3分で簡単「公明党」どんな政策を掲げている?代表や政教分離問題などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
公明党の主な政策や代表となっている人物、それに政教分離問題などについて、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
- 公明党のはじまり
- 1956年に国政で初めての議席
- 1964年に公明党と名を変える
- 公明党が掲げる政治理念とは?
- 福祉に力を入れる
- 中道主義を標榜
- 現在の代表とは?
- かつては代表という役職ではなかった
- 2009年より山口那津男が代表を務める
- 連立政権と公明党
- 細川内閣の8党連立政権に参加
- 羽田内閣に参加するも短命に
- 自公政権で安定多数
- 公明党と政教分離
- 言論出版妨害事件とは
- 公明党の見解
- 政権与党に公明党がいることの是非
- 公明党が今後直面するであろう問題は?
- 連立維持と政治理念のどちらを優先させるのか
- 下野した後の立ち位置をどうするか
- 公明党が今後どう国会で存在感を示すのか注目しよう
この記事の目次
ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
1956年に国政で初めての議席
戦後になり宗教法人としての規模を拡大させた創価学会。その中の文化部が、1950年代から政界進出に挑むようになります。国民の生活を変えるには政治を変える必要があると、当時の首脳部が考えたためです。はじめは無所属で出馬した候補者を、創価学会が支援するという形を取りました。
1956(昭和31)年の参議院選挙で3名の当選者を出した創価学会は、ここから国政に進出します。1961(昭和36)年には、さらにその勢いを強化させようと公明政治連盟を結成しました。のちの公明党となる団体です。
1964年に公明党と名を変える
1964(昭和39)年、公明政治連盟が改組され、名前も公明党に改められました。創価学会から組織を独立させるのがその理由です。結党大会は1万人以上の党員が集まる大規模なものでした。
1967(昭和42)年には衆参両院で合わせて45議席を獲得するようになり、自民党・社会党(当時)に続く第3の勢力としての地位を築くようになります。その頃から1980年代にかけては、社会党や民社党(当時)と連携を取って、自民党と対立する路線を歩んでいました。しかし、自民党の壁は高く、その間はずっと野党として活動するしかありませんでした。
福祉に力を入れる
公明党は特に福祉政策に力を入れてきており、「福祉の党」と呼ぶ人もいるほどです。党の綱領にも「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義を貫く」「人間・人類の幸福追求を目的とする」といった文言が並んでいます。
障害者自立支援法を自民党とともに成立させ、障害者が福祉サービスを利用しやすくしました。2016(平成28)年に成立した無給年金者救済法により、年金受給資格期間が10年に短縮されています。1999(平成11)年の小渕内閣時代に発行された地域振興券や、消費税率を10%に引き上げた際に導入された軽減税率は、公明党の意向が強く反映されたものです。
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