平安時代日本史鎌倉時代

宮中の恋愛泥沼劇!「とはずがたり」そのあらすじについて元大学教員が5分でわかりやすく解説

女西行として周遊する二条

旅をするにも多額の資金が必要です。当時として場贅沢な世界一周のようなもの。二条は貴族の出身であり、莫大な遺産を相続するのみならず、多額の給与を朝廷からもらっており、資金は潤沢でした。二条の旅は、懺悔と後悔と西行への憧れにふけったもの。行く先々で歌を詠み、その地で出会った人々と交流しました。トラブルに巻き込まれる様子が描かれるなど、西行の「山家集」の影響が強く見られました。

34歳、奈良の神社や寺を詣でて京へ帰る途中に石清水八幡宮で後深草院と再会します。御所さまもすでに出家の身。それでも二条は忘れられない女性でした。御所さまから度々誘われたが断り続けた二条。伏見で再会したときに体を交えず心が通じあいます。

男性たちとの永久の別れ

二条は45歳。生きながらえてしまったと、生きていること自体を恥じるようになりました。二条にしか分からない複雑な感情があったのでしょう。備後の国で出会った遊女たちの優しさに触れ、自分は遊女の生き方と似ていると感じるようになります。そして、自分を肯定するしかない、否定したら死ぬしかないと思うようになりました。

そのようなとき、御所さまの正妻の死が伝えられます。御所さまをめぐる恋敵だった女性。そんな諍いも過ぎ去りました。そして二条は「雪の曙」を訪ねます。年老いた彼は二条のことを認識できません。そんな彼を見て二条は黙って立ち去ります。追い打ちをかけるように届いたのが御所さまの崩御の知らせ。葬送の列を二条は泣きながら裸足で追いかけました。

「とはずがたり」の主要人物である後深草天皇とは?

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二条の人生を翻弄したのが後深草天皇。激動の時代を生きた実在する天皇のひとりです。この当時、現職の天皇であっても命の危険にさらされていました。皇位をめぐる身内の争いが多発していたからです。

暇つぶしに女遊びに没頭するしかなかった

後深草天皇は寛永2(1243)年に生まれ、嘉元2(1304)年に崩御した、第89代の天皇。後嵯峨天皇の第三皇子で、寛元4(1246)年に3歳で天皇に即位します。実権を握っていたのは父の後嵯峨上皇。後嵯峨院は、後の亀山天皇にあたる後深草の弟を気に入っており、後深草は父親に仕事を取り上げられた状態でした。ブラブラ遊んでいましたが、正元元(1259)年に16歳で弟に譲位、亀山天皇の時代になりました。

弟の時代に仕事のない青年が没頭したことは女遊び。19歳で幼い「あかこ」に出会って目をつけました。後深草と二条には深い因縁がありました。二条の母は後深草の乳母。初めての女性として、性の手ほどきをしてくれた人物でした。別の男性と結婚した乳母への恋心を忘れられなかった後深草。乳母の生んだ女児を自分の女にすると決めていたのです。

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