この時代、宮中ではどんな恋愛が繰り広げられていたのでしょうか。それじゃあ、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に「とはずがたり」について解説していきます。
- 「とはずがたり」とはどんな物語?
- 「とはずがたり」の作者が生きた時代
- 二条と呼ばれた女性が「とはずがたり」の作者
- 「とはずがたり」の前半は二条の恋愛遍歴
- 男を手玉に取ったのか、男に翻弄されたのか
- 二条の燃える恋の終焉
- 「とはずがたり」の後半は二条の出家後の話
- 女西行として周遊する二条
- 男性たちとの永久の別れ
- 「とはずがたり」の主要人物である後深草天皇とは?
- 暇つぶしに女遊びに没頭するしかなかった
- 政治力を発揮することなく終わった人生
- 天下の孤本と呼ばれた「とはずがたり」
- 「とはずがたり」の伝本は5巻のみ
- いろいろな作品と「とはずがたり」の関連性
- 「とはずがたり」から見えるのは作者の心の声
この記事の目次
ライター/ひこすけ
アメリカの歴史や文化が専門の元大学教員。気になることがあったらいろいろ調べている。とはずがたりは長らく存在が知られていなかった作品。その暴露本的内容に興味を持ってまとめてみた。
「とはずがたり」とはどんな物語?
とはずがたりの作者は後深草院に仕えた女房二条。鎌倉時代後期の徳治元(1306)年から徳治7(1313)年ころに成立したと考えられています。物語の前半は少女のころから後深草院に寵愛されながらも3人の男性と恋をするという恋愛泥沼劇。別の言い方をすると、宮中暴露本と言えよう作品です。後半は出家後の旅日記。ほぼ事実が語られている衝撃の告白本です。
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「とはずがたり」の作者が生きた時代
天皇を頂点とする身分社会。これは平安時代と変わりありません。貴族が表舞台から去り、武士が支配者。女性は身分の高い男性に逆らうことができない点は同じです。宮中で働く女官たちは、天皇に命令されたら、何事も拒むことはできませんでした。
当時は、天皇をリタイアした「院」と呼ばれる「元天皇」が絶大な権力を握っていました。そのため現役の天皇との間に権力闘争がたびたび起こっていました。鎌倉幕府の仲介で話し合いがもたれ、元天皇による院政が廃止。後醍醐天皇による政治がスタートします。しかしながら後醍醐天皇は幕府討幕計画を起こして失敗。いっそう混沌としてきた不穏な時代でした。
二条と呼ばれた女性が「とはずがたり」の作者
とはずがたりの作者は二条。貴族久我雅忠の娘で、幼名は「あかこ」でした。2歳で母を亡くし、4歳のころに、幼い彼女にひと目ぼれした当時19歳の後深草院に引き取られ、14歳で院のオンナとなりました。そのころ、彼女にはひそかに「雪の曙」と呼んでいた想い人がいました。それでも院の寵愛を受け続けました。あかこは二条と呼ばれていましたが、后でもなく正式な女房でもない立場でした。
二条は後深草院の子どもを懐妊。その頃、二条の父親が亡くなって後ろ盾がないまま16歳で男児を出産します。その子は皇子という立場も曖昧なまま幼くして亡くなりました。恋人の雪の曙との間にも女児を生みます。女児は雪の曙がどこかへ連れて行きました。さらに二条は仁和寺の高僧とも関係をもち、男児二人を産みました。
ちなみに元天皇にはいろいろな呼称がありました。院は上皇あるいは太政天皇とも呼ばれていました。法皇というのは出家した上皇のこと。それぞれが権力を行使していたため、世の中はめちゃくちゃでした。今なら後深草院の行為は未成年者に対する犯罪。当時の権力者は何をしてもおとがめなしでした。宮中を舞台に繰り広げられる愛憎劇は現代の週刊誌のトップ記事に相当しそうですね。
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