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宮中の恋愛泥沼劇!「とはずがたり」そのあらすじについて元大学教員が5分でわかりやすく解説

「とはずがたり」の前半は二条の恋愛遍歴

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とはずがたりとは「人に尋ねられたわけでもないのに、自分から語りだした物語」という意味。「何が何でも書きたかった、話したかった」という、開き直った二条の感情があふれています。すべてが事実かどうかは諸説あり。激動の時代を生き抜いた女性の告白記事ということは事実です。

男を手玉に取ったのか、男に翻弄されたのか

4歳で後深草院に引き取られた少女はで宮中で出会った「雪の曙」に想いを寄せます。後深草院はそれを知りながら、二条が14歳のときに自分のものに。院はそのころ29歳。「御所さま」と呼ばれていました。二条は御所さまとの間に男児をもうけますが、その子は死亡。雪の曙との間の女児とは引き離されました。ちなみに雪の曙は西園寺実兼であったようです。

二条がひそかに「有明の月」と呼んだ男性は仁和寺の高僧。二条に一目ぼれした有明の月は、二人の男児をもうけます。「有明の月」は御嵯峨院の皇子。後深草院の弟の1人がモデルという説があります。また二条は、近衛殿という男性とも関係を持ちました。背後には後深草院の手引きがありました。院は自らの指示で二条を他の男に抱かせていました。

二条の燃える恋の終焉

後深草院には、正妻である女性とその御方が産んだ姫君がいました。この時代、女性は男性からの求愛を拒否できず、出家のみが残された道でした。後深草院は二条と「雪の曙」「有明の月」「近衛大殿」との関係をすべて把握。ねちねちとオトコたちを苛めました。この辺りの展開は源氏物語とよく似ています。

「有明の月」は疫病で死亡。二条は出家を望みますが、いろいろな事情から思いとどまります。二条は「有明の月」が亡くなったあとも彼の二人目の子を産みました。次こそは自分の手で育てようと宮中を出ることを決意します。

「とはずがたり」の後半は二条の出家後の話

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32歳で出家を果たした二条は諸国を放浪。歌や紀行文を書いた西行法師に強い憧れを持ち、諸国を旅しました。熱田神宮、伊豆の三島社、鎌倉の鶴岡八幡宮、武蔵野国川口、善光寺、浅草などをめぐります。

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