は非常に高く、世間からは特に政治改革を期待されていました。しかし、国民福祉税構想の発表から支持率は急落します。結局、8党の足並みが揃わなくなったことも加わり、細川内閣は1年と持たず総辞職してしまいました。

羽田内閣に参加するも短命に

細川内閣の総辞職を受けて、羽田孜が内閣運営を引き継ぎます。公明党からは6人が入閣しました。しかし、連立から社会党(当時)が離脱し、連立政権は議会での過半数維持が困難になります。不信任決議案の可決が濃厚となった羽田内閣は、わずか2ヶ月で総辞職に追い込まれました。

自民党と社会党、それに新党さきがけの3党は、当時の社会党委員長だった村山富市を擁立して連立政権を樹立します。政権の座から降りた公明党は、のちに新進党(当時)に参加する公明新党と、そのまま残って創価学会の支持を受ける公明という2つの政党に分裂しました。しかし、1998年に公明が母体となり、公明党が再結成されています。

自公政権で安定多数

1994(平成6)年からの自社さ3党による連立は、やがて議席数を回復させた自民党の単独政権となります。しかし、幾度の野党再編を経て結成された民主党が2009(平成21)年の総選挙で圧勝し、再び自民党から政権を奪いました。その間の公明党は野党に甘んじるばかりでした。

2012(平成24)年の総選挙で自民党が圧勝すると、公明党との連立で政権の座に返り咲きました。それ以来、総選挙において自民党が単独で過半数を獲得しても、自公2党での連立政権は維持されています。その時期の歴代すべての内閣では、国土交通大臣を公明党の議員が務めることが既定路線となっているようです。

公明党と政教分離

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公明党について常に議論となるのが、政教分離の問題です。果たして公明党の存在は否定されるべきなのでしょうか。

言論出版妨害事件とは

1969(昭和44)年、政治評論家の藤原弘達が、創価学会と公明党を批判する内容の著書を出版する計画を立てていました。その中では、創価学会と公明党の関係は政教一致ではないかと述べています。その情報を察知した創価学会の関係者が、著書の書き直しや販売中止などを要求しました。

しかし、藤原は翻意せず、著書の出版に踏み切ります。すると、学会関係者が書店などに著書を販売しないよう働きかける事案が相次ぎました。国会でも議論となる騒ぎとなったため、当時の創価学会会長である池田大作が謝罪するという事態になったのです。これら一連の騒動を言論出版妨害事件と呼びます。

公明党の見解

公明党の公式ホームページには、公明党と創価学会との関係や、政教分離についての見解が記されています。もちろん政教一致を肯定したものではありません。そういった批判を全く的外れなものと一蹴している状況です。

それによると、憲法が規制対象としているものを国家権力と解釈しています。国家権力が特定の宗教を擁護したり、国民に強制したりすることが憲法違反であるとしているのです。そして、創価学会という宗教団体が、公明党という政党を支援することはなんら憲法違反にはならないと述べています。

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